リカに起こされた空井は、目の周りを真っ赤にしていたが、かろうじて何とか起き上がる。
「大祐さん、大丈夫?」
「あー……。うん。なんとか」
ふらつく空井の鞄を代わりに抱えたリカでは、長身の体を支えきれない。その空井の肩を藤枝が掴んだ。
「空井君、ほら、タクシーまでは頑張ってよ。稲葉じゃ空井君を抱えて歩けないだろ」
「藤枝さん?……スイマセン。自分……」
鷺坂と比嘉は数歩前を歩き、支えようとしていたリカも、空井の長身に寄りかかられてはほろ酔い気分の足元が崩れてしまう。
なので、藤枝の手を借りている間にタクシーを捕まえようと、酔っていても精一杯、小走りに急ぐ。
「すいません。藤枝さん……」
「構わないですよ。稲葉のためですから」
空井の言う“すみません”がどこにかかっているかもわかった上で、あえて答える。ささくれ立った気持ちはだいぶ収まってはいたが、ぴくっと藤枝の肩に乗っていた腕が動いた。
「そう……ですね。可愛いから……」
酒気の強い空井の足元が急にしっかりと地面を掴む。それを気づかない振りで、空井を引きずるようにして藤枝は歩いて行く。
「……可愛いとか、そんなのはどうでもいい」
―― 稲葉だから
その言葉にならなかった一言を聞いた気がして、空井は引きずられていた足に力を入れて、立ち止った。
「空井君?」
「……自分で、歩けますから」
すみません、と腕を下ろして歩き出した空井は、それまでふらついていた足元など嘘のようで、ゆっくりとだが大股に歩いていく。
呆気にとられた藤枝は我に返って、歩き出す口元で小さくちっと舌打ちが聞こえた。
大通りでタクシーを止めたリカが振り返って待っているところに、駅に向かう鷺坂と比嘉が気を付けてと声をかけているところに、空井が歩いてくる。
「大丈夫ですか?空井一尉」
「すみません。すっかりご迷惑をかけてしまって」
「いえいえ。僕らは何も。家に帰るまで、稲葉さんを困らせないであげてくださいね」
比嘉と鷺坂がそういって、タクシーの傍から離れていくと、藤枝がさらに遅れてやってきた。
「稲葉!」
「藤枝。あんたも気を付けて帰んなさいよ」
「おう。お前さ」
わざと声をかけて足を止めさせる。本当なら空井がリカを先にタクシーに押し込みたかったのだろうが、リカが空井に向かって首を振って、先に空井が乗り込んでいる。
「これ」
「何?」
小さな茶色の紙袋を差し出した藤枝から素直に受け取ったリカは、じゃあな、という声に慌てて顔を上げた。
「気を付けて帰れよ」
「あ、ありがと!またね」
―― また、な
鷺坂たちとは反対方向に向かって行く藤枝を見送ってからタクシーに乗り込んだ。
待たせてすみません、と言って運転手に行先を告げる。
「何?それ」
リカが手にしている茶色の紙袋に気づいた空井がふと指差す。膝の上で、リカも中を覗き込むと、中からは小さな茶色の紙に包まれた一握りくらいの小さな花束が入っていた。
花束と言っても、駅のスタンドにあるような片手くらいの小さな花束だが小瓶やグラスに差しておけるような可愛らしいサイズのもので、いつの間に藤枝がそんなものをと思う。局を出てからもずっと一緒でそんなものは手にしていなかったはずだ。
「可愛い。小さいのにいい匂い」
嬉しそうにリカが顔に近づけている姿を見る空井の目が少しだけ細められて、リカが振り返る前に視線は光が流れる車の外へと向けられた。
かさ、と袋に花を戻したリカをちらりと見ると、強引に片手を引っ張って指を絡ませる。
「大祐さん?」
きょとん、とした顔で空井を覗き込んでくるリカから顔を隠すように、ドアに頬杖をついて寄り掛かる。
―― どうしてあの人はいつも格好良くて、こうなんだろう……
いつの間にか用意した花をスマートに渡す。
小さくてテーブルの上にちょっと飾るだけの花。
たったそれだけで、今日一日周りの目とは真逆に落ち着かない気持ちを味わったリカの顔をこんな風に変えてしまう。
それが悔しくて、同じ男として腹が立つほど恰好いいことを認めてしまう。
舌打ちしたい気分でいた空井に、リカは繋いでいた指をすり、と撫でてきた。
「今度、大祐さんにもお花、買ってきます」
「は?……俺、に?」
「そう。お花。好きなお花ありますか?」
何でいきなり、しかも男の空井に花を買ってくるというのか、わからないでいる空井が窓の外からリカに視線を向ける。
その顔は、ほんのりと上気していて、空井の大好きないつものリカの顔だった。
「俺は……、藤枝さんみたいにかっこいいことできないから、花とかも詳しくないけど」
「知ってるお花でもいいんですよ?やっぱり、大祐さんならきりっとしてるから薔薇かな。んー」
ぶつぶつと呟いているリカの口から飛び出す花の名前の半分は思い浮かばないものだったが、リカが選ぶというなら何でもいい気がする。
「大祐さんが知ってる花ってなんですか?」
自宅近くで細かい指示を出し始めたリカは、質問の仕方がまずかったな、と改めて問い直した。
少しだけ空井が答えやすいような質問にしてきたリカに、しばらく考え込んでいた空井は、思いついたものを口にせずにタクシーを降りる。
「思いつかないもの?」
なんでもいいのに、というリカに、じゃあ、と口を開く。部屋に入るまでの、マンション前からエントランスを抜けてエレベータホールを横切る。
「ひまわりとか、薔薇はさすがに知ってるし、チューリップとか。あとは、コスモス?基地の近くに生えてて。あ、ペンペン草!」
最後を聞いたリカがぷっと吹き出した。
「それは草じゃない?花じゃないでしょ」
「いいんだよ。なんでも」
酔っ払いにそんな難しいことを言う方が悪いのだと、少しだけ口を尖らせた空井は鍵を開けて部屋に押し込む。
玄関で先に靴を脱いだのに、先に進まない空井を見上げると、ぬっと手を差し出してくる。
薄暗い玄関で、その手に掴まって靴を脱ぐと、灯りをつけながら部屋へと入った。