「稲葉」
声をかけられて顔を上げると店員を追い払ったのか藤枝がパンフレットを差し出していた。
「それ、いんじゃないの。どっちもシンプルだし、石が入ってるけど、内側なら二人とも文句ないだろ?」
プチマリエというブランドのSt.Ceciliaというコレクションの掌の乗るくらいの四角いパンフレットを手渡される。
永遠の愛とかうたわれると、恥ずかしい方が先に立つが、見開きのパンフレットにはさりげなく価格も乗っていた。4,5種類乗っているが、どれもシンプルなもので内側に彫があったり、石が埋め込まれているものだった。
「いいかも」
「だろ?俺の見立てのセンス!最高じゃん?」
パンフレットを眺めているリカを、ショーケースに両肘をついて眺める。
時々視線が彷徨うのは、実際に指輪をしている空井の姿でも思い浮かべているのだろう。
―― 幸せそうな顔しちゃってまぁ……
本人にその自覚はなかったとしても、日頃見せたことのないリカの蕩けるような笑顔を見ていると、じわりと藤枝の顔にも笑みが浮かんだ。
「うん……。これ、空井さんに相談してみる」
「ん。あっちもあんまりゴツイのよりこういうののほうが空井君だっていいんじゃないの。……じゃあ、おねーさん、こいつがまた今度彼氏連れて来たらよろしくね。俺は別口でよろしく」
ぱちん、ときれいなウィンクを残してリカと藤枝はショップを後にした。
「ごめん。藤枝。付き合せて。ご飯、奢る」
「ああ。もちろんだとも。そうだなー。アジア飯でもいくか」
「ん」
連れだって、夕食に向かうのも自然で、ほとんどデートじゃないかという自覚はリカにはない。
学生時代には彼氏もいたが、報道のにいた頃など、それこそ空井達並に振られる要素に事欠かないと思った時点で、きっぱりとそういうものは捨て去ってきたのだ。
通りすがりのフラワーショップの店頭に、小さな花束が可愛らしい英字新聞のようなものでラッピングされていた。
「お、ちょっと待てよ」
足を止めた藤枝がひょいと、その一つを手に取ると、ポケットから金を出して買った。
「お前、この前のはでかい花束だったからドライフラワーにしたって言ってただろ?」
ひょいっと放り投げる様に渡された小さな花束は片手で持つのに十分なくらいだ。
「これならコップにでもはいるだろ?」
「入るけど……。なんで?」
「お前のモノクロだった生活を少しでもさ、空井君がいない間にカラーにしてやろうとしてんじゃん?ま、しいて言えば俺の愛情?」
「何、馬鹿な事いってんのよ」
あっさりと藤枝のセリフを流しながら、それでもありがとう、と言って受け取った。
特に他意なく、その中から一本花を抜いたリカが藤枝に差し出す。
「何」
今度はリカの方が言われる番だ。
本当にリカに他意はなかった。ただ、花束を二つももらうなんて、今日付き合せただけでも悪いと思っていたのにな、と思っただけだ。
「別に。何となく。お礼?」
「お礼って男に花渡すかぁ?……ま、貰っとくけど」
―― ほんとに……ニブイ女
空井の事をよくリカが無意識に恐ろしいことをいうと言っていたが、そう言う自分自身も無意識にやっていることを自覚すべきだと思う。
本人には言わないが、やれやれ、と藤枝はもらった花をジャケットの胸に収めた。
『というわけで、今日、色々と見て歩いてきたんですが、ちょっといいかなというのを見つけたので、次に逢った時にでも見せますね。アジア飯もおいしかったです。東京駅周辺って私達には、意外と行き帰りに寄るのもいいかもしれないです。今度、ぜひ大祐さんを連れて行きたいです。
すみません、長いメールですね。
電話しちゃうとまた今夜も切れなくなるので、絶対、今夜は電話しません。大祐さんもかけてきちゃだめですよ』
パソコンから長いメールを書いたリカは、送信ボタンをクリックした後、ふう、とため息をついた。
テーブルの上にはもらってきたばかりのリングのパンフレットが置いてある。
きっとそんな話など後付けなのだろうなと思わなくもない。テレビ局のようなところで裏側のある環境を知っているだけに、こういう物を売るときも、どこまで本当でどこまで見た目のためにパッケージ化しているのだろうかと思ってしまう。
それでも、その小さな紙にきれいに印刷されたもの見ると、裏側を忘れて信じたいとも思う。
「……やだな。こういう乙女キャラじゃないんだけど」
一人でいるのに照れくさくなってリカは立ち上がる。お風呂に湯を張ってゆっくりとつかってから髪を洗って風呂から出た。
ここ何度か、休みの日でゆっくり風呂に入るということも、出た瞬間に空井の目を気にせずにゆっくりとすることもなかったために、妙な解放感のようなものさえ感じる。
キャミソールとヨガパンツを身に着けて、PCの前に戻ると携帯の着信が点滅していた。
藤枝とアジア飯を食べ終わった後に軽く飲んでから帰ってきたので、もう22時を過ぎている。
―― もう、電話しないって言ったのに
約束したはずなのにと思いながらもやはりその電話を確認してしまう。
と、着信ではなくメールが届いていて、それを開いた。
『電話は駄目って言われたら、あとはどうしようもないんだけど。やっぱり怒るかな?』
くすっと笑ってしょうがないなぁ、と呟く。
『そんなことで怒りません。本当はやっぱり会いたいし、声も聞きたいし』
そう送っていくらもしないうちに、廊下を歩く音が聞こえて、ピンポンとドアチャイムが鳴った。下のインターフォンではなくドアが鳴ったことに驚いたリカがそうっと玄関を伺うと、二度目はこんこん、とドアが叩かれる。
直接部屋に来る相手など思いつかなくて、誰だろう、とドアに近寄ることもなく様子を伺っていると携帯が鳴った。ちょうど開いていたメールフォルダに空井から一通。
『玄関、開けてくれる?』
「え?!」
慌ててドアに駆け寄って、のぞき穴から確認したリカがチェーンと鍵を外してドアを開けた。
「よかった!これで怒られたらどうしようかと思った」
リカが鍵を外してドアを開けようとした瞬間、向こう側から引っ張られて、大きく開いたドアから入ってきた人影に抱きすくめられる。
「ちょ、なんで?!」
「だって、先週、すごい寂しそうな顔してたし、車だったら新幹線の片道分くらいだから」
―― 車?
リカの方から今後を考えて、会わないと話したのに自分から言い出しておいて、ひどく切なくて、距離があるってこんなに大変なんだと思うと、胸が苦しかった。せめてもう少し、一緒にいるようになってからならよかったのに、と思っていたのだ。
「車で……きたの?」
「うん。近くの1日いくらってところに置いてきた」
リカを抱いたまま、玄関の中に入った空井は、後ろ手に鍵を閉める。ぎゅっと抱きしめられているのになんだか、ひどく現実感がなかった。
素のままの腕で空井の体をぎゅっと抱きしめ返すと少し汗ばんだ背中がぴくっと動いた。
「……あの、ね。嬉しいんだけど、その格好だとリカが困ると思うんだけど」
「え?あっ!!きゃっ!!」
キャミソール一枚では空井にとっては嬉しいことこの上ないだろうが確かにリカには困る。
慌てて空井から離れようとしたリカの細いストラップだけの肩にちゅっと口づけた。
「ご馳走様」
「馬鹿っ!」
今度こそ無理矢理、空井の腕から逃げたリカが大慌てで部屋の中へと逃げ込んでいった。