一緒に住むようになって、このところ、少し心配性に輪がかかった大祐と、このところ、集中力が落ちているのか、頑張って隠している天然さが浮き彫りになっているリカ。
金曜の夜も早く帰ってこられてゆっくりしていたからか、土曜日も遅めに起き出してからリカが朝食を作って、その後の、部屋の掃除は大祐が大半を受け持った。
洗い上がりを知らせる洗濯機に近づいたリカを、バスルームにいた大祐がひょい、と顔を見せる。
「リカ、それ。俺がこっち終らせたら干すよ。なんか、雨が降りそうだよ?」
「え、ほんと?」
マット類を洗ってしまったと慌てて、部屋に移動したリカは窓から空を見上げると、梅雨空らしくスッキリしない空模様で、朝起きた時は晴れていたのに、今は何とも言えない様子だ。
せっかく晴れたと思っていたのに、と困り顔でぺたぺたとバスルームの前に戻ったリカは、さっさと掃除を終わらせて、てきぱきとバスルームに洗濯物を広げている大祐の後ろに回った。
「……今日、晴れるって言ってたのに」
「誰が?」
「……テレビが」
笑いを含んだ大祐の声に、うっかり、昨日のコーナーで、と言いかけてリカは黙り込んだ。しばらく考えてから答えたリカにそれはそれは、と含み笑いを漏らした大祐は、ここはいいから、お茶でも飲もうよ、と振り返った。
「わかった。大祐さんはコーヒーでいい?」
「リカと一緒でいいよ。お茶、好きだし」
特にこだわりもない大祐の言葉を聞きながら、リカはキッチンに立ってお湯を沸かし始めた。
二人の部屋は、基本的に物が多くはないから、お茶もマグカップを兼用である。ノンカフェインのお茶を入れたリカがカップを運ぶ頃には袖まくりを下ろしながら大祐がテーブルの傍へと戻ってくる。
揃って腰を下ろしたところで、大祐の方がリモコンを手にした。
録画しておいた番組のタイトルをざっと眺めながら隣に座ったリカを引き寄せる。
洗濯物のために除湿をかけた部屋の中でソファに置いてある薄手のショールをリカの肩に乗せてそれごと、足の間に包み込んだ。
1週間分の録画タイトルの中で、気楽に見られるバラエティ番組を選んだ大祐は、横目で流し見るつもりでカップに手を伸ばす。
「ね、大祐さん」
「ん?」
揃ってのんびりとテレビを眺めているなんて1週間の中でも、土日の間しかない。その上、ここしばらくでは久しぶりに休みが一緒になった。
大人しく、大祐の腕と足の間に収まったリカが半分振り返って、する、と手を伸ばしてくる。
「この髭、柔らかいのね。もっと痛いのかと思った」
このところ伸ばし始めていたヒゲを撫でるように手を動かす。
「ああ。硬くないからだよ。だんだん柔らかくなる」
「ふうん」
すりすりと細い指が髭を撫でてくるのがくすぐったくて、テレビからリカに視線を移す。
「何?嫌?」
髭を伸ばそうとした時に、一度、リカには聞いてはいた。髭を伸ばそうと思うんだけど?という大祐に、首を傾げたリカは、想像ができないけど大祐の好きにしてみて、と答えたはずだ。
実際にそろそろ生えそろってきて、長さを揃えるくらいになってみてから、思っていたのとは違う、と言うこともあり得る。
「やっぱり嫌なら……」
「嫌じゃないけど……。メガネも髭も大祐さんじゃないみたい」
不思議そうな顔でまじまじと眺めてくるから、くすっと笑って、大祐はその指をぱくりと咥えた。
「ひゃんっ!何するの!」
「リカが変なこと言うからだよ。何言ってるの?俺は変わんないよ」
このところ、健康診断で少し落ちてきた視力もあって、銀色の丸メガネをかけていた大祐が指先で押し上げる。
「このほうがいいかなって思ってるんだけどだめ?」
「そうなの?」
「ん。なんか、俺、若く見られるけど、なんていうか、俺もそろそろいい年だし、頼りがいありそうに見えたらいいなって」
……え?と一瞬目を丸くした後、リカは思わずくすっと笑ってしまった。急に髭やメガネなど何か様子を変えたいのかなとは思っていたが、思いがけない理由である。
「それ、そういうことなんだ」
「うん」
「髭、あってもなくても頼りになるよ」
「そうかなぁ?」
再び笑ったリカは、指先で髭の上をゆっくりとなぞった。見慣れているようでいて、初めて見るような人の顔に思える。笑顔も、拗ねた顔も、怒った無愛想な顔も見てきたはずなのに、不思議な気がした。
「でも私、頼りない大祐さんも好き」
くしゃくしゃに顔を歪めて、心の膿を絞り出すようにしていた姿に、思わず手を伸ばしてしまった時を思い出す。
驚いた顔で、それから少しずつ変わっていった。
困ったようにへの字になった口元を髭を撫でていた指で、さらりと撫でる。
「私だけの大祐さんがいいなぁ」
「それはそうでしょ」
何をわかりきったことを、とリカの体に腕を回して、大祐はぎゅっとリカを抱きしめた。
「俺だけのリカがよかったけど、もうすぐそうじゃなくなっちゃうね」
「えぇ?なんで?」
「……俺だけのリカじゃなくなる」
何を……、と言いかけてようやくその意味に気づくと同時に大祐の腕にリカは自分の腕を重ねた。
「今から赤ちゃんに焼きもち焼くの?そんなこと言ったら、大祐さんだって同じでしょうに」
「えー……。そうなのかなぁ?」
忘れないで俺のことも構って、という大祐の手を今は叱る様に軽く叩く。少しだけふっくらしてきたお腹に手を回して、他に誰もいない二人だけの部屋だというのに、内緒話をするように密やかな囁きを繰り返す。
言葉のほかに、絡めた指先の方がおしゃべりに思えた。
指先が触れる先は、まだもう少し、深い眠りの中に・・・–。
―― end