ビールのグラスを手にすると、リカと一緒に飲んでいた瞬間にグラスを通じて重なる気がする。
「同期の女ですね。初めは報道にいたんですけど、色々あって、バラエティに行って、それでもまっすぐなやつで。まあ、すごい空気の読めない発言する奴なんですけどね。こいつがねぇ。まったく、馬鹿が付くくらいまっすぐっていうか、まじめっていうか、そういう奴なんですよ」
「へぇ。いいですね」
「よくないんですよ。こいつもう、トラブルメーカーみたいな奴なんですよ?なにかっちゃ、問題起こして大変なんですから。そのたびに俺も酒飲みに連れて行ったりしてね」
「いや、いいじゃないですか。私、派遣から入ったので同期っていうのもないですしね。傭兵みたいな立場から入ったので、同期って憧れますよ」
―― それに、その方のことお好きなんですね
さらりと言われた後に、普通に頷いてからあれっと手を止める。
―― 傭兵?!その方のこと好き?
「……はい?今、なんかものすごいこと言いました?」
「あれ?そうですよね?なんか変なこと言いました?」
「えーと……、色々変です」
そうかな、絶対あってると思うんだけどなぁと呟く西村に、眉間に皺が寄る。
互いに鉄板の上はからりとなくなって、口元を拭うと、下げに来た店員がデザートのメニューを見せた。
「こちらのゆずのシャーベットか、チョコレートムースのどちらかをお選びいただけます」
どちらもおいしそうだが、どちらもおいしそうだと迷っている西村がゆずを選んだのを見て、じゃあ、自分はチョコレートの方を、と頼む。
どんな女性とも楽しんで過ごせる自信はあるのだが、今日は出会いからして仕事から入り、もう一度、出会ったのがまた思いがけない出会いで。
予想以上に藤枝にとっては楽しい時間になった。
「ありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそありがとうございました」
会計の際に、藤枝が支払いを済ませると軽く会釈して店を出てからすっと小さなぽち袋を差し出された。
「全額ご馳走になるわけにはいきませんので、少しですが」
「あ、わかりました。ありがとうございます」
「いえいえ。とても貴重なお時間頂きました」
店の前で頭を下げた西村は、至極あっさりとそれではお気をつけて、といって一礼すると背を向けようとする。まだ時間も早くて呼び止めかけた藤枝は、そういえば酒が飲めないと言っていたなと思い直して、少し大股で後を追いかけた。
「西村さん!」
「はい?」
「駅まで送ります」
「大丈夫ですよ?」
「いえいえ、すぐそこですし。変な男に絡まれないようにしないとね」
それを聞いて盛大に笑い出した西村がありがとうございます、と素直に受けてくれる。ひどく気持ちのいい相手だと思いながら藤枝もすぐ近くの地下鉄の駅へ降りるところでじゃあ、と離れた。
互いに、至極あっさりと離れても後味が全く悪くないという人だったなと思いながら藤枝は、その後味が心地よくて珍しくまっすぐに家に帰った。
だからと言って、この時点で藤枝は西村のことをどうということもなく、普通に増えた好感のもてる彼女の一人が増えたのかな、程度にしか思っていなかった。
数日して、この日のインタビューのナレーション入れを行った時も何の感情もわかなかった。ひとまず、無事に終わってよかったと終わってブースを出た藤枝は、そのまま帝都イブニングのフロアに顔を出す。
時間的に言えばいつもの巡回時間である。
「よー、稲葉」
「あんたねぇ。いつもいつもおやつの時間じゃあるまいし、コーヒー飲むために顔だすのやめなさいよ」
「いいじゃないの。ここのがうまいんだって。あっちのはもう、皆いないからさ。煮詰まっててまずいんだよ」
言い返してもそれに応える声はない。あっさりと流されていることもわかっているがそれが嫌なわけではない。
何かのファイルを抱えて立ち上がった珠輝がその間に向かって歩いてくる。
