だだだっと廊下に響く音をさせてマンションを駆けた大祐は灯りのついた部屋を見て、ますます急いだ。鍵を開けて、玄関に入ってから、律儀に鍵を閉めてドアロックをかける。
「リカ?!」
「はぁい。おかえりなさい。どうしたの?そんなに急いで」
「だっ……て今日は遅いって言ってたし、俺が夕飯作るって約束してたのに」
息を切らした大祐にキッチンから顔を覗かせたリカはあはは、と明るく笑った。
「ちょっと悔しかったから早く帰ってきたの。その分、明日は早めに行かなきゃ。それより早く着替えたら?」
「あ……。うん」
拍子抜けするほど朝とは打って変わった反応に目を瞬かせた大祐は、あれっと思いながらバックを置いてジャケットを脱いだ。汗臭くなった自覚はあったので、スプレーだけ済ませて、スーツからTシャツとトランクスになって着替えを手にした。
「そのままシャワーしちゃって?パスタだけど、大祐さんが出てくるまでには出来上がるから」
「うん。あの……リカ」
「んー?」
「怒ってないの?」
振り返った大祐にリカは首を傾げてから、ああ、と笑った。
「今朝のこと?」
「うん……。俺、なんかリカのこと怒らせちゃったんだよね?」
ははっと笑ったリカがひらりと片手を振った。
「後で話そう?別に逃げないし。私もちっさいことでムキになっちゃったから」
ぺろっと舌を出したリカをみて、ほっとした大祐は頷いてバスルームに向かった。
いつものように頭から湯を浴びて、シャンプーとボディソープがほとんど同じような役割になって、泡と共に流れていく。
頭の先からつま先まで湯で流しきると、掌で体の水滴を振りはらった。
がしゃん、とバスルームの入り口をあけて、タオルに手を伸ばすとキッチンでフライパンと格闘しているリカが見える。二人分といっても大祐が食べるので、それなりに重いのだ。
体を拭ってからバスルームの中で着替えを身に着けた大祐は、ふかふかのバスマットの上に足を下ろした。
Tシャツの上にバスタオルを羽織って、濡れた髪を拭う。ざっと拭った後、タオルを洗濯機に放り込む。その間に、さらにパスタをよそったリカが流しにフライパンをおいた。
「タイミングばっちり。大祐さん、運んでもらっていい?」
「うん。うわ、めっちゃくちゃお腹すいてきた」
鼻先から胃袋を刺激する香りに、大祐が情けない顔になる。満足げに洗い物を手早く済ませたリカは、先に作っておいたサラダを冷蔵庫から取り出した。合わせてビールの缶を二本出す。
「運ぶね」
「お願い」
フォークと一応、スプーンを取り出して、グラスも二つ。
先に腰を下ろした大祐の隣にリカが座った。
「めちゃくちゃおいしそうでたまんない。先に食べてもいい?もちろん、話しながらってのはもちろんだから」
「うん。もちろん食べて」
頂きます、と両手を合わせてから大祐にビールを注ぐ。二つのグラスを満たした泡が盛り上がるのを見ながら、大祐が先に一口、パスタを口に入れた。
「うまっ!」
「ありがと」
「こんなだったら比嘉さんと一杯ひっかけてきたりしないでさっさと帰ってくればよかったよ」
よほどそそられたのか、一口がますますいっぱいになって、頬が貼る。
先にビールを飲んだリカは、ん?と首を傾げた。
「比嘉さんと飲んできたの?」
「あ、いや」
ちょっと待って、と手を上げた大祐が食べ終わるのを待って、口を開いた。
「比嘉さんと飲んだっていうんじゃなくて……。ちょっと相談したんだよ」
「相談?」
何を?と視線で問いかけたリカに、大祐の眉がハの字に開いた。相談の種の張本人がそれを聞くのか、である。
フォークを操りながら指先でリカをちょいちょいと指した大祐がリカのことだと言った。
「リカを怒らせちゃったみたいだからどうしたらいいかなぁって相談してたの。あ、それに、リカだっていつの間に比嘉さんとメル友になったの?」
「えー?メル友って今言うのかなぁ。でも、時々メールしてるのは本当です。奥様もすごく素敵な方でいつもレシピとか教えてもらって……。って違~う。時々、大祐さんの仕事とか教えてくれるんですよ。今日は忙しいよ、とか」
「そうなの?!」
知らない間に出来上がっている連携に驚いてしまう。さすがは比嘉と言うべきだろうか。
「だって、大祐さん。忙しくなっちゃうとあんまり教えてくれなくなるでしょ?それに、大祐さんそう言うけど、藤枝や珠輝たちともメールやりとりしてるでしょ?おあいこだと思うけどな」
「あ、それはさ。だってリカだって、大変な時にあんまり言わないから藤枝さんとか佐藤さんに教えてもらわないと」
「わかってる。だから私も比嘉さんと仲良しなの」
比嘉の暗躍はいつものことだけに何を言っても仕方がない気がするが、リカの口から仲良しと言われるとむっとしてしまう。
比嘉相手に嫉妬なんて馬鹿だと思うが、その相手が誰であれリカの口から、大祐以外の男が仲良しと言われたくない。
「俺だって!藤枝さんと佐藤さんと、仲良しだもん!」
無駄なところで意地を張る大祐にリカが小さく笑った。