「いらっしゃい」
「お邪魔します」
玄関で鷺坂に出迎えられたリカと柚木は、両手にそれぞれたくさんの荷物を抱えている。
昨夜、本当に遅くにそれぞれの相方は家に帰ってきて、見事に出来上がっていた。二人が家を出るときにはまだベッドにダウンしていたくらいである。
「ご無沙汰してます。鷺坂さん。昨日はなんだか本当にお世話になったみたいで」
「室長、すみません!昨日はもう片山の馬鹿がさんっざんだったみたいで……」
多少は話を聞く余地があっただけ、槇の方がまだましだったようだ。空井の方は家に帰ってきた瞬間から、本気でどうしようかと困ってしまったくらいだ。
「リカぴょん!!」
「はい、お帰りなさい。うわっ!!すっごい飲みましたね?」
「あのね、あのですね?!りかぴょんは、おうちに帰るの、寂しい?」
「はぁ?」
玄関先で抱きついてきた空井にいきなりそんなことを問いかけられて目が点になる。しかも、荷物を置きに来ないまま飲みに行ったくせに手ぶらなのだ。
荷物をどこかに置き忘れてきたとしたら大変だ、とそっちに気が向いてしまう。
「きゃーっ、大祐さん、重い!重いってば。ね、それより鞄は?荷物どうしたの?」
「荷物?ごめんねぇ。お土産もってきたのは広報室においてきちゃった」
「え?荷物も置いてきたの?」
「大っ好きなりかぴょんにお土産を買ってこようと思ったんだけど!でもぉ」
ぐだーっと寄り掛かった空井をどうにかしようとあがいても、リカの腕力ではどうしようもない。ベッドまでなんとか運ぼうという努力を木端微塵にする空井が、延々わけのわからない話を繰り返す。
それを思い出したリカが、通されたリビングに入りながら本当に大変だったんです、とこぼす。
「柚木さんはもう、槙さんが抱えられるレベルじゃないから逆に楽じゃないですか。空井さん、もう、ほんっとに大変だったんですよ」
「それはそれは申し訳ない。まったく教育不足でした」
ぴしっと両脇に手を添えた鷺坂のお辞儀は、さすがに誰よりもきれいな気がする。慌てたリカが手を振った。
「そんな!鷺坂さんに頭を下げられるなんてとんでもないです」
「そう?おいちゃん息子の育て方まちがったかなぁ。昨日は片山が延々惚気たがってねぇ。でも藤枝ちゃんの方が一枚上を行くもんだから」
「ほんとですか?」
リカにとっては男同士の飲み会など想像できないでいるが、柚木には慣れっこらしい。あいつらしょーもねー、と呟いている。
「稲葉。そんなの聞いてもしょーもないよ?」
「柚木さんは慣れてるからですよ。私、もっと聞きたいです」
食いついてきたリカに苦笑いを浮かべた鷺坂は、まあお坐りなさいよ、と言ってコーヒーを淹れ始めた。
昨夜の様子を鷺坂から聞いた柚木は、呆れた顔でため息をついた。
リカは、途中で真っ赤になったり、腹を立てたり、目を輝かせたりして食いつく。特に藤枝の話題では、いいネタだとばかりにもっと何か言ってなかったかと、鷺坂に問いかける。
「ほかに何か言ってなかったんですか?」
「稲ぴょん……」
苦笑いを浮かべた鷺坂に窘められてて、照れくさそうに頭を下げる。いつもからかわれるだけで、なかなか藤枝は口を割らないから少しでも反撃のネタが欲しくてついつい興味深々になってしまったのだ。
「ところで稲ぴょん。藤枝ちゃんの彼女さんは?一緒に来なかったけどここわかるの?」
「あ、はい。どうも今日も少しお仕事があるとかで、近くの駅まで来たら連絡をもらうので、私、一度迎えに行ってこようかと……」
そう言って、携帯を見たリカはメールが入っていることに気づいて慌ててタップした。
仕事が終わってこれから向かうという連絡である。
「西村さんっていうんですけど、そろそろこちらに向かうみたいなんで一度私、駅まで行ってきますね?」
「あ、じゃあ、アタシも行こうか」
「えー、柚木さん。いいですよ、私一人でも」
どうするかと言い合っていた後、結局、女性二人で行っておいで、と言われて柚木と二人で鷺坂の家を出る。
家を出た後、どちらからともなく揃ってため息をつく。
「あー……。稲葉?」
「はい」
「具合、悪くない?」
「……おっさんの柚木さんらしくないです。はっきりどうぞ」
妙に歯切れが悪かった柚木に、珍しく挑戦的なリカが直球で返す。柚木が言いたかったことが薄々わかったからだ。
ガリガリと頭を掻いた柚木は、今も肩までの髪を一つに結んでいる。
「わかったよ。……ってことは、稲葉もだよねぇ。まったく、アタシはまだしも稲葉はたまんないよね」
「……絶対、片山さんと藤枝には仕返ししますよ」
「……だね。あー……、腰痛い」
鷺坂の前では普通に元気なふりを装っていた二人だったが、それぞれ、今日の予定がなければ今ごろベッドに沈んでゆっくりと惰眠を無座ぼりたいところだ。
帰ってくるなり、槇はベビーベッドに眠っている空美の様子を見た後、無言で風呂に向かった。そう思って、柚木は特に気にすることもなく、ベッドに横になって携帯を弄っていたのに、不意に周りが暗くなったことに気づいて顔を上げる。
「槇?」
結婚した今も、愛称としてついつい槇、と呼んでしまう。今は自分も槇になったというのに、仕事では旧姓で通していることもあってあまり違和感がないのだ。
ぎしっとベッドに深い重みがかかったと思った瞬間、大きな腕に引き寄せられる。
「ちょっ……」
「俺には……」
「えぇっ?あんた何をっ!……」
―― 俺にはあなたが一番可愛いですよ
自分だけが独占していればいい、という独占欲と、男同士のくだらない張り合いと。
そんな事情を知らない柚木には何が何だがわからないうちに、酔いに任せた槇の腕に翻弄された。
「……しかも酔っぱらってるから」
「……こっちは酔ってませんからなおさら」
そこから先はさすがに往来で話す会話でもない。
どれだけ夜が長かったかは、二人がぐったりしていることからしても推して知るべしである。
これから会うはずの藤枝の彼女は今日仕事に行っていたらしいので、藤枝はおそらくそんなことはなかったのだろう。
「……別に不満を言うわけじゃないんですけど。男って……」
「いい。皆まで言うな。アタシだって十分わかってるから」
小さくぼやきながらリカと柚木は駅への道のりをふたりにしてはゆっくりと歩く。
それも平和な悩みなのだとお互い、自分に言い聞かせながら。
――end