7月30日
酔って帰った23時半。
お休みと言いながら明日の到着を聞くつもりで電話をした大祐は、電話を切ろうとするリカを宥めていた。
「いいから言ってみて。リカ」
「いいの。お酒飲んで帰ってきたのに、ごめんね。もう休んで?」
航空祭だけでなく、川開きの前も地元の議員さんや有力者を集めた懇親会が行われる。彼らの協力がなければ円滑に事は進まないからだ。前日、地元の有力者を集めた懇親会を終えて帰ってきたあと、電話をかけたのだ。
ひどく元気がないリカから話を聞き出そうとして、すでに30分が過ぎていた。
「リーカ?リカの悪い癖だよ。俺には何でも話してって言ってるよね?」
「……明日」
「うん?」
「予行の時間、13時過ぎだよね?」
公式に行われる特別展示飛行は1日の13時からだが、今の隊長のラストフライトという予行は31日の13時過ぎから行われる予定だった。
酔う、といってもべろべろになっているわけではない。
まして、予定時刻を忘れるわけがなかった。
「うん。リカは朝に来るんだよね?」
「……あの、ね」
言い淀んだリカに、いくら鈍くてもさすがにわかる。おそらく、仕事が忙しくなって休みがとるにとれなくなったのだろう。苦笑いを浮かべた大祐は電話の向こうで落ち込んでいるらしいリカに、おどけて見せた。
「仕事熱心な奥さんは、やっぱり仕事になっちゃった、とか?」
「……珠輝が」
言い淀んでから、思いきったのか、リカは重い口を開いた。
珠輝が胃腸炎になってしまったこと、引き継ぐだけは引き継いできたが、どうしても明日の朝は局に行かなければならないのだと言った。
「本当にごめんなさい。仕事が終わり次第、急いで向かうんだけど、ぎりぎりか……間に合わないか」
「仕方ないよ。間に合うかもしれないんでしょ?気にしないで。本来の展示飛行は1日だしね」
「ん……」
ひどく落ち込んでいるらしいリカに無理しなくてもいいのに、と思う。
「リカ?本当に無理しなくてもいいんだよ。何度でもある、とは言わないけど、俺達の異動はよくあることだし」
「うん……。私、普通に夏休みしてみたかったの。いっつもバラバラにとったり、時期外れにとったりしていたけど、今年は夏らしくお休みにしたかったの。去年も慌ただしく過ごしちゃったし」
「そうか。でも、1日だけでしょ?大丈夫だよ」
黙り込んだリカに、重ねて尋ねると土曜日は仕事になりそうだと言いだした。
どうしても、終わらない仕事があって、それは週明けには出来あがっていないとまずいものらしく、日曜は機材やそのほかの関係でだめらしい。
大祐さんのところにいたかったのに、と呟いた。
「なんだか私が休むのが我儘みたいで……、もちろん珠輝のことも心配だけど、なんだか……」
「わかるよ。でも、リカは我儘なんかじゃないよ。お休みって皆とるんだろ?」
「そうなんだけど……」
「俺は時間は短くなるけどリカに会えるのは嬉しいし、俺が仕事してるところを見に来てくれるのも嬉しいよ。ブルーを飛ばすところをまた、リカに見てもらえるんだから」
ね、と宥める声に何度もリカは頷く。
せめて、明日は早く出社してできる限り早く仕事を終わらせるつもりでリカは、携帯を握りしめた。
7月31日
午前7時28分
驚くほど早い時間にリカは局にいた。
着替えや荷物は最小限にして持ってきている。終わり次第、向かうつもりでリカは仕事を始めた。
しばらくして、携帯が鳴る。大祐からのメールだ。
『おはよう。これからいってきます。リカも無理しないでね』
昨夜、散々ごねてしまったが大祐はいつも通り穏やかに受け止めてくれた。
―― よし!私も頑張らなきゃ
行くと決めたのだからもう腹をくくろう。そして楽しもう。忙しいことも、こうして時間ぎりぎりの綱渡りの時間さえも。
携帯に指を滑らせてリカはメールを返した。
『絶対。短くても間に合わなくても大祐さんには会いに行くから!行ってらっしゃい。無事に過ごせますように』
よし!と気合を入れなおしたリカは、全力で仕事に向かった。
* * *
リカからメールが返ってきたのは、大祐が基地に向かう車の中でだった。リカからの分はメールの着信音もバイブも変えてある。それを見なくても中身がわかる気がした。
「わかってるよ。リカも頑張って」
前を見据えたままそう呟いた大祐は、ステアリングを握る。少し雲は多めだが空は晴れていた。
予行の後はお決まりのウォーターファイトが予定されている。今日は民間の取材も予定されていた。もし、リカが間に合わなくてもその取材データでリカにも見せてあげられるかもしれない。
「おはようございます」
ゲートで挨拶して、車をいつもの定位置に止める。車を降りる前に携帯を開いた大祐はリカのメールを確認する。思った通りの内容に大祐は笑みを浮かべると、車から降りて歩き出した。