Honey Trap 37

リカの首の下に腕を伸ばして差し入れる。

「まだ……話しててもいい?」

痛めた腕を庇いながらリカをそっと抱き寄せた大祐が小さく囁くと、うん、と頷きで返す。
肩の上に頭を乗せなおして大祐の顔を見上げると、顎の下側に伸びかけのひげが見えた。

「正直……。さっき聞いた話は、俺にはわかんない。もっと、こうすればよかったんじゃないの、って思うこともたくさんあったし、今も間違ってるんじゃないのかなって思うこともある」
「うん……。それはそうだと思う」

正直な感想に、リカも同意してしまう。これが逆の立場だったら、やっぱり同じことを思うはずだ。顎の先に頬を摺り寄せると、ざらっとした感触がする。

「でも、リカがそうしたくなったんだろうから、それはリカとしては間違ってなかったんだろうな。俺も、間違ったことを言ってるつもりもないけど。でも、こういう怪我とかはもっと気を付けて欲しいなと思う」
「ん。ごめんなさい」
「でも、リカが基地の応接で、夫に知られて困るようなことはないって言ってくれたのにはちょっと感動した」
「あ……」

肩をすこしだけ引いてリカの方へと向き直った大祐がひた、とリカの顔を覗き込む。
本音を言えばもっと初めから言ってくれていればとも思うが、それでも心配をかけたくなかった気持ちもわからなくもない。

「でも、次はちゃんと初めから話してね」
「はい……。でも、ほんとに何もされてないからね!取材の時にふざけた写メとられたくらいで」
「写メ?!」
「全然!そんな変なやつじゃなくて、変顔してるような……」

はぁ、と再びため息をついた大祐にごつん、と額をぶつけられた。

「ほんとに勘弁して……」
「ご、ごめん……なさ」

ちゅっと鼻先に軽くキスされて、もう一度額を合わせる。

「不用心だって、リカには身をもって知ってもらいたいところだけど、明日も取材だとか、今日は疲れてるからとか思ってるから我慢するけど!」
「う……、はい」
「お願いだから……。あ」

ふと、現れた高柳のことを思いだす。もしかしてと今更のように思うこともある。

「あのさ。リカが帰ってくる少し前に、買い物に行こうと思って家を出たんだけど高柳さんを見かけたんだ」
「えっ?!」
「俺も最初はまだリカに何かするつもりなのかと思って警戒したんだけど、なんかそんな感じじゃなくて……。もしかしたらなんだけど、高柳さんって、実は本当にリカのこと好きだったんじゃないかな」

思い出すと、ますますそう思えてくる。彼にとってはリカは理想の一つでもあったのかもしれない。だから憧れでもあり、羨んでいたこともわかる。憧れて、縋りついていたものはテレビ局というものだったのか、帝都という名前だったのかわからないが、彼にとってはそれが大きなものだったのだろう。

「辞表、出したって言ってた。もしかしたらリカに謝りに来たのかもしれない。そういう感じじゃなかったけど、本当はリカのこと心配してたんじゃないかな」
「ちょ、ちょっと待って!辞表?やめたって言ったの?」
「うん。自分の会社に辞表を出したって……」

腕をついて体を起こしたリカが、痛っ!と呻いて、ベッドに沈み込む。腕を引いて半ば、呆れながらリカと場所を入れ替えた大祐は、痛む側の腕をそっと撫でた。

「気を付けてよ。……もう、ここにも来ないって言ってたよ。リカによろしくとは言ってたけど、次に来たら警察呼ぶって言っといたし」
「うーん……。そっか」
「うん。もう寝なよ。ごめん、疲れてるのに」

なんだか、残念な気はするが、これで安心できるということもある。せめて、出来上がっているあの四本だけはそのまま流そう。
そんなことを思いながら、リカは目を閉じた。

「だからあっくんには無理だっていったじゃないの」

リカが早々に家に帰った後、帝都の近くにあるこじんまりした小料理屋の一角で、酒を傾けている男が二人。一人がこんこんと説教をしているようにも見える。

「いい?俺達とはそもそも違うんだから。そこんとこちゃんと考えてくれないと。わかってるの?」
「わかってる」
「わかってたら稲ぴょんに怪我なんかさせないでちゃんと事を納めなさいよ」

