愛された記憶は鮮明なのに、キスだけはいつもわからなくなる。
触れた唇の感触は?柔らかさは?甘さは?
―― 何度キスしても1度も同じじゃないからわからないんだもの
『覚えてる?』
急に電話の向こうからそんな問いかけをされて、言葉に詰まってしまった。
「なんですかっ、いきなり……」
『いきなりっていうか……。ただ、リカに会いたいなぁって思ったから。思い出したんだけど、駄目だった?』
その言葉の裏に覚えていないのかと暗に責められているような気がして、何度も携帯を握りなおす。
―― なんて言えばいいの。そんなの……っ
「駄目とか、そういうことじゃなくて……。いきなりそんなことを言われても困るっていうか……」
『そっか。そうだよね。ごめんね。余計に会いたくなるだけだよね』
リカの困惑を会いたくなるからだと受け取った大祐は、素直に詫びたが実はそうではないのだ。
「……その話題、やめましょ。大丈夫です。もうすぐ週末だし」
『……ごめん。今週は……』
「あ……。えっと、じゃあ、またすぐ会えるはずだし!」
気まずい空気は直接会っていたら何とでもなるものだが、電話越しはかなり切なくなる。
何が悪いわけでもないのに、泣きそうな気分になって、もうすでにはいったのに、お風呂に入らなきゃ、と言い出した。
「また明日、かけますね。メールも」
『うん。わかった。風邪ひかないように、ゆっくり休んで』
「大祐さんも」
お休み、と言いあって電話を切った後、ひどく切なくなってリカはもうすっかり寝るばかりで座っていたベッドの上で枕を抱きしめた。
大好きな人とのキスを覚えていないなんて、女としては最低なんじゃないだろうか。
別に記憶力がないわけではないし、久しぶりに会って、大祐にごめん、余裕がなくて、と言われた時など、しばらく東京に帰ってからも一人思い出しては赤面することもある。
―― なんでキスだけわかんなくなっちゃうんだろう
枕を抱きかかえたまま、ごろん、とベッドに転がってばたばたと足だけを動かした。
キスが嫌いなわけじゃない。
「……なぁんでかなぁ」
ぼそりと呟いたリカはそのままいつの間にか眠ってしまった。
今週も、来週も結局は会えないとなってもそれが今に始まったことでもなく、これから何度でも、ずっと繰り返すことだとわかっている。
だから、“次”の約束がなかなかできなくても何も言わなかった。
その代わりに、ようやく週末の約束ができて金曜の夜に無理をしてでも移動するという大祐にお願いを口にした。
「難しいかもしれないんだけど、できたら新幹線できてくれる?そうしたら駅まで迎えに行けるし」
『新幹線?でもそれだと一緒にいられる時間が……』
「大祐さんが寝る時間を削らなかったらほとんど変わらないってこの前わかったじゃない。あんまり無理してほしくないし、お願いきいて?」
少しでも会いたいし、会える時間は惜しい。
多少の寝不足など大したことではないが、愛しい人のお願いに大祐は、何とかしてみると請け負った。ぎりぎりでも新幹線の最終に乗り込む術はもう何度もやっていて、タイムリミットもわかっている。
都内でなら電車よりも車の方が早いなんて早々ないだろうが、まだまだ地方ではあり得る話だ。
『わかったよ。どうしても駄目だったら車になるかもしれないけど、いい?』
「ん。だったら、土曜日の始発とか」
『今回は新幹線にこだわるね?なにかあるの』
「ないけど、でも……。ううん、あるんだけど駅でお迎えしたいの。それだけ」
何とも可愛らしいお願いに電話越しに口元を緩めた大祐は、約束する、と答えた。
金曜の夕方になって、時計を気にしていると大祐からメールが届いて、最終よりも1本早いのに乗れたらしい。
「はぁ……。緊張する」
小さく呟いたリカは、到着するはずの時間を調べてから、仕事を切り上げて東京駅へ向かった。
いつもは新幹線の改札前で待っているのに、今日はホームへの入場券を買う。途中で、何号車かを問い合わせて、その付近で待っていると赤いシャープなフォルムが滑り込んできた。
昔は緑色の丸い鼻づらだけを意識していればよかったらしいが、今はそうではない。
座っていたベンチから立ち上がると、しゅーっと音を立てて開くドアの傍へと近づいた。
「リカ」
きょろ、と覗き込んだあたりに姿を探していたリカを呼ぶ声がして、隣の号車の後ろ側から降りてきた大祐が片手を上げた。
駆け寄ったリカをスーツ姿の大祐が抱きとめる。
「久しぶりだね」
「ごめんね。我儘言って」
「ははっ。このくらい我儘でもなんでも……」
なんでもないよ。
そう言いかけた新幹線のホームは週末の東京旅行か、ビジネスマンの出張帰りか、あとは若者がものすごく大きな荷物を担いでいるくらいの場所で、リカは大祐の肩に手を置いて背伸びしたのだ。
ぱっと2秒触れて離れたリカが、頬を染めながらはにかんだ笑みを浮かべた。
「この前の電話で言ってたけど、覚えてないんじゃないの。全部覚えてるから、わからなくなっちゃうだけなんだなって、実証してみたくて」
「それで、わざわざ新幹線でって指定したの?ホームで……キスするために?」
目を丸くした大祐に、恥かしさも限界に達したリカがぎゅっと目を瞑って俯いた。
「私だってするときはするんですっ。大祐さんがいつもストレートだから素直じゃなく見えちゃうけどっ」
―― 私だって……。でも、きっと……
そう思ったリカはぎゅっと引き寄せる腕が強くなったのを感じる。
ぽん、と軽く背を叩かれて顔を上げたリカに同じくらい一瞬のキスが落ちてきた。
「もし、リカが覚えてないって言っても、いくらでもするのに。忘れきれないくらい何度もね」
甘いお菓子のように、柔らかくて甘くて、切ない。儚いキスを。
手を繋いでどんどん人が減っていくホームから歩き出す。
「帰ろうか。二人の部屋に」
「うん。おかえりなさい。大祐さん」
「ただいま。出迎えのキス、ありがとう」
とびきりの笑顔を交わして、歩き出すと気恥ずかしさよりもくすぐったいような嬉しさが広がっていく。
だって、私の心は貴方に繋がっているから。
――end
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愛された記憶は鮮明なのに、キスだけはいつもわからなくなる。触れた唇の感触は?柔らかさは?甘さは?何度キスしても1度も同じじゃないからわからなくなるの。私の心は貴方に繋がっているからすぐに察した貴方がキスをくれる。甘いお菓子をくれるように、柔らかくて甘くて、切ない。儚いキスを。