「もちろんなんなんですか?奥さん、片山さんについて行ったけど元々こっちの人ですよね?横浜?もしかして自分だけ来て奥さんは置いてきたんじゃ……」
空井の疑いの目が、不安げに視線を泳がせる片山様子を見て確信に変わる。
ひそひそひそ、と藤枝に向かって何かを囁いた空井にくっくっくと、藤枝が笑い出す。
「なん、なんなんだよ!」
「いーえっ!そういう人に惚気がどうとか幸せオーラ一杯とか言われてもねぇ」
「ふざけんな!お前なんか、お前なんか、散々、砂吐きそうなこと垂れ流しまくってたじゃねぇか!お前にだけは負けないからなっ」
だんっとジョッキを机に叩きつけた片山と空井の間で藤枝が両手を上げて、仲裁に入る。
これだから俺は呼ばれたのかと、即座に納得したが、テーブルを挟んだ向こう側で比嘉と鷺坂がブロックサインを送っているのをみて、小さく頷いた。
「まあまあ。空井君も幸せダダ漏れだったのは事実でしょ?片山さんの話も聞いてあげなよ」
「そんなこといったって、張り合うんですよ?張り合われたってそんなのどうしようもないでしょ?だいたい砂を吐くってなんなんですか!砂なんかどこにもないでしょ?」
オタク文化に造詣が深い片山だけに、砂を吐く、とうっかり使っているが一般以上に世間の情報に疎い空井には全く通じなかったらしい。
藤枝がぽんぽん、と空井の肩を叩く。
「空井君。砂を吐く、ってあれだよ。なんていうかな。ものすごく甘いこととか、惚気?そういうのを聞いてる方が、甘いものに、佐藤振りかけられたみたいな感じだっていう表現で、砂糖を吐く、とか言ってた言葉がいつの間にか砂を吐く、ってなったわけ。だから、聞いてる方がお腹いっぱいになっちゃうような惚気ってことかな」
へーえ、と頷いた空井を頭から馬鹿にした片山に、にやり、と笑った空井は、ふと目の前の藤枝に話を振った。
「ところで藤枝さんはどうなんですか?」
「えぇっ?俺?俺は何も……」
「なんだか引っ越しするとかしないとか?」
真顔だが空井の目の奥が愉快そうに笑っているのを見て、藤枝は参ったな、と頭を掻く。付き合い始めた彼女と、一緒に住むこともできるような部屋を探しているところだった。
彼女と付き合う時の経緯にはリカが薄らと関わっているからあまりはっきりと否定もできず、どうしようかと思っていると、目を向いた片山だけでなく比嘉や鷺坂も食いついてきてしまう。
「え?え?ちょっと待って、藤枝ちゃん、彼女できたわけ?俺、聞いてないよ?大親友の俺が知らないのに、なんで空井が知ってんの」
「あ、いや、片山さん。隠してたわけじゃないけど、わざわざいうこともないじゃないですか。ほら、片山さんのところは新婚でもっと毎日幸せいっぱいなわけだし?」
慌てた藤枝がフォローを入れるが一気に片山の顔色が曇る。
だが、比嘉だけでなく、咳から復活した槇があっさりと追い打ちをかけた。
「ああ、藤枝さん。いいのいいの。気にしなくても。片山さんそういう人だから」
「そうですよー。槇三佐と柚木三佐の時だって、そうだったんですからね。こういうことは大人になってからは薄々察していてもそこは降れないのが大人のマナーです。本人から堂々とお知らせがあった時に初めて喜んであげたらいいんですから。ということでおめでとうございます」
いえいえ、と片手をあげて照れくさそうにした藤枝もそう言われてみればそこはかとなく雰囲気が変わった気がする。
不意にはにかんだような笑みがどうやら本命の彼女らしいとみてる方にも伝わってきた。
「どうなるかなんてわからないですよ。まだ付き合い始めたばかりですし、あいては僕より上なので、いつ見放されるかわからないですけど、近いうちに一緒に住むか、そうじゃなくても近くに住みたいなと思ってて……」
「よかったじゃないの。その相手の方は稲ぴょんは知ってる人?同じお仕事の方とかそういう?」
「あ、まあ、稲葉も知ってますね。取材を一度したことがあって……」