「藤枝さん、駄目ですよ。人妻に色目使ってるって話題になっちゃいますってば」
その一言に、資料を作っている最中だったリカががたっと操作をミスって、ぴーっと音をさせた。
「珠輝~!その人妻って言うのやめて!仕事してるときは関係ないから!」
「関係ありますってば。もう人妻の色気を振りまいてるときと、そうじゃない時が稲葉さんははっきりわかりすぎるんだもん」
マジで?と珠輝に問いかけると、真顔で頷く。
「マジです。だから空井さんが来るのか、来たのかもろばれで見てるこっちが恥ずかしくなりますよ」
「ばばばば、馬鹿なこと言わないで!そんなのわかるはず……」
「いや、稲葉。こういうのは意外と周りからするとよくわかるもんなんだって」
なぁ?とプラカップを口にしながら同意を求めると、珠輝もまったくだと頷く。
この不器用な女が幸せを掴むまで、周りにいた藤枝も珠輝もどれだけ気をもんだかしれないのだ。
―― あーあ。本当に幸せオーラ振りまくときはわかりやすいんだよな、こいつ
そこからして、今のリカの顔を見るとその幸せオーラは現在出張中らしい。
この前も、空井が忙しくて、今は無理矢理相手が時間を作ってくれているが格段に会える時間が減っていると零していたばかりである。
その視線で全く同じことを考えたらしい珠輝が小さくファイルに隠れて藤枝に囁く。
「ついに空井さんから忙しくてしばらく会えないって言われちゃったらしいですよ。電話もメールもほとんどないって」
「なるほど、ね」
リカの隣のデスクに寄り掛かった藤枝は、ポケットに手を突っ込んで引き抜いた手を珠輝の目の前に差し出した。
「ほい。珠輝ちゃん」
「え?なんですか?あっ。やったぁ。チョコだ」
遠慮なく受け取った珠輝はゴディバの包みをすぐさまあけて口に放り込む。ポケットの中、と言ってもフロアに来る直前に忍ばせてきたものだから、それほど温かくはなっていなかったはずだ。もう一つをリカのデスクに滑らせる。
「お前もそんな顔してんなっての。これから式の支度で忙しい時に会えなくなるってんで寂しいんだろうけどさ。俺も珠輝ちゃんも協力してんだろうが」
「わかってるし、寂しいなんて言ってないし!仕事なんだから仕方ないでしょ。そんなこと何とも思ってないから!それよりも今はこっちよ、こっち」
「あ?なんだよ?」
チョコには視線を向けたリカが深い、深いため息をついて、PCを軽くつついた。先ほど異音を上げていPCの画面は、カーソルがちかちかと点滅していた。
「つまってんの」
「なにが?」
「あしたキラリ」
「お前、専任担当じゃないだろ?」
あしたキラリは、かつてリカが空自を担当していた時に芳川を取り上げたことがある。あれ以来、あしたキラリは専任ディレクターではなく、何名かで持ち回りになっているらしい。
「私の番なんだけど、もうネタがなくて……」
「ネタねぇ……。ここんとこ、どんなのやってるの?」
いくつかこのところのネタを聞くとふうむ、と唸ってしまう。一通り取材はしていて、これという相手がいなければなかなか難しい。
あ、と藤枝は口を開いた。
「俺、この前、トゥルーストーリーで取材いったじゃん?この前の。あそこの会社、女性もいるだろうし、聞いてみっか?広報はだいぶ取材慣れしてるし、受け入れやすいかもしれないぞ?」
「ほんと?まずは話聞けるかな?」
ん、とポケットから携帯を取り出す。名刺はファイリングしているのとは別に、写真を撮って携帯に保存してある。
いくつか画像をスライドさせてから、秋山の名刺を見つけ出した。
「ん、これ。秋山さんて広報の人」
「ありがと」
リカがメモするのを待って、念のためリカ宛にメールを送る。すぐに電話を手にしたリカを見て、藤枝と珠輝が顔を見合わせた。
相変わらずのリカに苦笑いを浮かべた藤枝は飲み終わったコーヒーカップを片付けると、片手をあげてフロアへと戻る。