待ち合わせ場所についた藤枝は、携帯を手に今日の彼女が来るのを待っていた。二つほど年下の女の子で特に仲がいいほうだ。
時間よりも早めについた藤枝をいつもなら長く待たせることはないのに、今日だけは時間を過ぎてもなかなか現れない。
「……珍しいな」
携帯を見ても着信もないし、メールも来ない。時間に遅れるのに連絡をしない子ではないのだが、何かあったかなと思いながら疲れてきた足を組み替えて立ち続ける。
“お疲れ。どうかした?遅れるなら店で待ってようか”
メールを送っても返事がなかなか返ってこないから、今頃急いで向かってきているのかと周囲を見渡してみる。今日の店は評判のうまいというステーキ屋で、大通りにも近かった。
「……――!……――!?」
騒ぎが起きているときははっきり聞き取れなくてもなにかある、となぜかわかるものだ。顔を上げた藤枝は、あたりを見回して気になった騒ぎの起こっているらしい方向を探す。半ブロック先あたりで通りすがりの人々の顔が一方を向いているから、藤枝は、その気配に少し背伸びをする。
「違うってば!やめてよもう!」
「くっそ!待てって!!」
よくは聞き取れないが、男女の諍いらしいことだけはわかる。さすがに助けに行くほどヒーローを気取るつもりはないが、それでも何が起こっているのかは気になるものだ。
少しずつ近づいてくる騒ぎのもとに、あーあ、と思った藤枝は少し冷めた視線を向けた。
「ちょっと!嫌だって言ってる女の子に何してるの?!」
「なんだよ、お前!どこの誰だか知んないけどあっちいけよ!!」
一瞬の間をあけて、その声に気付いた藤枝の顔色が変わった。来るはずの相手の声と姿が見えた気がしたのだ。あっ、と声をあげそうになった藤枝が、一目でその状況のおおよそを把握する。
おそらく、彼女に絡んでいるのはの本命なのかどうかはさておき、付き合いのある男の一人なのだろう。その男に絡まれているのはわかるが、どうやらもう一人、見知らぬ女性が止めようとしているらしい。
放っておくわけにもいかず、一歩踏み出そうとした藤枝が見ている先で、男が思い切り彼女の手を引っ張った。ぐらりと体が傾いてバランスを崩した彼女が転びそうになる。
周りで見ていた通行人も思わず顔を顰めて、手を伸ばそうかと体の向きを変えようとした瞬間。
「あ」
「ちょっと!!」
藤枝よりも周囲の手よりも先に、傍で仲裁していた女性が彼女を支えて、男の腕を強く掴んだ。
「仮にも男なら女性にしていいことかどうか考えればわかるでしょ!こんな人の通るところでみっともない真似して何をしてるの!」
「あんた、マジでなんなの!?何の権利があって口出してんの?!」
「彼女に助けてって言わせたのはあなたでしょう?これ以上、続けるなら警察呼びます」
すっと鞄から携帯を出して見せた女性は、親指をスライドさせて緊急通報の画面を出して見せた。
そこまでされると、さすがに男が眉間に皺を寄せて黙り込む。衆人環視の中で、ばっと掴んでいた腕を離した男は、ぎらっと彼女とその傍にいる女性を睨みつけた。
「いいか!絶対俺は別れないからな!」
「やめてって言ってるじゃない!もう、しつこいし束縛するし最低!」
男が去り際だと思った彼女がここぞとばかりに噛みつき返す。
―― ああ。黙ってりゃいいのに
余計なひと言だと藤枝が眉を顰めると、全く同じことを傍にいた女性が叱りつけるように言った。
「あなたも!余計なことを言わない!」
ぴしゃりと話を遮った女性が、男から引き離して引きずるように離れさせる。騒いでいた男はしばらく、その姿を睨みつけていたが、渋々と駅の方へと離れて行った。
何度も振り返る男がだいぶ離れたのを待って、ほう、と女二人がため息をつく。
「あなた。あなたもあの状態でああいうこといわない!」