「あ、そう」
ほおほお、と頷いた鷺坂が片膝をたてて少し身を乗り出した。
「だったらさ、明日の女子会つっても稲ぴょんと柚木が来るんだけど、よかったらその方もうちにくる?」
「え……」
「うん。それいいな。空井。お前稲ぴょんに連絡。藤枝ちゃん、彼女さんに連絡してご覧よ」
今が金曜の夜で、明日の昼間、今夜参加できなかった柚木とリカが鷺坂の家に集まって、クリスマス用の仕込みをするというのがメインになっていた。それ自体は、槇も空井も知ってはいたが、あまりの展開に驚きが隠せない。
「や、あの、室長。さすがにいきなり室長の家にっていうのはちょっと……」
「大丈夫、大丈夫。稲ぴょん知ってるんでしょ?一緒においでって誘ってごらん。駄目なら駄目でいいから」
どうする?と空井と藤枝が顔を見合わせた後、とりあえずと言うことで二人は揃って携帯を取り出した。
「だ、か、らぁ~。そうやってね?片山さんがぁ、奥さんのことを言うとぉ、奥さんの立場ってものがぁ」
「うーるせぇんだよ。空井。お前なんかに言われる筋合いねぇンだよ!大体、稲ぴょんは確かに可愛くなったよ?可愛くなったけども、うちの嫁さんに比べたら料理だってお前の方が」
「失礼なこと言わないでください!確かに!、時々、目玉焼きが変形してたり、味噌汁が違う液体になってることもありますよ!でも、一生懸命作ってくれるのはかわらないんです!」
全くフォローになっていないフォローを始めた空井に比嘉と鷺坂は困ったものだと首を振る。
まあまあ、と宥めにかかった藤枝に今度は片山と空井の両方が食いついた。
「藤枝ちゃん!どっちの味方なのさ!大体、俺には彼女ができたこともひとっことも言わなくて」
「だからそれはわざとじゃないって」
「そうですよ、藤枝さん!付き合い始めたばっかりなのに一緒に住むなんてちょっとぉ、早すぎません?!」
―― 再会して2日で結婚した空井君に言われたくないよ……
普段ならもう少しあっさりとかわしていたかもしれないが、藤枝もそこそこ飲んでいたからこそ、うっかりと乗ってしまう。
「違うって。だから一緒に住むんじゃなくても近くでもいいんだってば」
「なんでですか。それじゃ意味ないでしょ」
「意味あるんだって!」
空井と睨みあった藤枝に片山がなんで?と素で質問を投げてくる。言わなければいいのに、と思っていたのに、空井が勝手に藤枝の相手は年上で、こういう人で、と語りだす。
「すごい大人な感じらしくて、仕事もできてかっこいいんだってリカぴょんさんがいってたんですっ」
「ほぉ!!藤枝ちゃん!やるね!」
「いや、ほんと、そういうんじゃなくて。なんか……確かに歳は上ですけど!……いや、なんかね?大人で、しっかりしてる人なんですけど、一人で家に帰る道っていうのが嫌いなんですよ。怖いとかそういうことじゃないんだけど、一人で駅降りて家まで歩いてると寂しいっていうんで、せめて近かったらそれも少しはましになるんじゃないかなっていう……」
目を丸くしてフリーズした空井と片山だけでなく、少し離れたところで淡々と飲んでいた槇もジョッキを握ったポーズで固まってしまう。
「いや、いいよ。そういうの。いいと思うよ」
「あっ!いや、お恥ずかしい話を……」
「いや。藤枝ちゃんもなんだか幸せそうでおいちゃんは嬉しいよ」
男ばかりでいったいどうなることやらと思っていた彼らも何やら賑やかしいことこの上ない。
「こういうのをみてるとね。年を取るのもわるくないなぁって思うんだよ」
そうですねぇ、と比嘉が相槌を打って、鷺坂に酒を注ぐ。
きっと、これで明日の女性陣は酔っぱらって帰った旦那たちの愚痴が出るのか、それを上回る惚気が出るのか。
―― それはそれで楽しみだけどね
ぐだぐだと酔っ払いたちのくだらない惚気話はまだ続くのだろう。
今日はあとどれくらいかかるかな、とさりげなく時計に目を走らせた鷺坂の隣から、今日は無制限で借り切ってます、と無情な囁きが聞こえてきた。