「なるほど」
話を聞き終えたプロデューサーは頷いてリカの方へと向き直った。
「わかりました。できる限り協力します。うちのスタッフに話してしまうと同じ局ですからどうしたって伝わる可能性が高くなります。僕が直接キリーと事務所の方へ話してみます」
「いいんですか?!」
案を出すには出したが、まさかこんなにあっさり返事が返ってくるとは思っていなかった。驚くリカに、相手は笑顔で頷いてくれた。
「僕は、前にドラマの撮影の時に稲葉さんと一緒になった時のことをいまだに覚えてますよ。あの時、協力してくれた空自さんのことを僕らは道具のように扱って、それが当たり前のようになってました。でも、稲葉さんは周りやそんなことは関係なく、あの時怒りましたよね」
ヘルメットの一件を思い出して、リカが赤面する。今ならどれだけ自分が無茶を言ったのかわかるからだ。
だが、相手はゆっくりと首を振った。
「確かに、ドラマを作る人間としていい加減なものを作っちゃいけない。でも、だからと言って、それを振りかざして協力してくれる相手を粗末に扱ったら駄目なんです。それを稲葉さんは思い出させてくれました」
あの一件があったからこそ、大祐のことを覚えていたキリーがブルーに乗ることができて、番組としても大当たりすることになった。
「それに、僕も稲葉さんと同じです。これが阿久津さんから話を聞いただけなら渋ったかもしれません。でも、稲葉さんがその高柳さんを信じる人がいるならその人のために協力しようって思ってらっしゃるのと一緒で、僕も稲葉さんが協力してほしいっておっしゃるから、できる限り協力しようと思います」
「あ……!ありがとうございます!」
立ち上がったリカが深く頭を下げると、俺だけじゃ役不足だったのかと、若干難しい顔になった阿久津も立ち上がって頭を下げた。
慌てて、プロデューサーが両手をひらひらとさせて頭を上げてくれとつられて立ち上がる。
「いいんですよ。同じ局で働く者同士じゃないですか。いいものを作りたいという気持ちも一緒ですし、それに思うんです。いつだったか、空自さんとこじれた時、個人ならうまくいくのに、大きな単位になるとどうしてうまくいかなくなるんだろうって。でも、今は個人のためにも動けるような会社になったんだなって素直に嬉しいです」
いつもではないことくらいわかっている。それでも、自分たちはこの仕事に誇りを持っているし、働いている場所もなんだかんだと言いながらも信じているのかもしれない。
早速、明日キリーの事務所に連絡をしてみるということになって、そちらの調整はそっくりお願いすることになった。
代わりに、映画のための撮影協力の方も、リカが調整を手伝うことになった。申請書の類なら書きなれているし、どういう依頼をすればOKが出やすいかもわかっている。
『貸し借りはなしですよ、互いに協力するんです』
そう言って、ドラマ部のプロデューサーはキリーと事務所の了解を得てくれたから、空自の取材の際、いきなり高柳を使うと変更できたのだった。
「それで、タブレットを投げつけられたのか。その怪我は」
「一台、壊れました。あとで申請出さないと」
「それは俺の方で始末書と一緒に出しておくからいい。それより、その部屋を借りて話したとき、高柳の様子はどうだった?」
その前後を思い出すと、リカは自分がやりすぎた気がして仕方がなかった。
それを正直に口に出す。
「あそこまで追い詰めなくてもよかったんじゃないかとは思います。……キリーに言われた時、一瞬、後悔しているように見えたんです。本当は、自分でもわかってたんじゃないかって。だから、叩きつけて、暴れることで何とか取り繕うしかなかったんじゃないかって。そこまで一人の社会人として働いている男の人を人前で追い詰めることは間違っていた気がするんです」
悪態をついて、暴れていても、時々その目はリカが押さえていた額や腕に走っていた。
気遣わしげに。
後で比嘉に聞いたところ、ゲートまでは非常に大人しく、というより、打ち沈んでいたらしく、ゲートを出る間際に、我に返った様子で帰りの足を訪ねてきたらしい。
