夕焼けの朱と夕闇の藍 19

「あまり面白くないと思いますよ。持って帰った仕事したり、撮り溜めてた番組みたりとか」
「じゃあ、ご自宅でゆっくりされる方なんですね」
「う、まあ、はい。すみません、気を使っていただいて」

そんな落ち着いた表現をしてもらえるような素敵な休みではなくて、どちらかというと休みの日は普段できないことを済ませるための日にあてているようなものだ。

「空井さんは?」
「自分ですか?そうだな。たまったビデオ見たり、洗濯して、それから……、時々近所を走り込んだりかな。あんまり変わりませんね」

ふっと笑った大祐が光の刺さる表を見た。
木の葉が揺れる境をじっと見ていると、今、そこだけにある一瞬の光と今、こうして一緒にいるリカが同じように思える。

「でも、稲葉さんと俺じゃ全然一緒には思えないですよね」

遠くを見るような目がリカを見る。憧れと、手に入りそうで、手に入らない。そんな諦めにも似た色をみたリカは、店の中の暗さと背にして大祐を見る。

「……一緒ですね。空井さんと一緒って、なんだか嬉しいです。それに、ここに連れてきてもらったことも」

ごくまれに来る、個人的な場所。
ブルーに関わらない数少ない場所である。

空が見えて、海が見える。そして、時々、運が良ければ飛んでいく機体を見ることも。

「稲葉さんとこれてよかったです。自分が来るときはいつもぼんやりして長居しちゃうんですよね」

お待たせしました、と言って運ばれてきた料理は、素朴な感じで、それがまた空井らしい気がした。
揃って食べ終えると、熱いほうじ茶を飲む。

「稲葉さんはこういう田舎風のお店なんてあまり来ることないんじゃないですか?」
「そうでもないですよ?私、和食のお店も大好きだし、取材でいろんなところに行くこともありますしね」
「そうなんですか?」
「ええ。もう駅の立ち食いソバだって結構好きです」

意外だな、と空井は笑った。リカのような女性は小じゃれた都内の店ばかり行っているようなイメージがある。
会計は空井が出すと言って押し切ってから、店を出て歩き出す。古い古民家のいくつかは中にまで入れるようになっていた。

「中入りますよね?」

空井に手を引かれて敷居をまたいだリカは、表の明るさから急に薄暗い中に入って、目を細めた。建物の中も黒光りしていたから余計に目がくらむ。
靴を脱いで磨き上げられた床の上から昔の大富豪らしい立派な木造の階段を上がる。

「立派な家だったんでしょうね」
「僕も詳しくはないんですけどね。趣味でこういう建物とか集めていたって人がすごいですよねぇ」

元々、昔の富豪がこの敷地に集めたらしい。そんな中をゆっくりと歩く。昔の寺のお堂や小道に沿ってゆっくりと歩きながら、繋いだ手が離れそうになると、時々しっかりと繋ぎなおされる。

「稲葉さん、こういう家だったら住めます?」
「えー、どうかな。この環境だったら微妙。たまーにだったら泊まれるけど、虫とか多そうじゃないですか」
「ああ、それはね。稲葉さん、虫とか駄目なんですか?」
「普通はあんまり好きじゃないと思います。少なくとも小さい虫とか多そうだし、クモとかも」

木立の中に立っている小さな茶屋のような建物にくすくすと指差したりあれがどうで、と話をしていると、本当にデートしている恋人同士のような気がしてくる。

「一応、ちゃんと火災報知器とかついてるんですね」
「ほんとだ。そっか、全部木造ですよね」
「あはは。空井さん、何度も来てるはずなのに、関心薄い!」

確かに、雰囲気が好きで来ているだけなので、特別建物に興味があるわけでもない。照れくさそうに頭を掻いた空井が小さな川のところを飛び石で渡った。

「稲葉さん」

空井なら二歩で渡ってしまうところだが、ゆっくりとリカを振り返りながら先に進む。
小道は左右に分かれていて、左は急な坂道だった。

「上は五重塔かな。上がりますか?」
「ええ。上に上がっても結局ぐるっと回ることになるんですよね?」
「はい。でも結構山道みたいな感じだから、稲葉さん大丈夫かなって」

足元を見た空井に、とん、と片足を空井の傍についたリカがぴたりと傍に立つ。

「大丈夫ですよ。空井さんが一緒ですから」

思いがけず、口から飛び出した言葉は空井を驚かせた。目を丸くしてまじまじとリカを見返してしまう。
後から道を渡ってきた老夫婦に慌てて場所を譲ってから繋いでいたリカの手を引いて先を歩き出す。

「……稲葉さん、無意識過ぎませんか」
「はい?」
「いえ……。行きましょう。足元、気を付けてくださいね」

斜めになった石造りの階段を上がっていくと、倒れそうな最後の段にぐらついたリカを支えて空井が先に頂上に立った。

「わ……」
「どうです?」
「すごいですね。ここ、見晴らしもすごいいいし……」

五重塔を前に周りすべてが見渡せる位置である。木々や綻びかけた花や、青い空と、遠くの海まで見えそうだ。
そっとリカを連れて五重塔の前で軽く目礼だけを送る。

「カメラがあったら録りたいです」
「ははっ、職業病?あ、でもビデオじゃない方ですか?」
「ビデオじゃない方です。ここ、すごくきれいに撮りたいですね。私、そんな腕ないけど」

手をかざしたリカが今にもその場から飛んでいきそうな気がして空井はぐいっとリカを引き寄せた。

「空井さん?」
「あ、いえ。行きましょうか。ここから降りていくんです」
「はい」

まっすぐに見えた小道はすぐに下り坂になって、峠道のようなところを歩いていく。下に降りれば大きな池の周りに出るのだが、まっすぐに歩いて見晴らし台へを向かう。

そちらは海からの景色が見えるようになっていた。人気のないコンクリートの打ちっぱなしの建物の上に上がった空井とリカは空と海を同時に見つめた。

投稿者 kogetsu

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