FLEX54*~家族と彼と絵に描いたようなドラマ 8

「俺もそんなに弱くないっすよ。義兄さんもそうだと思いますけど、母さんも飲むし、俺も男なんで、そこそこ鍛えられますからね」
「そうなんだ」
「ええ。姉貴は、すごく弱いんです。弱虫で、本当はすごい人見知りで、優しい人なんです」

それは大祐にもわかる。頷いた大祐に、智は缶に残るビールを飲んだ。

「ずっと、母さんはこういう人なんで、父さんが亡くなって、その分も仕事をこなして、家に帰れない日だって多かったし、学校の行事なんかも来れない日が多くて。そんなときはずっと姉貴が来てくれたんです。4つ違いって、便利なのよって言って、授業参観も来たし、個人面談とかもね」
「そうねぇ。私が行くわよって言っても、私には仕事があるでしょって言って、譲ってくれなかったりしたのよ。あの子」

その頃のリカが目に見えるような気がして、大祐は葉子と智の顔を交互に眺めた。

「俺らが酔っぱらってるふりしてると、姉ちゃんは酔ってもあそこまでひどくならないし、しゃんとしてるからね」
「そうそう。だからね、こういう時は好きなだけ飲ませて、言いたいこと言わせて、ガス抜きしてあげないとあの子はそういうのが本当に下手だから」

そう思わない?と言われた大祐は、笑みを浮かべて首を振った。

「いいえ、ガス抜きなんていらなかったんですよ。きっと」
「そうだといいんだけどねぇ。大祐さんにも迷惑かけてるんじゃないの?あの子、素直じゃないから」
「そんなことないですよ。いつも一生懸命で、とても可愛い人です」

聞いていた智が嬉しそうに笑う。
ずっと、社会人になってなりたかった報道になった後も、ぎりぎりと張りつめたまま仕事をしていたリカを知っている。一番荒んでいた頃は、智のところにも母のところにもよりつかなかった。

「姉ちゃんがしんどかった頃があったなんて、俺は知らなかったけど、それも全然不思議じゃないんですよね。姉ちゃんらしいなって。そんな姉ちゃんを大事にしてくれてありがとうございます」

くいっと軽く顎を引いただけなのに、それは今日会ってから一番素直で、まっすぐに大祐に届く言葉だった。

「馬鹿ねぇ。そのくらいの人じゃないとリカをもらってくれるなんて言うわけないでしょ」

ばしっと智の頭を軽く叩いた葉子は、大祐の顔をまじまじと見つめる。
しばらく眺めた後に、水のグラスをちん、と大祐のグラスに軽く当てた。

「大祐さん。あなたもね。家族を守るっていうことは、単純にリカの傍にいればいいってことじゃないの。二人には二人のやり方があって、傍にいなくても、お互いを守ることはできるから、いくらでも試行錯誤して見つけなさい。そういう二人の姿は、あなたたちの後に続く人たちにも確かな力になるの。私なんかもね。私の世代は、シングルマザーなんて極貧、昼も夜も働いて、なんて勝手なイメージばかりが多かったし、仕事で遅くなって子供が可哀そうってよく言われたわ」

そうなの?と智までが意外そうな顔を見せる。
新聞記者の父と、編集の母という組み合わせは確かに、ただでさえ子育てを考えれば大変だっただろう。まして、今よりも世間の目は厳しかったはずだ。

「でもね。男も女も、仕事をして、自分の生活する足元をしっかりするのが当たり前なのよ。それがあってこそ、家族も守れるし、子供たちだって育てられるんだから」
「えー。母さん、じゃあ、主婦の人はどうすんの。俺、結婚したら仕事しないでい家にいて欲しいと思うんだけどなぁ」
「馬鹿ねぇ、この子は。主婦が仕事していないと思ってるの?今は主婦の労働単価だってちゃんと出されてるのよ?家事をするってことがどれだけ神経を使って、繊細でクレバーな仕事か知らないなんて情けない。会社勤めや外で仕事しているだけが仕事じゃないの」

あっさりと否定されたものの、こんな話は滅多にしないのだろう。智は、眉を上げてほらね、と、姉と似ている母に苦笑いを向ける。
リカを気遣っていた母と弟の話を聞いていたはずが、いつの間にか話が変わってきたぞ、というサインでもあった。

「子供でもできたらもっと大変になるでしょうし、お互いの仕事が仕事だから周りからも色々言われることもあるかもしれないけど、そんなときは落ち着いて周りを見て、自分たちでできることはする、できないことは周りの力を借りる。これ絶対よ。そして無理しないこと」
「はい」
「私はもう、あなたの親になったんだからね。言わせてもらうわよ」