「……すみません」
店の目の前で立ち止った女性二人に、藤枝も男が離れたのを確かめてがゆっくりと近づく。
「なにしてんの。加奈」
「藤枝くーん……」
藤枝の顔を見た瞬間、駆け寄りながらふにゃっと泣き出す。彼女の様子を見て、付き添っていた女性が離れた。
「こちらもお知り合いの男性みたいね。大丈夫そうだから、私はこれで」
礼を言うこともせずに藤枝の旨にすがりついた加奈をすい、と交わした藤枝が去ろうとする女性に声をかけた。
「あの!ありがとうございます。連れがお世話になりました。助かりました」
頭を下げた藤枝に、ほんの少し振り返った女性が、いえ、と言って歩き出そうとしたところにもう一声かける。
「もしよかったら、一緒に食事しませんか?」
「は?」
「……は?」
立ち止まった女性と、傍で泣きべそをかいていた加奈が少しの時差で疑問の声を上げる。
いきなり食事をしないかと言われれば、誰でも驚くだろう。立ち止まった女性は、かけていたメガネをくいっと頬のあたりで押し上げて藤枝を振り返った。何かを言いかけたあと、少しだけ斜めに顔を振ってまじまじと藤枝を眺める。
「……帝都の方?」
「え……?」
「帝都のアナウンサーの方じゃ……」
今度は訝しげな顔をするのは藤枝の方だった。
「あ!!えーと、昼間インタビューさせていただいた西村さん、ですか?」
「えーと……、ふじわら……」
「……藤枝です」
相手も自信がなさそうではあったが、それは藤枝も同じで、あやふやに呼びかけられた名前を訂正すると、相手が軽く頭を下げた。
反応をみれば間違ってはいないようだが、それでも藤枝は自信無げな顔をしていた。女性にかけては、それなりに自信があったのだが、昼間のイメージと目の前のギャップの大きさに、同一人物だという確証を何とか探そうとする。
ぎゅっとまとめた髪に、印象のきつそうなメガネ。ぱっと見ただけでは、どうみても同一人物とは思えなかった。
「昼間はどうも……」
先ほどの勢いのいい物言いとはうってかわって、もそもそとした挨拶を口にする西村をみて、興味を覚えた藤枝は背後の店を示した。
「この時間じゃ、夕飯まだじゃないですか?ここ、予約してるんです。お礼がてらどうですか」
「ちょっと、藤枝君!私は?私はどうするのよ!」
笑顔で話しかける藤枝の腕を、つい、たった今まで泣きべそをかいていた彼女が掴んでいた。
デートのつもりで予約してある店に、助けてもらったとはいえ、見ず知らずの女を誘う藤枝が理解できない。泣きで可愛さを目いっぱいPRしていたのに、一気に不機嫌になる。
「ねぇ!藤枝君?!見てなかった?私、彼氏と別れてきたんだけど!」
「あー……。加奈ちゃんさあ。彼氏と別れたのは俺のせいじゃないでしょ?」
人のせいにしないでくれる?
いつもと態度はかわらないものの、空気が一気に冷めた藤枝の一言に、可愛らしかった彼女が一変する。キッと藤枝を睨みつけて、自分はすべての被害者だと言わんばかりだ。
「だって!今日、藤枝君とデートするために私はね!」
「あのさ」
掴まれていた腕を体を軽く揺すってあっさり振りほどいた藤枝は、パンツのポケットに両手を突っ込んだ。
「俺、楽しく過ごせたらいいだけなわけ。加奈ちゃんが本命だって言った覚えもないし、お互いそれでよかったわけでしょ?それと……、普通さ。今どき何があるかわかんないのに助けてくれる人なんかいないよ?そういう人にちゃんとお礼ができないのってどうなの」
「そういうけど、その人が勝手に!」
「勝手にって言うけど、君が助けてって言ったんだろ?」
もういいよ、と呟いた声が聞こえたのかどうかはさておき、ふくれっ面になった彼女は何も言わずにくるっと背を向けると来た時と同じ方向に歩き出してしまった。