2年という時間がリカに与えてくれたのは、仕事と短くなった髪と、増えてしまう自衛隊関係の資料だった。
りん串から帰る道で、リカはどうしても動けなくなって足を止めた。
懐かしい顔ぶれも含めて、かつての広報室のメンバーが集まった、楽しい席だったはずなのに泣きたい気持ちが胸の底から溢れてくる。
「……私、何してるんだろ。こんな道の真ん中で……」
階段を下りて、駅に向かって、改札を抜けて。
電車に乗ればいくらもせずに最寄駅について、家だというのに。
まだにぎやかな飲み屋もある場所で、酔客や帰り足の人たちのいる場所なのに、道の脇に立ちすくんでいる。
行ってほしい。
そう言われて零れた涙とは違って、今の涙は2年前に封じ込めたものだ。
泣いたら、前に進めなくなる。松島にはいけなくなる。
そう思っても、胸が痛くて仕方なかった。
『お元気で』
そう言われ、最後に空井が大きく振った手をいまだに覚えている。
何度も、何度も夢の中で繰り返して、再生するのに、同じところで同じように涙も溢れて、何度も空井は大きく手を振って、離れていく。
後悔しているのだろうかと、自分でも繰り返し取り出しては眺めるように、心の中で転がし続けてきた。
「私、何ができるのかな……」
何が伝えられるだろうか。
私でいいのだろうか。
きっと心を鎧で固めて行っても、空井には通用しない。一瞬で、その内側に入り込んでくるだろう。
それでも心を固めていかなければ、いくら仕事でも向き合える自信などなかった。
結局、その日が来るまで、機械のように感覚を殺して手配や段取りを進めた。それしかできなかったという方が正しいかもしれないが、やるべきことを淡々とこなしていくリカに、珠輝は藤枝から話を聞いたのか、余計なことは何も言わず、代われる仕事はすべて先回りして動いた。
坂手と大津への手配もすべて、準備が整って、一足先に現地に入るリカに、ぐっと拳を握りしめた珠輝は何度も頷いた。
「頑張ってきてください!稲葉さん」
「何よ。頑張るって。仕事だよ?普通に頑張るよ。お土産、期待しないでね。重いのは嫌だから」
「全然!大丈夫です!萩の月でも牛タンでも待ってます!」
「こら」
いつものバックに少しの泊り支度を詰めて、淡々とリカは東京駅へ向かった。
新幹線の時間を確かめて、挨拶用の菓子折りを買い求めて、新幹線用の改札を抜ける。目の前に指定をとった列車が滑り込んでくると、足がすくんだ。
―― 怖い……
ドアが開いて、並んでいた列が動けば動かざるを得ない。
だから、前の人に続いて列車に乗り込んで押さえた席に座って。否応なく近づいていく時間が苦しくて、仙台駅に着く頃には頭の中のスイッチを切って、列車の時刻表示を見ながら進む。
一度、来た時は矢本駅まで電車が通っていたが、今は途中までだから、その時間も調べて向かう。
到着予定は、比嘉を通して伝えてあったが、それよりも早めについておきたかった。
乗り継いだバスは思った以上に時間がかかって、焦りがリカを襲う。駅について空井が到着していたらと思うと、いてもたってもいられない。道の傍にオブジェとして飾られているT2が見えてくると、すぐに矢本駅の小さなロータリーに止まった。
駅の目の前に立って、空井らしき姿がないことにほっとすると、小綺麗に整備された小さな駅と、駅の周りを見渡した。
「……!」
目の前の道路の先で信号を曲がったブルーの車がまっすぐに向かってきて、ロータリーの手前に徐行して止まった。そちらに向かって数歩近づいたリカは、すぐに足を止めた。
心臓が飛び出しそうなくらい緊張が走る。
険しい顔で車から降りてきたその人は、迷彩服に身を包んでまっすぐにリカに向かって歩いてきた。その人に向かって、リカも歩き出す。
顔を見た瞬間、自分は何をするために来たのか、背筋にぴしりと筋が入った気がした。
「お久しぶりです」
ぐっと胸を締め付ける懐かしい声に一瞬だけ、心が揺れて。
それから、同じ挨拶を返した。
―― 私は。
私は、ここに、仕事で来たんだ。
「行きましょう」
その声に促されて、久しぶりの空井の車に乗り込んだ。
同じ空間の中にいて、息を吸い込んだ。
私は。この人の言葉を、この人を通して、伝えられる言葉を一つも漏らさずに拾って帰るために来たんだ。
これまでのリカの生きてきた時間が、今のリカをまっすぐに立たせていた。
かつてきれいだと思った空井の背のように、まっすぐに空井をみたリカの口角が自然に上がった。
目の前で涙を浮かべた山本の話を聞いた後、空井と屋上に出て、話を聞いた。
以前、話を聞いた時の比嘉の姿がダブって見える。
話しているうちに空井が、涙を浮かべた。
「スイッチを切って動けるのに……。なんで……」
―― 私も。私もそうでした……
画像をチェックしている間に、勝手に流れる涙に何度、自分自身を叱責しただろうか。
この画面の向こうには、その渦に巻き込まれている人たちがいる。
そして、その場所で、一人でも救いたいと働く人の中に、空井もいると思ったら自分に泣く資格などないと何度思っただろうか。
申し訳なくて、自分が情けなくて、流れてしまう涙にしゃがみこんでしまったリカを、優しく撫でる手が悲しくて、痛すぎて。
その時、あの日別れた後に、空井から送られてきたメールの最後を思い出す。
『幸せになってください』
―― 私の居場所は……。この人の傍にいてはいけないんだ
きっぱりと、もうできることはないと言い切った空井から突き付けられたとき、リカの胸の中に風が吹いた。
――next