揺らぎ

僕らの時代という番組が好きで、よく、日曜の朝の楽しみにしてます。
直近のものもみました。頷きながらそうよねぇ、と思う。

さて、ここしばらくの内でこの土日は結構な量のお話を書いた気がします。

予想を上回る反応に慌てて続きを書いたわけですが、やっぱり途中で揺らいだ自分に未熟者だなと思っています。

書かなくてもいいエピを追加して、書くはずだったエピを削った。きっと、ボーダーを超えるだろうから。

ゴールと出来事は変わってないし、大筋では影響ないけど、いやはやまだまだだな、と頭を冷やして反省しているところです。

最近は落ち着いたみたいですけど、明日ママがいない、というドラマに対して、だいぶ批判がありましたね。

あの時にも似たようなことを思ったんですが、予定調和だけのドラマが面白いだろうか。
毒であれ、気になって、誰かを振り向かせることができてこそ、底の方に横たわっている何かを伝えられる瞬間ってないだろうか。

あのドラマ、個人的には予告やキャッチが苦手でいたそうだから見なかった。
私は見ないという選択肢を選んだ。だけど、その中でどういう風に語られていようと、それを批判する気になったかと言うと、なかったと思う。

それよりは、役者さんと役があってなかったり、棒読みだなぁって言う方ががっかりするくらいで、見ない、という選択肢は私の中では存外大きな影響力を持ってる気がする。

二次とはいえ、そこそこ、お話を書いているといろんなことにぶつかって、本家の方では、それこそ、たくさんのコメントをいただいていました。

時には、痛いだろうなと思いながらもそういう話がありえるなら書くし、逆に、本当にお花畑のようなありえない人物像と言うのはあまり描かない気がします。

だからこそ、時にはネガティブなコメントも舞い込んでくる。

でも、そこにエクスキューズはないと思ってます。ちゃんと伝えられなかっただけ。
二次だからとか、そんなことは関係ない。誰の目にも触れる場所に書く時点でそれは絶対だと思う。
だから、ブログのような自分の日常を書いたり、ツイッターとか、何を書いていいのか迷うのか、と余談ながら思ったり。

何にせよ、二次であろうが、オリジナルだろうが、100%、誰からも好かれるなんてことはないし、100人いれは、100通りの目線があって当然だと思う。

同じ好きでも100通り違う好きがあるだろうし、嫌いも100通りあると思う。

そして、それと同じように、予定調和で何の起伏もないお話があれば、ジェットコースターのように急加速する話もあって。
それもこれも、人間だから。矛盾を抱えた人間だからのことで、だから人が好きなのだと思います。

書き手冥利としていい週末だったと言ったら、不快にさせてしまった方や、ハラハラさせてしまった方には申し訳ないかもしれない。
でもその方たちにもありがとうと頭を下げたいと思っています。

ネガティブであることを表明するのもパワーと責任がいることだから。
私の考えとは違うけど、それを伝えてくれたことに感謝したいなと思う。

最後まで揺らぎを押さえて、書き続けたいなと今はこっそり思って寝ようと思います。

 

 

投稿者 kogetsu

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