未完成ロマンス 16

頭から湯をかぶったのは大祐も同じで、いくらもしないうちに部屋に戻ってきた大祐の頭はいつもよりもふわふわと揺れていた。

「ただいま。なんか、本当に朝なのに、人が多いんだね」
「おかえり。どしたの?髪、ふわふわ」
「あ……、なんかこういう、普通のドライヤーだったんだけど、備え付けのシャンプーとか使ってわしゃわしゃっと乾かしたらこんな感じになって」
「ふふ。なんか、ふわふわすぎ」

少し背伸びしたリカが大祐の頭を撫でると、へへ、とようやく落ち着いた顔で大祐が笑った。

「朝ご飯、行きましょうか」
「あ、俺も着替えます。……今日のリカも、可愛い」
「へへ、ありがとう。ちょっと緩いかなと思ったんだけど」

くるぶしのあたりまで来るスカートを持ち上げて見せたリカのつま先に塗られたペディキュアが見えた。チョコレートっぽい色にシルバーで模様が描かれている。

昨夜、何度もそのつま先を目にした気がする。
横目で見ながら浴衣を脱いで服に着替えた。黒の緩めのパンツに、リカの爪の色に近いシャツに袖を通した。

「やだ。大祐さん、かっこいい」
「えっ?!」
「私、こんな緩い恰好しなきゃよかった~!」
「ち、違うよっ!いつもリカがきれいな格好してるから」

軽く袖をまくり上げた大祐が、そんな顔しないで、と頭を撫でるとむーっと頬を膨らませていたリカが小さく頷いた。連れだって、朝食会場のレストランに移動すると、長身の二人連れはひどく目立つ。

上階にあって、低層階の屋上に中庭が設けられている。そこに面した和食処は明るくて解放感に満ちていた。窓際に案内された二人は、席に着くとすぐ、お茶とお茶碗、お櫃が運ばれてくる。

「おはようございます。ゆっくりお休みなられましたか?」
「あ、はい」

仲居の言葉に頷いた大祐をみて、リカは視線を逸らした。まさか、寝不足ですとも言えまい。
心得ているのか、仲居はそれ以上は追及せずにすぐにお膳を運んできてくれた。小さな小鍋に味噌汁が入っていて、それをリカの方へと置いた。

「ご飯とお味噌汁はおかわりができますから、お声かけてくださいね」
「ありがとうございます」

礼をいって、ご飯とみそ汁をよそったリカが大祐に差し出すと、はにかんだ大祐がそれを受け取った。

「なんか」
「新婚さんみたい?」

口元を歪めた大祐の跡を引き取ってリカが言うと、堪え切れずに笑い出した大祐が頷く。ペロッと舌を見せたリカが澄まして言う。

「だって、新婚さんですもん」
「リカ……」
「駄目ですか?彼女の方がいいですか?」

口元を押さえて横を向いた大祐が、ひどく照れくさそうな顔でぼそりと呟く。

「そんなに嬉しがらせないで」
「嫌ですよ。だって、私の不安とかそういうの、全部引き受けてくれたのは大祐さんだから」

にこっと笑ったリカは一晩の間に、抱えていた不安を確かにどこかに置き去っていた。

「……今日は、どこに行きますか?」
「山形で、おいしいお酒を探すとか、米沢牛のおいしいお店を探すとか」
「食べ物ばっかりだよ」
「だって、街角グルメ担当ですもん」

ぱく、と箸を動かした大祐が吹き出した。朝食を食べながらおいしいものを探しに行くというリカがめちゃくちゃ可愛い。

「どっちでもいいよ。リカが行きたいなら。あとで宿の人に聞いてみようよ」

頷いたリカと共に、朝食を済ませた後で、部屋に戻る。荷物を持ってフロントに向かうと、チェックアウトを済ませたところで大祐がリカを呼んだ。

「俺、こういうの、お土産とか買って行ったことないんだけど、どれか選んでもらっていいかな?」
「あ、うん。松島基地の皆さんだよね。何人くらい?」
「う……。ひとまず、渉外室のみんなと、ブルーのチーム……は、いっぱいすぎるか」

すっかり困ってしまった大祐の手を開いて、親指の先を押さえた。

「待って、落ち着いて。渉外室は何人いらっしゃるんですか?」
「えと……、室長含めたら6人かな」
「それで、ほかの皆さんはたくさんいらっしゃるんですね?」
「う、はい」

くすっと笑ったリカがじゃあ、と振り返った。名物やありきたりかはわからないが、個数の少ない饅頭のようなものを手に取る。それに加えて、薄いせんべいを手にした。
それならばたくさん枚数が入っていて、ひと箱渡して皆さんでどうぞと言えばいいはずだ。

「リカはいいの?」
「うん。だって、仙台土産でダントツ、喜ばれるのはいつもの定番お菓子だもの」

でも、あれは重くなるのよねぇ、と呟いたリカが会計に向かって行ってしまい、慌てて追いかけた大祐がかろうじて支払いを済ませた。
フロントでいくつか候補を聞いた大祐が荷物を車に積み込むと、宿のスタッフの見送りを受けながら車をスタートさせる。

助手席に座ったリカは、あの頃と違って、同じようにシートベルトをして座席に収まっているが、緊張感はなくてゆったりとしていた。

「ねぇ。大祐さん」
「ん?」
「式の準備、たっくさんあるよ」

うっと言葉に詰まった大祐が、しばらくして、心してます、と呟く。12月ぎりぎりにしか式場を押さえられなかったので、仕方がないとはいえさすがにもう色々と決めなければならなかった。
そのほとんどはリカが決めてくれていたとはいえ、任せっぱなしにするつもりなどない。

ハンドルを握りながら、左手を差し出した。

「まだお休みは、今日を入れても3日あるから、その間にできる限りやるよ」
「期待してます」
「う……。はい」

そこは、敏腕ディレクターの仕切りを考えると薄ら背筋が寒くなる。
怖いなぁと思いながら頷いた。

しばらくして、窓の外を眺めていたはずのリカが静かだなぁと思っていると、目を閉じて気持ちよさそうに眠っていた。

―― そりゃあ、寝るよなぁ

仕事の時以上に眠っていないだろう。大祐に預けた右手が安心と信頼でもある。

ほかの誰であっても、こんなふうにはできなかっただろう。

―― 僕らはきっと何年過ごしても、どれだけ一緒にいてもこうしているんじゃないかな

僕らの想いは、いつまでも未完成なままで。

投稿者 kogetsu

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