Honey Trap 36

じゃがいもはあるはず、というリカの主張で買わなかったが、結局家に帰ってきたら小さな一個しかなくて、急きょサラダはコールスローになった。

「ごめんね。あると思い込んでたみたい」
「いいよ。どっちも好きだしリカがどーしてもポテトじゃないとっていうなら買ってくればいいだけだったし」

テーブルに並んだ夕食を前に申し訳なさそうなリカに大したことじゃない、と笑う。食べよう、と箸を手にして大祐が早速サラダから口にした。

「うん、ちょっとざっくり刻んじゃったけど、結構いいよ」
「ほんと?」
「うん」

嬉しそうにしながら、リカは生姜焼きの方へ先に箸をつけた。少し、濃いめに味付たのは何となくの気分である。

「……ちょっと濃かったかな」
「そう?でもご飯が進むよ」

ぽつぽつと話しながら食事をしている間に、リカの方が先に口を開いた。

「比嘉さんと大祐さんが二人そろって、制服姿で並んでるところ見たら、なんか今日はすごく勇気をもらいました」
「えっ。比嘉さんと制服?そこなの?」

自分が傍にいたからということではないことに目を丸くした大祐が、確かに自惚れすぎたかと思い直す。
くすっと笑いだした、リカが味噌汁を飲んでからとっておきの秘密を話すように声を小さくして大祐の方へと少しだけ近づく。

「制服男子に萌えるらしいですよ?世の女性は。だから制服シリーズが人気なんですから」
「えぇっ?!リカもそうなの?!」

すっかり本気にしたらしい大祐をみて、ぶぶっと盛大にリカが笑い出した。笑いながら、全部食べ終えてから箸を置くと口元を押さえて首を振った。

「冗談ですってば。でも、二人が揃っていたところをみて、元気をもらったのは本当」

リカに遅れて少ししてから食べ終えた大祐を待って、リカは食器を重ねてキッチンに運ぶ。運びきれなかった食器を持って大祐がリカの隣に立った。

「お茶入れようか。今日は飲まない方がいいと思うし」

指をさしたわけではないが、さりげなく怪我をした腕を指して言っているのだとは分かる。
自分で、とカップを用意して茶を入れた。大祐はビールの方がいいだろうと冷蔵庫から缶を取り出すと、背後から取り上げた手が元あった場所へ戻してしまう。

「俺もお茶もらおうかな」
「ん……」

もう一つ、カップを出してお茶を入れると先に二つ持って大祐がテーブルに戻っていく。
その傍に座ったリカの手をそっと大祐が触れた。

「……怪我したとこ、大丈夫?」
「……うん。心配かけてごめんなさい」
「俺も、ごめん。仕事中なのに、我慢できなくなってあんなこと言って。でも、俺も間違ったことを言ったつもりはないから」

それはそうだろう。
何も知らないはずの大祐にとって、リカのとった行動は理解しがたいもののはずだ。

本当は、この初回の取材が終わってから大祐には話すつもりだったが、心配をかけてしまったことをきちんと謝りたかった。

「……聞いてくれる?」
「聞くよ」

そこから、リカは事の次第を話し始めた。
途中、何度か遮ってしまったが、一通り話を聞き終えると、大祐は大きな掌で顔を洗うような仕草を繰り返した。

「……一応、わかるにはわかったけど、おかしくないの?だって、高柳さんにそこまでしなくちゃいけない理由がないでしょ。それにそんなの断れなかったの?リカが引き受ける理由なんか一つもないよね?やっぱり、理由があったことはわかったし、ドラマのプロデューサーさんが一枚噛んでたこともわかるにはわかったけど、納得いかないよ」
「理不尽だってこと?」
「だってそうでしょ?高柳さんは帝都テレビの人じゃないんでしょ?」
「そうだね。本当は、断ることもできた。阿久津さんもそういってたし」

じゃあ、どうして。

リカがまっすぐで、頼まれたら断れずに引き受けたのだろうがそれにしてもめちゃくちゃだ。
セクハラまがいのよその社員のためにと思うのは当然だろう。

公民いずれにしても、時には何かルールにすれすれで、理不尽な目に合うことがないわけではない。それでも断ることもできたはずなのに、自分から引き受けたリカに何とも言えない気分になる。

「信じたかったのもある……かな。私もいろんな人がいることくらいわかってるけど、昔の高柳さんのつくった番組見たら、違ったんだなぁって思って」
「……でも、それって甘くないの?俺には民間のことはよくわからないのかもしれないけど、そのために怪我するような」
「これはごめん。本当に。たくさん人もいるし、場所が場所だからさすがに大丈夫かなって思ってたの。暴力とかそういうわかりやすい何か、行動に出るとは思ってなくて」
「それは、あまりにも考えが甘すぎるでしょ」