苦い顔で項垂れているのは阿久津である。延々と説教を趣味のようにしているのは鷺坂だ。あれ以来、時折、飲む間柄になったわけだが、どうにも今日は阿久津の方が旗色が悪い。

「俺が話を聞いた時に、言ったじゃないの。そっちで押さえるのは難しいんじゃないのって。しかも、稲ぴょんをセクハラ、ストーカーまがいの目に合わせておいて、その頼み事はないんじゃないのってさ。うちの可愛い娘に何してくれんのかなぁ」
「……む」
「あっくんにも社内の政治を乗り切る力がないとは俺も思ってないよ?でもねぇ、詐欺師に張り合うにはまだまだっしょ?上を押さえ、下を動かしてこそ何ぼじゃないの」

ここまで畳みかけられれば何も返す言葉がない。
比嘉の連絡を受けた後、飲み仲間になった阿久津に鷺坂が連絡を取らないはずはなかった。リカから話を聞くのとほぼ同じころに鷺坂からも話を聞いた阿久津は、リカにも話した通り、初めは断固として排除するつもりだった。

事が面倒な方向に転ぶことは目に見えていたからだ。

だが、上からの“頼みごと”を聞いてしまい、苦虫を噛み潰したのは言うまでもない。断ることも当然できたが、リカには一応、当事者でもあり話をするだけしてみたのだ。

「だいたい、あの稲ぴょんに話したら、あの子が断るわけないでしょ?いい子なんだから力になりたいって思っちゃうのもわかってて、あっくんも話したんじゃないの」

手酌でぐいぐいと盃を重ねる鷺坂の責めは止めることを知らない。阿久津の目の前に置かれた盃は初めに口をつけた後、少しも減っていなかった。
こんこんと説教を受けるのも致し方ないと思っているからだ。

リカと空井を守るのは父親役の鷺坂の役目だとばかりに説教をしているから、阿久津も今夜はバツが悪い。

「俺が詐欺師の真似事をしてみたかったなんてあいつらには言えないでしょ。俺の完敗なのはわかってるって」
「完敗じゃすまないんじゃないの?あっくんもさ」

ぐっと再び言葉に詰まる。
詐欺師鷺坂に相談した結果、話しているうちに、対抗意識を持ち始めて、詐欺師の真似事をした結果がこれかと言われれば返す言葉もない。
確かに、今回のことは話を持ってきた上だけでなく、会社側に知れることになったらいろいろとまずいことが多い。だが、高柳はすでに辞表を提出していた。

「今の会社、関連会社の方ですけどね。そっち経由で帝都も辞職扱いでカタがついてる。上からも迷惑をかけたと詫びてきたらしいし」

なんというオチだろう。親が出てくるなんて、いい年をして、本人よりも親の方にが問題なのだろうか。
聞いていた鷺坂も呆れながら肩を竦めてさらに酒を飲む。
小鉢に入った、湯葉をつまむと、そこに阿久津がさらに盃に酒を注いだ。

「だいぶがっかりしてるようでしたけどね。少しばかり、親馬鹿ではあっても見境のない人じゃないので、表沙汰にはならんでしょう。稲葉には申し訳ないが、労災にならない代わりに、稲葉の評価も変わらないでしょうな」
「色々、仕方ないけども。その分、稲ぴょんが不利にならないようにちゃんとしてちょうだいよ。あと、新番組が始まって忙しくなる前に、代休、ちゃんとあげてね。連休で」

こうなるなら初めから詐欺師の企みに乗っておけばよかったと思う。

鷺坂の方は、比嘉には阿久津の動きは知らせていなかったために、取材の終わった後、申し訳ありません、と連絡が来たのだ。

「とにかく、稲ぴょんにきちんとしてあげて」
「色々と、申し訳ない。空井さんにも申し訳ないと言っておいてくれ」
「空井の方はまかしといて。俺がうまくやっておくよ」

膝の上に手を置くと、カウンターに並んでいる鷺坂に向かって阿久津が頭を下げた。

投稿者 kogetsu

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