翌日、局に出た高柳は何事もなかったように、情報局に顔を出した。
「おはようございます。稲葉さん」
「……おはようございます」
身構えているのか、少し硬い口調で答えたリカに、ニコリと微笑みかけると、編集作業がまだだろうから手伝うと言い出した。
「今回は藤枝さんの回になっちゃったんで、次の回の練習も兼ねて俺にも手伝わせてくださいよ」
編集と言ってもリカがすべてやるわけではない。それぞれに専門の担当者がいて、彼らが作業するのだ。リカがするのはその立会いやチェックである。
「別に、今は大丈夫です。この次の回の取材先はまだ決まってませんし、高柳さんは街角グルメの方でお願いします」
そちらはまだ珠輝がディレクターとして取材が入っているはずだった。珠輝に押し付けるつもりではなかったが、ほかに今動いている仕事がないのも事実で、これで引かなければ、阿久津にもう一度話をしようとリカが思っていると、思いのほかあっさり高柳は引いた。
「わかりました。じゃあ、またぜひ声かけてください。俺はまだ番組から外されてないですよね?」
こんな時にどういう対処をすればいいかも身についている。
少し真面目そうに、心配ですと顔に書いておけば案の定、リカは思い直したのかと、少しだけ態度を和らげた。
「別に!そんなことはなくて。ただ、初回だけこんなすごい話になっちゃいましたけど、その次からはまたいつもの感じです」
「ですよね!よかった。あ、これ、よかったらつけてもらえると嬉しいです。なんかしつこくて嫌な思いさせてたかもしれませんから、そのお詫びです」
そういって、デスクの上に小さな小箱をおいて、さっさと大机に固まっているAD達の方へと離れていく。
リカは、ほっと息をついて、ついつい笑みを浮かべた。
他に人がいない時間ではないので、たまたま阿久津も珠輝も席を外していたのだが、その時間を狙ったとは少しも思っていない。
ただ、高柳にとって、リカが利用できる相手として口説く対象ではなくなったのだと勝手に考えていた。それならもっとまじめに努力してくれれば、高柳は高柳で見た目もいいし、声も悪くない。
きっと人気が出るはずだ。
そこをうまく生かしてやれたらきっといい仕事ができるはず。
そう思ったリカは、詫びだと高柳が置いて行った箱を手にした。見るからにジュエリーケースだが、小さいし、気を使うようなラッピングでもない。
箱を開けると、中は気軽につけられそうなピアスが入っていて、それほど高くもないだろうが、可愛らしい。
捨てることもないかと、蓋をしたリカは、そのままバックの中にそれを入れた。少し前ならゴミ箱に放り込むか、突き返していただろうが、今は少しだけ違った。一抹の疑いは持っていたが高柳の殊勝な態度に、それでも信じたい気持ちの方が勝った。
やはり、好きでこの仕事を選んで自分たちはここにいる。
高柳も同じで、それが少し、昔の自分のように方向が間違っただけで、本当はやる気のある男なのだと都合よく解釈したリカは、少しだけ気持ちが軽くなった気がして目の前のパソコンに向かう。
これで次の空自の取材がうまくいけば、その次の回には高柳を使ってもいいかもしれない。
もし駄目ならまた話してみればいい。
「よし!なんか希望が見えてきたかも」
自分に気合いを入れたリカは、次の取材予定の調整に取り掛かった。
―― 今日はいいことがたくさんある
どうしたらいいかと悩んでいた高柳も態度を改めてくれたし、家には大祐がいる。しかも今日だけではなく、しばらくの間ずっと。
そう思うと、なんでもできそうな気がしてくる。
せめて取材の合間くらいは早く帰りたいと、夕方の番組が終わるとリカは全力で仕事を切り上げて局を出ようとした。
そこに携帯のメールが着信を知らせる。
『お疲れ様。今日は何時ころに終わりそう?俺もあまり遅くならずに終わったので、局まで迎えに行きます』
「……やったぁ」
一人、密かに呟いたリカはエレベータを下りた二階のフロアで立ち止ると、メールを打つ。
「私も……、終わり……」
途中まで打っていたメールがなんだかもどかしくなって、画面を閉じると連絡先から大祐の名前を見つけて通話を押した。
コール音が短いのはきっと、メールを打った直後で大祐も携帯を手にしていたからかもしれない。
「リカ?」
「お疲れ様。大祐さん、もう終わったの?」
「うん。迎えに行くから。リカはあとどのくらいかかりそう?」
電話の向こうで聞こえる声がこんなにも近く聞こえるなんて気の持ちようだと思ってはいても、嬉しくて仕方がない。
「ん。今日はもう終わりです。切り上げました」
「本当に?じゃあ、すぐに迎えに行くよ。久しぶりにこっちだから一緒においしいものでも食べて帰ろうか」
じゃあ、待ってます、と言って一緒に仕事をしていた頃にはよく大祐を待たせた、局の目の前のベンチに向かい、ライトアップされた一つに座る。
家で一緒に食事を作って食べることも楽しいが、大祐と一緒であれば外で食べるのもいい。
局まで来てくれるなら、いつか一緒にお酒を飲んだ店に行くのもいいかもしれない。
「リカ!」
思ったよりは早くたどり着いた大祐が駆け寄ってくる。
「お疲れ様です」
「うん。リカもお疲れ様」
朝、一緒にいたはずなのに、こうして外で会うとなんだか照れくさい。へへ、と笑ったリカが大祐の腕に自分の腕を絡めた。
「どこに行きたいですか?」
「んー。どこでもいいけど、リカは?」
「そういうと思った。ずーっと前に一緒に飲みに行ったお店はどうですか?今日だったら、遅くなってもタクシーで帰ればいいし」
あの日は、終電じゃないとだめだと言った大祐がしょうがないなぁと口元を緩めた。
「どーしても遅くなったら仕方ないけど、そんなに飲むのは駄目だよ」
「えぇ?!だって、今日は二人でしょ?」
「でも駄目!駄目なものは駄目!」
「なんで?!」
そんなの駄目に決まってる、とは言えない。酔っぱらったリカがどれだけ可愛くて、危なっかしいか十分にわかっている。いくら二人きりでもなかなかいいよ、とは言い難かった。
とにかく、いいからと言ってリカの手を掴むと唯一、帝都テレビ近くで知っているあの店まで行く。
その間、リカも機嫌がいいからか、二人だけならいいじゃないと可愛らしくぶつぶつ言い続けた。