きっとすべてうまくいく~2

「稲葉さん、稲葉さん」
「何よ。珠輝」

すっかり仲良しになった最近では、話し方こそ珠輝の方は一応デスマス体ではあるが、ほとんど気分はため口に近い。

だいぶギャルギャルしい服装から変わってきた珠輝が、リカの隣に椅子を引きずってきて、ちょん、と座った。

「今夜、どうですか」

どうって何よ?と顔を向けたリカは珠輝の顔を見て、苦笑いを浮かべた。
結婚した直後の騒ぎの後、リカの周囲の交通整理を買って出たのが珠輝と藤枝である。何せ、本人に自覚はないが、再会するまでの2年の間にリカは随分変わった。
苦い思いをすべて飲みこんで、それを受け止めてなお、強く、しなやかな女性になっていたのである。

恋愛方面だけは鉄壁の“仕事が恋人です”が適用されていたが、それ以外では仕事でも情報局は守備範囲が広い。バラエティ要素かと思えば旬な情報はなんでも拾うから、時にはドラマ部の番宣に協力したりもする。

当然、打ち上げや打ち合わせと称した飲み会に声がかかることも増えた。

闇雲に参加するわけではないが、これもコミュニケーションの手段である。

「もう、稲葉さん、定期的に飲みは参加しましょうよ。たまにだから皆レアだって参加者が増えちゃうんですよ」
「なによ、それ。レアっておかしいでしょ?」

笑いながら答えたリカに珠輝は、うーっとヒールの足をじたばたさせた。無自覚なのは時には罪じゃないかと思うくらいで、空井という存在がいるからなのか、時に女の珠輝でさえも、はっとする表情をみせるのだ。

―― その笑顔が!曲者なんですってば!

胸の内ではそう叫んだ珠輝だったが、どうせリカには言っても通じない。
とにかく、一次会だけの飲みだからと時間と店を言うだけは言って、空井の許可を先にとっておいてくれと頼んだ。

「空井さん、私がそういう場に行くのに反対したことないもの」
「したことなくても、するんですよね?しないと稲葉さん、いつも来てくれませんよね?だからしておいてくださいね!」

何の三段活用かと言う畳みかけをした珠輝は、言うだけ言うと、仕事しなくっちゃと自分の席へと戻っていった。
ディレクターとして頭角を見せ始めた珠輝の席はリカの並びの一番端である。可愛いものやきれいなものに固執していて、デスク周りも可愛い小物に執着していた珠輝のデスクは、そろそろ書類が積み重なり始めていた。

それだけ仕事がこなせるようになってきたという証明のようなものでもあるが、本人は納得がいかないらしい。

「私の目標は稲葉さんですから!」

何度もそんな低いところにハードル設定しちゃ駄目と言っても聞かない珠輝は時には報道のともみにさえ噛みつきそうな勢いである。

「稲葉さんだったら記者だって戻れますよ!今じゃ、どんな面倒な取材相手だって稲葉さんにかかったら誰でもするするしゃべってくれるじゃないですか」

そんな勢いの珠輝のことをともみは、あんたのところの子分、生意気!と時々叫んでいるみたいだが、それなりに実力は認めているらしい。時々、参考になるから読みなさい、と上から目線で資料を持ってきたりしているのを目にすることがある。
珠輝が素直に受け取らないから、リカの席の近くできゃんきゃんと言い合いになって、結局リカが割って入ることになるのだ。

そんなときは、決まってともみがこう言って帰る。

「あんたみたいなガツガツに仲裁される日が来るなんて!」

それはそれで随分な言い草だと思うが、確かに昔の自分を振り返ると言い返すに言い返せなくてリカは苦笑いを浮かべてしまう。

「稲葉さん、ほんと可愛くなりましたよねぇ」
「わかる!年上の女性に言うのも失礼なのかもしれないけど、なんていうか、こう大人の可愛い女になったなって思うよな」

同じ情報局のAD達がそんな話をしていることも知らないリカは、機嫌よくデスクの上のカレンダーをみて、手帳に何か印をつけている。入籍したばかりの左手に光る指輪を無意識に撫でている姿に皆が視線を向けていた。

結局、その日も楽しい場になって、翌日も早出のものがいるために早々に解散した後、リカは帰り道から大祐にメールを打ち始めた。

『お疲れ様。今、帰り道でーす』

送信すると、会話形式のアプリはすぐに既読になって返事が返ってくる。

『お帰りなさい。帰るまでは気を付けてね。もっと遅いかと思ってた』

後ろについていたしょぼくれた絵文字にくすっと電車の中で笑ったリカは、ちゃんと帰りますよ、とハートマーク付きで送り返した。
傍から見れば、立派なバカップルなんだろうなぁと思いながらも、こんなことができるようになったことが夢のようで浮かれてしまう。

『部屋に帰って、落ち着いてからでいいから電話、待ってます』

その一文に、ウサギを抱きしめているスタンプが続いて追いかけてきて、今度こそ、堪えきれずに小さく笑い声を漏らしてしまった。
周囲のちらりと向けられる視線がいたくて、わざとらしい咳払いをしてから電車を降りて足早に駅を出る。

騒がしい歩道に出てから、アプリ画面をそのままタップした。

「もしもし?」
『まだ部屋についてないのに、どうしたの?』
「だって!誰かがこっちは電車なのに笑わせるから吹き出しちゃったじゃないですか」
『ああ。それは残念だね。電車の中で明らかに不審者になったってこと?』

そこまでは行ってないが、視線がいたかったことだけは事実だと言うと、うーんと呟いた後、でもが続く。

『こっちだとそんな視線感じないくらい人少ないよ?』
「こちらはまだバリバリに、他人は多いんです!もう、絶対わざとでしょ」

リカを笑わせようとするつもりでやっているわけではないことくらい、わかってはいるが毎回面白くて吹き出してしまう。仕事をしていた時は、長文のメールだけが何度も飛び交ったが素の大祐は本当に天然すぎたところが面白くていつも笑ってしまうのだ。

『わざとなわけないでしょ。大事な奥さんが電車の中で酔っ払いに絡まれてないか、飲みすぎて寝過ごしたりしないか、心配してるだけだよ』
「酔っ払いに絡まれても平気だし、飲みすぎたりしないってば」

エントランスを抜けて、ポストの中を覗いてから部屋へと上がる間に電波が切れるから、一度切るね、と言ってアプリを終了させると、昼間の熱が残る部屋に戻った。

投稿者 kogetsu

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