月夜のうさぎ 2

「なんか……情けなくてすいません。その……あんなに青白い顔をしたリカなんてみたら動揺しちゃって」
「ふふ。本当に私が具合が悪かったらどうするの」
「その方がまだ……。あっ、いやっ、その……」

妙に歯切れが悪くて困っている大祐がおかしくて、くすっと笑いながら両手で包み込んでいた味噌汁の椀からすこしだけ飲む。喉を通って温かさが流れ込んだ。

「おいし……」
「よかった!」

女子にしかわからないだろうが、鈍い痛みとそれをかばうためか、気温は暑いのに、寒いと感じる自分がぎゅっと強張っている。そこに温かい味噌汁はほうっと息をつかせた。

リカの顔がはっきりと緩んだのを見て、見ている大祐もほっとする。
頭ではわかっていても、すぐそばにいる大事な女性のこういう姿は、一緒に暮らす時間があってこそ、初めて感じられるものだ。

「驚かせちゃいましたね。でも、全然たいしたことじゃないんで、気にしないでくださいね」
「……女の人って、すごいですね」
「そんなことないんです。面倒って言ったらいけないかもしれないけど、女って厄介だなって思う瞬間ですね。毎回同じじゃないので、ものすごく苛つくときもあれば、めちゃくちゃ食べたくなる時もあるし、変にセンチになっちゃうときもありますし」

なんだか意外な気がして、リカの横顔を眺める。
話しながらも少しずつ箸をすすめていると、やはり具合が悪いからか、リカの箸の進みはあまり良くなかった。
いつもなら、もっと食べてというところだが、今日ばかりは男の自分にはわからないだけにあまり強くは言えない。

結局、ほとんど食べられなかったリカのために、残したご飯を小さなおむすびに握っておいた。

「ごめんなさい。残してしまって。あの、そんな気を使わないでいいから。ほんとに」

そこまで気を使われるとどうしていいかわからなくなるというのも女の本音である。肌を重ねていても、そこは知られたくないことだったりもする。

―― ああ、またいつもの困った顔してる

眉を寄せて、みけんに皺を刻んで、口がへの字にぎゅっと引き結ばれている。
大祐が困ったときはいつもこんな顔になると思いながら、キッチンに立っている大祐の傍に立った。

「……どうしてそんなに困った顔してるの?」

ぺたりと肩先に顔を寄せたリカが大祐の顔を覗き込むと、気まずそうに視線を逸らした。

「……僕にも全然関わりがないことじゃないし」
「……え?……あ」

どういう意味だろう、と考えてからその意味に気づいたリカが急に恥ずかしくなって覗き込んでいた顔を引っ込めた。
しかもこういう時だけ一人称が“僕”に変わるなんて無意識なのはわかっているが、だからこそたちが悪い。

小さなおむすびを二つ作って、ラップをかけた大祐が、お腹が空いてきたら食べて、と言った。

「……はい。ありがとう。もう大丈夫だから大祐さんもお風呂入って、ゆっくりして?」
「うん」

片腕を上げた大祐が腕を捻って、ぽんぽんとリカを軽く叩くと口にした本人は至極真面目な顔でリカの肩を押して、ソファへと座らせた。

「ゆっくりしてて」

十分ゆっくりしてるのにな、と思いながら頷くと、やっぱり気を使ってるのか、ひたひたと静かにバスルームに消えて行った。
テレビをつけたい気分になれなくて、今日は録画しながら見ようと思っていたテレビもつけずに、携帯から静かな音楽をかける。

基本、なんでも聞くが、クラシックとジャズのフォルダをタップした。
バイオリンだけのテンポのいい曲や、チェロだけの曲、時々、ジャズが混じって、男性や女性の声が入る。

なんだか、とても不思議な気がする。

そう言えばそろそろではあったが、機械で計ったようにどんぴしゃで来ることはまずない。そういえば数日前から妙にジャンクなものが食べたくて、味の濃い料理ばかり作ってきた気がする。
それに、仕事をしていて妙に攻撃的になって、珠輝さえ、叱りつけてしまった。

あの時は、リカのために珠輝がわざわざ言ってくれたのに、そんな余計なことを仕事に差し挟むな、と怒ってしまった。

目を丸くした珠輝は、すみません、とだけ言って傍から離れたが、あれから自分は珠輝にちゃんと謝っただろうか。
今思えば、生理前でそういう時期だったのだろうと思うがその瞬間は自覚していないことの方が多い。

クッションを腕で抱えると、ソファの角にむかって寄り掛かった。
すっと力が抜けて、重い体から解放されるような気がする。ぼうっとしていると今までと変わらないはずなのに、何かが違った。

結婚してからもこんな姿を大祐に見せるのは初めてで、しかもタイミングとして大祐が東京に来ていたり、リカが松島にいっているときは外れていた。

こんな姿を見せずにすんでいて、今まではよかったなぁと思う反面、受け止めてくれる人がいるということが不思議だった。
こうして、いい時も悪い時も、一緒にいる時間が増えていくんだなぁと思う。
いつの間にか、うとうととリカはそのまま眠ってしまった。

ふと気が付くと、部屋が暗くて、リカはベッドに横になっていた。

「……まだ夜中だよ」

背後からそんな声が聞こえてきて、暑いわけではなく、心地よい温かさに我に返る。背後からぴたりと寄り添って、大祐の腕がリカの腹に回されていた。
大きな手がまるで守る様にリカの腹部にあてられている。

「やだ、私、いつの間に……」
「いいからもう一度眠りなよ。辛くない?」
「……ずっと、こうしてくれてたの?」

大きな手にそっと手をそえると、長い指を絡めてくる。

「少しでも楽になるといいなぁと思って。手当てっていうでしょ」
「だからって、ずっと起きてなくても……」
「違うよ……。ちゃんと寝てた。リカがあんまり動かずに寝てたからかえって、今動いて目が覚めたんだよ」

小さく頷くと、その心地よさに身を任せる。
ぽつりとリカは口を開いた。

「……なんか、一緒にいるって感じがする」
「?……いつも一緒にいるよ?」
「うん……。なんだろう、上手く言えないけど」

いいから眠って、という声が心地よくて、リカはそのまま目を閉じた。

再び眠りに落ちたらしい気配を感じて、そっと大祐は背後からリカの首筋に顔を寄せる。
こんな細い体なのに、大祐にはわからない力を秘めていて。

―― だからこうして時々、自動的に休むようにプログラムされてるのかな

今までの彼女もこういうことはあったのに、今初めて識った気がする。
きちんと閉めたつもりだったカーテンの隙間に赤い月が見えた。

こういう夜は少しでもリカのために、朝が来るのが遅ければいいのにと思う。

―― 一緒にいるよ……

いつもは気持ちでしか傍にいられないけど、今はこうして触れられる場所にいるから。
せめてその間だけでも。

投稿者 kogetsu

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