声を荒げそうになった大祐にリカは苦笑いを浮かべる。それでも何か足りない気がして片手を伸ばして大祐の手に触れた。

「怪我は、確かに私だって甘かったなって思ってる。でも、働いていたら理不尽じゃないのってことが全くないかって言ったら……ね。それに、その当事者じゃない時には、ありえないっていうことは簡単だけど、その渦中にいたら別の見方をすることだってあると思うの。ドラマのプロデューサーさんが言ってたみたいに、信じる人を信じて見たかった。それはおかしいよって言われてもそうしたかったから仕方がないかな。責められても」

責められる覚悟はあったといわれるとそれ以上何も言えなくなる。どこまでいっても、リカのいる職場や立場を正確にわかることなんてできないからだ。

「阿久津さんが、大祐さんに自分から説明するって言ってくれたんだけど、私が話すからって断りました。阿久津さんのことも、怒らないでって言うのはできないかもしれないけど、仕方がなかったんだと思うの」
「どういうこと?」
「高柳さん、本当は帝都の人なの」
「……は?」

阿久津に聞いてつい、笑ってしまったことを思いだす。あれは笑うべきではなかったと今では思うが、笑う意外にどうしようもなかったとも言える。
邪魔に感じた髪をかきあげたリカは悪戯の種明かしをするように、苦笑いを浮かべて大祐を見た。

「本当は、高柳さん、帝都の人で協力会社への出向だったんですって。今回は、協力会社に籍をおいていたままで帝都に戻ったけど、来年には正式に帝都に戻るはずだったらしいの。親御さんが上の方の人で、一応、本人は縁故採用じゃないかって思われることが嫌で、隠したまま、協力会社で経験を積んで、何年かしたら帝都に戻ることは初めから決まってたみたい」

それが思いがけないことが起こって、すっかり世を拗ねてしまった。子供じゃあるまいしと思うが、もとはいい家庭に育って、頭もよくルックスもよいだけに挫折知らずで真面目に育ってきたからこそ、中途半端に世の中を見たつもりになって、いい年の大人がひねくれてしまった。

現実味のない話に、だんだんついていけなくなってきて、大祐が額に手を当てた。
ドラマでもあるまいし、偉いさんの息子がどうのだなんてありえないだろう、というのが顔に出てしまう。リカが小さく笑いながらそう思うでしょ、と顔を覗き込んできた。

「私もまさかこんなテレビドラマみたいなことがあるなんて思ってなかったのよね。だから、そういう理由だから断ってもいいって言われたし、それで私の立場とか、そういうのがどうこうなることも絶対ないって言われたから、余計、どうしよう!って。色々、思ってたことまでバカバカしくなってきて、聞いた時には思い切り笑っちゃったの。……でも、そういうこともやっぱり世の中にはあって、そんな中で高柳さんも、色々思うところがあったのかもね。私なんかに本気で言い寄ってくるとは思わなかったし、番組だって、仕事の一つでしかないから、どこまで利用するつもりだったのかもわからないけど」
「……なんか……、わかんなくなってきたけど。でも、リカに本気で言い寄る男がいないと思ってるならそれも甘いし大きな間違いだと思う。結婚しててもそれはいつも不安だから。だから、もう少し自覚してっていつも言ってるけど」

掌に額を預けたまま、覗き込んできたリカをじろりと見る。まっすぐで、誰のことも信じやすくて、男がどんなものかもわかってないリカにどういえばいいのだろう。

鼻白んだリカが納得いかなそうな顔で、唇を尖らせた。

「買い被りすぎだと思うんだけど……。私なんて、色気もないし、たまたまスタッフが足りないって言うことで高柳さんが扱いやすい女に見えただけじゃないのかな。ほんと、甘いよね。今回は本当に、私もなんで引き受けたんだろうって何度も思ったし」
「じゃあ、なんで途中でやめなかったの」
「それは、これでも私の番組の取材で、チーフディレクターだから。引き受けたならそれは私の責任だし、阿久津さんの責任でもあると思うし。だったら、どう転んでも最後までやりたいなと思ったの」

はぁ……。
深い深い、ため息が聞こえてきて、大祐が軽く目を閉じてから気持ちを切り替えたらしい。顔を上げて、すっかりぬるくなった茶を飲むと、ちらりとDVDデッキに表示されている時計を見た。

「疲れただろうし、明日も取材だし、寝ようか」
「あ……。うん」

先に大祐がカップを片付けている間に寝支度を済ませたリカは、やはりどこかぼんやりしていて、疲れているようだった。いつの間にか傍に来た大祐が差し出した手に引き上げられるように立ち上がると、手を繋いでベッドに向かう。
大きく薄掛けをのけて、先にリカ奥側に寝かせた大祐が、灯りを落として横になった。

投稿者 kogetsu

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