おどけた口調でそう言ったが、葉子が本気でそう言っているのはよくわかる。リカの正義の根源はここにあるのかと思えるほど、公正な人に見えた。

「さ、私は自分の部屋で休むし、智も、昔の自分の部屋を使うから、大祐さんは悪いけど、そこの和室にお布団敷いてくれる?あの酔っ払い娘と一緒で申し訳ないけど」
「とんでもない、やります。やります」

リビングに続く、六畳には少し狭い印象の和室を示した葉子に続いて大祐は立ち上がった。まださビールをちびちびと飲んでいる智を置いて、和室の押し入れを開けると、葉子に支持されるまま布団をひっぱり出す。

「これと、これ。部屋はあったかくしてるけど、これで寒かったらこっちも着てちょうだい」
「ああ、はい。十分です。向こうはもっと寒いのでこれで十分温かいですよ」
「そ?じゃあ、はい。私こっち敷いてる間に、あの酔っ払い娘連れてきて頂戴」

言われるままに二組の布団を用意すると、ソファですっかり寝込んでしまったリカを抱き上げ連れてくる。ビール缶を置いた智が、傍まで近づいてきた。

「やっぱ、義兄さん。細く見えてもすごいね」
「そりゃね。リカの一人くらいなら全然大丈夫だよ」

俺も見習わなきゃという智を置いて、葉子が整えてくれた布団の上にリカを寝かせた。
服が皺くちゃになりそうだと思ったが、葉子や智がいるのに、着替えを勝手にさせるわけにはいかない。そうっと声を落とした葉子が仕方がないわねぇと言いながら布団を着せ掛けた。

いつの間にか姿を消していた智が自分のだけど、といってスウェットを持ってくる。

「寝間着代わりに着ちゃってください。全然、新品じゃなくてごめんなさいだけど」
「あ、それは全然。自分もこのまま寝ようかなって思ってたくらいだからありがたく借りるよ」

礼を言うと、俺もそろそろ寝るんで、と言って智は自分の部屋へと姿を消した。
そう言えば、家は出ているはずじゃというのが顔に出たらしく、葉子がくいっと親指を立てて玄関の方を指す。

「あの子のもとの部屋なの。自分の部屋は狭いからってまだたくさん荷物置いたままなのよ」
「その気持ち、よくわかります。自分も実家にはまだたくさんありますよ。住んでる部屋はいつ転勤になるかわからないんで、最小限しかおかないんですけど」
「まあ、その方が身軽でいいわよ。さ、私も休むわね。おやすみなさい」
「たくさんご馳走になりました。おやすみなさい」

ひらひらと後はよろしくと言って、自室に引き上げた葉子の代わりに、キッチンやリビングの電気を消して歩いて、最後に和室の襖をそっと閉めた。

マンションの和室というと、窓もなく襖を閉めれば真っ暗になる。リカを起こさないように携帯の明かりを頼りに、さっさと着替えた大祐がリカの隣に横になった。

暗い部屋も、いつもと違う天井も、人の家の布団も、何もかもが違う。いつ、どんな時でもどんなところでも眠れるように訓練してあるはずなのに、何だか寝付けない。

―― そっか。俺、嬉しいんだ……

籍を入れて、式をして、これだけ時間がたって、稲葉リカという一人の人間の隣に本当に立った気がする。
正直なところ、今までそれほど身近ではなかったリカの家族に自分も加えてもらって、リカのルーツを識ったような不思議な感覚が、何だろうと思っていた大祐は、自分が感動していることにようやく気付く。

素直じゃないところも可愛いと思っていたリカの一面も、義母のまっすぐな姿勢も、二人の女性の間でひどく柔らかに育ったらしい義弟も。
出会えたことに感謝だった。

人は、その人だけでなく、その人の周りも環境もすべてを含めてその人なのだと初めて思う。
今まではそんなことはなくて、仕事は仕事、周りの手助けには感謝するが、その周りの人間がいいだけで、自分には関わりがないと思っていたが、とんでもない気がする。

もしかすると、リカにも自分のことがこんな風に見えているのかも思ったら楽しくなってきて、そういえば年末にリカが、スキーの後、妙に嬉しそうだったのを思い出す。

あの時のリカも仲間に入れてもらった気がして喜んでいたのかもしれない。

「だとしたら、僕らは本当に似たもの夫婦ってことだ……」

不器用で、まっすぐで、ほかの人なら気にも留めないことに感動して、時には小さな焼きもちも抱えて。

いつだったかリカが言っていた。

『大祐さんが、いつか防大に行った時に、僕達はエレメントだからって言ってくれたでしょう?あの後、私、少し調べたんです。エレメントって元素っていう意味もあって、根本にあるものっていうことでもあるみたいなんです。だから、私たちは根本にあるものが同じだったら素敵だなって』

あの時は、リカほど素敵な人と同じだとしたら嬉しいのは自分の方だと言った気がする。

ひどく幸せな一年の始まりに心から感謝しながら大祐は目を閉じた。

投稿者 kogetsu

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