バスなど頻繁に通るはずもない場所で、タクシーを呼ぶか、空港まで歩くか。そのくらいの案しかないのだというと、携帯を操作して、地図を表示させてから空港まで行ってみます、と言って、ふらりと歩いて行ったと聞いた。
「ふむ……。局に顔を出してはいないようだ。もとからあいつの私物はほとんど置いてないからな」
無意識に湿布を張った腕に手が行く。それをみて大丈夫か、と阿久津が言うとリカは頷く。
「……大丈夫です」
「わかった。……ところで、旦那もいたんだろう?話したのか」
「いえ。話してません。叱られました。……何やってるのかって」
「そうか」
それはそうだろう。何も知らずに見ていたらそんな風にしか見えないはずだ。
テーブルの上で手を組んだ阿久津は小さく頷いてからリカを見る。
「話していいんだぞ。必要なら俺が説明してもいい」
「いえ。話なら自分でします」
最後までやるべきことをきちんとやってから。
それが、今回引き受けて、協力をしてくれる人たちのためにも、自分のためにも大事なことだからだ。
「タクシーで帰っていいぞ。交通費請求していい」
「お言葉に甘えます」
申し合わせたように揃って立ち上がると、会議室を出る。フロアにはほとんど人もなく、節電に落とされた照明もあって、いつもより薄暗く思えた。
リカは阿久津より先に鞄を手にすると、自分のデスクに何となく手をついてからリカは家に向かった。
リカがまだ阿久津と話している頃、先に家に戻った大祐は、夕飯の支度をと考えたがなんというか、落ち着かなくて材料を買いに出るという口実のもとに家を出た。
ジャケットだけを置いて、まだスーツ姿で表に出た大祐は駅の近くのスーパーにいくつもりで歩きだしたが、その途中で人影を見かけた。
ふっと細い道の方へ消えかけた姿を追いかける。
「……何してるんですか」
初めから逃げるつもりなどなかったのかもしれない。あっさりと追いつくと、その背中に声をかけた。
ゆっくりと振り返った高柳は以前レストランで会った時とは全く印象が違っている。
「こんばんは。稲葉さんの旦那さん」
「……空井です」
「今日はどーも」
目つきが鋭くなるのは自覚があった。今日はそれも容赦する必要はないだろう。
暗い道だけによくは見えないが、パンツのポケットに手を突っ込んだ高柳は肩先から近づいてきた。
「そんな怖い顔しないでくださいよ」
「プライベートな場所まで来て怖い顔をするなという方がおかしいと思います。まして今日は」
「そりゃそうか……」
ほんの数歩の距離が緊張を互いに教える。
「あなたは何がしたいんですか」
「何が……。何かをしたかったんですかね」
ふっと、高柳の素の声が聞こえた気がした。
腹を立ててはいたし、高柳を許すつもりもない。むっとした大祐が一歩高柳に近づく。
「ふざけないでください。あなたがしたことは許せません。もう二度と彼女の傍に近づかないでください」
「無茶いうなぁ。仕事相手ですよ?近づくなって言われたら仕事できないじゃないですか」
冗談だろうと、笑いたくなる。今日の態度を見ていても本気でそんなことを言っているとは思えない。こんな相手をリカが信じようとする方がおかしいのだ。
「ああ、その顔。俺が言うことなんか、嘘だと思ってますよね。まあ、そりゃそうか。こっちも仕事相手だなんて思ったことないし。使える女だと思ったくらいですよ」
当たり前でしょ?と小さく笑う。それがいいも悪いもない。そう思っていたこともしっかり伝わっているだろう。
「あなたの奥さん、おかしいんじゃないですか。俺みたいな男、所詮出向でほかの会社の人間じゃないのに、そんな男のために自分の責任問題になるような真似しますか?ありえないでしょ」
「それは自分も思います。彼女がやってることはおかしい」
「意見が合うなぁ……。今どき、ドラマじゃあるまいし。あんな真似して偉そうな説教で、ほんとにどうにかなるなんて思ってるとしたら大馬鹿ですよ。甘いなんて通り越してる」
眉間に皺を寄せた大祐は全く、そこだけは同感だった。何やってるの、と思わず言ってしまったくらいなのだ。