夕焼けの朱と夕闇の藍 11

玄関を開けて、たたきにあったヒールの靴を脇に寄せる。

「狭くてすみません。ちょっと、ちょっとだけ待ってくださいね」
「あ、気にしないでください。無理言ってお邪魔してるのは僕の方ですから」

先に靴を脱いで部屋に上がったリカは、壁のスイッチで電気をつけるとばたばたと部屋に駆け込んだ。ベッドカバーを直して、放り出していた雑誌を隅に寄せる。朝、飲んでいたマグカップをキッチンに片付けて、部屋を振り返る。

―― もう、どうしようもないけど特に変なところはないよね?!

洗濯物は乾燥機付きの洗濯機の中だし、よし、と覚悟を決めて玄関で待っていた空井のもとに行く。

「お待たせしました。すみません」
「いえ。僕、よく考えたら女性の部屋にいきなりお邪魔するなんて、申し訳ないです」
「あ、もう。それは。空井さんのお部屋みたいにきれいにしてないと思うんですけど。どうぞ」

きっちりと靴を揃えて、自分の部屋という空間にいる空井をみて、改めてプライベートの空井だな、と思う。

「あの、適当に座っちゃってください。先にお土産のお酒の方は冷やしますね」

土産でもらった日本酒は冷蔵庫に入れて、少し庫内の温度を強めに下げた。代わりに、何もないからと言って途中で買ってきたものを皿の上に並べる。
サラミとチーズや、ちょっとしたものを先に出して、日本酒のアテになるものは後に回す。

所在無げに腰を下ろしていた空井がテーブルの前に近づいた。

「空井さん、足、崩してください。あ、もう気が利かなくてすみません。クッション……」
「あ。稲葉さん、気にしないでください。お言葉に甘えて適当にしてますから」
「はい。えと、じゃあ、お酒が冷えるまでビールで……」

かしっとプルタブをあけてグラスにビールを注ぐ。ありがとうございます、と控えめに受けた空井がリカのグラスにお返しにビールを注ぐと、グラスを合わせて乾杯する。

「あの、今日はお付き合いいただいてありがとうございました」
「いえ、僕も楽しかったです。比嘉さんの奥さんにも会えましたし」
「比嘉さんの奥様、すごいきれいな方でしたね」

頷きながら、すぐに会話が途切れてしまう。帰ってくる途中ですぐにつまめるようなものと、日本酒の肴になりそうなものは買ったが、そう言えば夕飯はと問いかけた。

「大丈夫です。それより稲葉さん、お疲れになってるでしょう?ゆっくりしてください」
「は……、いえ、あの。でも」
「僕の我儘を聞いてくれたので、どうせなら最後まで聞いてください」

大祐の我儘でリカの家に押しかけたのだから、最後まで我儘を聞いてほしい、という言葉に動揺したリカがますます可愛く見えた。
腕を掴んでしまったことよりも、そのリカをもっと抱きしめたい衝動に駆られてしまう。

「あの……。私も、一緒に飲みたかったので、決して空井さんの我儘というわけでは……」

駄目押しのようにいわれた言葉にくっとわずかに掴んだ腕に力を入れて引いた。倒れ込むようなことはなくて、ただ、腕を引かれたことにリカが目を丸くする。

「稲葉さん。僕以外の男相手でもそうやって押し切られて家に入れたりするんですか?」
「え?えぇ?!しません、しませんっ!空井さんは、空井さんだからです!」

驚いた顔が少し慌ててからくるくると表情が変わって、どこか拗ねたような顔で首を振っている。

―― まいったなぁ……

そのまま押し倒したくなって手を離した。もろ手を挙げて冗談です、と笑うと完全に拗ねた顔で頬を膨らませた。

「誰でもなんかありえませんっ!」
「わかってます。稲葉さんがそういう迂闊な人じゃないってこと」

―― 迂闊って……

それもどうかと思うが、少しでもリカのテリトリーに入れてもいいと思われているだけで嬉しい。
この際、それが男として見られているかどうかはさておいても。

案の定、リカの怒りのツボを押してしまったらしく、大祐の目の前に正座したリカがむぅ、として目尻を釣り上げる。

「空井さん。空井さんには私がどう見えてるのかわかりませんけど、きちんと相手の方を知っているからこそです。この部屋は社会人になって3年目に引っ越した部屋ですけど、今まで一度も男性が入ったことはありませんから!」

軽くもないし、馬鹿でもありません。

キラキラした目がそう言っていた。
だが、それは大祐からすると、理性なのか、社会人として仕事相手に対するものなのか、それを吹き飛ばしそうな勢いがあった。

―― それって……。この部屋に入った男は俺だけって言ってるんだけど、稲葉さん、自覚ないのかな……

「何笑ってるんですか」
「いや……。笑ってるわけじゃ……」
「笑ってます!」

ぱしっときれいな爪の手が二人の間の床を叩く。リカが身を乗り出した勢いで、大祐とリカの距離がさらに縮まった。

ふっと、リカに笑ったと詰め寄られた大祐がリカとは反対側の床に手をついて一気に間合いを詰める。

「!!」

鼻先が触れ合うかどうかのぎりぎり。大祐が顔を傾けているから唇も吐息がかかるくらいの距離で、まっすぐに目の奥を覗きこまれた。

「相手が誰であれ、部屋に入れたらこういう事されても文句は言えませんよ?」

一瞬、怯んだ様に見えたリカは、すぐに立て直して大祐の目を見つめ返す。

「他の誰かはしたとしても、空井さんはどうなんですか?」
「……どちらだと思いますか?」

お互いに、妙な意地の張り合いだと思ったが、一瞬、リカの方がわずかに近づいた。

「参りました。さすが、稲葉さん」

すっと身を引いた大祐は、リカから距離を開けて離れると、胡坐をかいて座りなおした。

「お言葉に甘えて、足、崩しちゃいますね」
「はい。どうぞ」

―― 何?今の……

自分でもキスされなかったのが、よかったのか、悪かったのかわからないまま、リカも少し後ろに下がってテーブルの上に肘をついた。

投稿者 kogetsu

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