せっかくの連休もクリスマスも目の前だというのに、なんだか浮かない気分を引きずったままリカは家に帰りついた。
確かに、街を歩いていても、クリスマス仕様のショーウィンドウや、ショップの飾りも、街中が華やかな楽しい雰囲気に包まれていることは見ているこちらまで楽しい気分になるから大好きではある。誰かに何かを贈るというのは、至極自己満足だが幸せな行為だ。
リカも、空井に何か贈りたいとは思っていたが、それもこうして新婚だからとか、からかわれ続けているとなんだか色褪せてくるような気がする。
バックを置いて、コートをかけると部屋着を用意しておいて、服を着替えるついでにバスルームへ向かった。
本当は、ゆっくりバスタブに浸かるべきだとわかってはいたが、熱いシャワーでこのもやもやした気分を洗い流してしまいたい。
ばさっと服を脱いで、シャワーのコックを捻ると指先を流れるシャワーにあてて湯が出てくるのを待つ。温度が上がるにつれて湯気が立ち上り始めたバスルームの中でリカは、メイク落としを泡立てた。
化粧を落として、髪を洗って。
少し無駄遣いだと思いながらも、流しっぱなしのシャワーを浴びて少しでも気分をすっきりさせたかった。
バスルームから出ると、温めて置いた部屋の中はあまり強烈な温度差がない。バスタオルで濡れた髪も体も拭うと、部屋着を身に着けてキッチンに向かった。
いつもなら少しでも早く、ローテーブルにおいたPCの前に座りたいと思うのに、今は気持ちを落ち着けてからじゃないと座れない気がする。冷蔵庫からノンアルコールビールを取り出すと、渋々、PCの前に腰を下ろした。
躊躇いながら立ち上げたPCが相手を呼び出すといくらもせずに画面の向こうに穏やかな笑みが映った。
『お帰り。リカ』
「おかえりなさい。大祐さん」
精一杯笑顔でPCに向かったはずなのに、勘のいい大祐には通じなかったらしい。すぐに笑みが曇って、どうしたの?と問いが降ってくる。
『仕事、大変だったの?』
「ん?なんで?」
『なんだか……、機嫌が悪そうだから』
―― こういうときだけは、気づかないふりしてくれればいいのに……
気まずそうに曖昧な笑みを浮かべたリカは、先に仕事中に電話したことを詫びた。
「今日は、仕事中に連絡してごめんなさい」
『いいよ。そんなに長い時間じゃないし、急いで確認したかったんでしょう?』
ん?とモニターの向こうでわずかに首を傾げた大祐に、小さくため息をついたリカは、あのね、と口を開いた。
「大祐さんに会えるのは本当に嬉しいの。だから、誤解しないでね?」
『うん。どうしたの?』
前置きをしたうえで、リカは昼間のやり取りを話し始めた。
「嫌だとか、そういうんじゃないの。お休みをもらえることもありがたいし、大祐さんに会える時間が少しでも長いのはすごく嬉しいことなんだけど……」
さらりと普段のリカなら照れてなかなか口にしないことを口にしたのに、リカの顔は曇っている。一度、胸の中のわだかまりを吐き出し始めると、止まらなくなったのか自分でもわかっていると言いながらも納得のいかなさを話す。
「仕事は仕事じゃない?私はきちんとやりたかったんだけで、変に気を遣われたくなかっただけなんだけど、皆にあんな風に言われると、私だけが我儘を言ってるみたいで……」
『わかるよ。その気持ち』
仕事は仕事。
自分達は確かに新婚かもしれないが、だからといってプライベートを仕事の言い訳にしたくないのに、現実には様々な場面で引き合いに出されてしまう。
リカらしいな、と大佑はハの字に歪んだ顔を眺めた。
「私だって、サボりたいときもあるし、大佑さんと一緒にクリスマスなんてって思わないわけじゃないのよ?でも」
『うん。俺がリカの立場でもそう思うだろうな。普通に仕事させてくれって。皆の好意に甘える時は甘えるけど、ただからかうんじゃなくて、例えば、何かでミスっても結婚したから浮かれて失敗したとかいわれたくないな』
「そう!そうなの!それとこれとは別なの」
確かに、心ここに非ず、ということは時にはあるかもしれない。大祐が東京に来るときはなるべく残業は避けたいと思う。だが、それを理由に仕事を疎かになどしてはいないのに、そういう目で見られることが堪らなくなる。
男よりも女性のリカの方が余計にそういう扱いをされてしまうらしい。家庭持ちでも子供がいたりする者は、学校という縛りもあるため、極力調整してやるべきだと思うのだが、リカの場合はそれもない。ほとんど、独身と変わりがないような状態なら余計な気遣いは無用と言いたかった。
「私は、今までと何も変わっていないつもりなのに、周りが勝手にそうじゃないっていう扱われ方をするのってなんだか納得がいかないの」
だからと言って、それを言うわけにもいかないんだけど、というリカには大祐も同意見だった。周りの皆は、悪気があっての事ではない。むしろ良かれと思っての事なのだから、その波が過ぎ去っていくのを待つ以外に方法はない。
それもリカ自身がわかっていることなのだろう。せっかく、話してるのにごめんなさい、と言ったリカに首を振った。
『いいんだ。かえってそういうの、話してくれた方が嬉しいし。しばらくは仕方ないと思って、聞き流すしかないよ。リカが何かしたわけじゃないんだし、リカの手が必要なときだってあるよ』
「うん……。でも、連休、一緒に過ごせるのは嬉しいの。金曜日にこっちにくる?」
『そのつもりでいるよ。4日近く一緒にいられるはず』
確約がないのが当たり前の二人の会話は、そんな風に流れていき、あとは今日食べたお昼ご飯の話、珠輝が取り上げた街角グルメの話など、いつもの話題に戻った。
「じゃあ、そろそろ寝るね」
『うん。風邪ひかないように暖かくして』
「はい。おやすみなさい」
『おやすみ』
回線を切断しても、まだ繋がっている気がして、ほっと力が抜けたリカは、もそもそとベッドに潜り込んだ。思えば、クリスマスも年末年始も年に一度の事なのだ。
過ぎてしまえば何ということもないと思い直して、電気を消したリカは瞼を閉じた。
リカの笑顔を見ながら回線を切った大祐は、一瞬暗くなった後、味気ない壁紙に戻ったPCを閉じて、その場にごろりと横になる。
からかいと共に、よく言われるのは、リカを一人にしておいていいのかということだ。
『いいのか、嫁さんを一人にしておいて』
可哀想じゃないのか、淋しい想いをさせているんじゃないのか。
嶋崎を初め、既婚者には大なり小なり、単身赴任状態の経験がある。だからこその言葉なのだろうが、大祐にもリカにも、ピンとこなかった。
もちろん、一緒にいられるなら一緒にいたい。
―― それはそうなんだけど、リカの仕事をしている姿をみて好きになったんだよなぁ
だから、二人は遠距離別居婚を選んだ。仕事をしているリカも、プライベートもひっくるめて好きになったからこそ、一緒にいるために仕事を辞めたいと言われたら止めていたに違いない。
結婚して初めてのことだらけではあったが、こんなところにもその立場になってみないとわからないことがあるとは思っていなかった。
電話を切る間際、リカの顔に笑顔が戻っていたことが嬉しい。
―― 俺はリカに会えるだけで幸せなんだけどな……
ぽつりと呟いた大祐は、のそのそと布団へと移動していった。