「……ごめんなさい」
夢の中で何度謝っただろうか。
目が覚めた時に、自分が泣いていたことに気づいたリカは、むっとして顔を押さえた。
―― なんなの。私は間違ってないから!
目が覚めてしまえばどんな夢を見ていたかなど覚えていない。だが、自分の声と涙でまるで自分が口にしたことを後悔しているような気がして、後味の悪さに嫌気がさす。
私は間違ってない、と思った時点で、夢を覚えていなくても一番自分自身が気にしているというのに。
ざぶざぶと顔を洗うと、目尻が上がって、鏡を見ていても自分の顔がきついく感じる。
報道記者の頃はこのくらいじゃないと、お嬢ちゃんだの、なんのと馬鹿にされていたからこれでいいはずなのに、日に日に心が重い。
「いい!もう考えない!」
自分に言い聞かせて化粧をする。化粧とパンツスタイルはリカにとって鎧と同じだった。
カメラが武器で、化粧とパンツスタイルで身を守る。
今までもそれでやれてきたのだから、できないはずはない。自分は間違ってなかったのだから。
朝食代わりのゼリー飲料を一気に喉に流し込んだリカは、最後に口紅を塗ると、鏡の前で自分を見つめてから家を後にした。
局に顔を出してから、密着取材をしている市ヶ谷へと向かう。その足が急に重くなっていく。
空井に怒鳴られた後、顔を出し難かったが、ドラマの話があって嫌でも顔を出さなければならなくなって、それでも企画を何とかすすめなければいけない。制服シリーズの企画を空井に絞って、取材をすることにしたのは、テレビ的には受けるはずだと方程式に乗せて考えたからだ。
エレベータホールから角を曲がってウェルカムと書かれた広報室の入り口に立って、こんにちは、と頭を下げる。そこからはいつものようにカメラを構えた。
一番入り口に近い席にいるその人はむっとして嫌な顔をする。
いちいち、ビビったりこういう反応に、反応し返していたら報道記者なんてできはしない。
「気にしないで自然にしていてください」
「そんなこといっても……。自分は撮られることには慣れていませんし、どうしてもカメラがあると意識してしまって」
何度目になるだろう。
毎日に近いこの押し問答を繰り返して、再びハンディカメラを構える。
リカにとって、そもそも密着してみたら、と言い出したのは鷺坂の方なのだから文句はそっちに言ってほしい。
空井は毎度、ついて歩くリカにうんざりと言う顔をして背を向けた。
―― そんな顔をされても私も仕事だから!
鉄壁の無表情を通したつもりで、リカの顔に一瞬走った傷ついたような表情を鷺坂はコーヒーをすすりながら眺めていた。室長室の入口に立っていた鷺坂は差して大きな声でもなく穏やかに声をかける。
「空井」
「はいっ」
「当日は比嘉と一緒に百里にはいるんだよな?」
撮影はもう間近に迫っていて、実際にドラマに使うシーンの撮影のためなら数時間だと思っていたが、設置など諸々の時間がかかり一日がかりでないと間に合わない。
朝一番に入らなければならないために、当日は直行の予定になっていた。
「はい。スタッフが入る前に百里に行って、ゲート前でチェックに入ります」
「あっそ。じゃあ、稲ぴょんもその時間には基地にはいってるんだよな」
「……そうです」
ま、頑張りなさいよ、と口角を上げた鷺坂が自分の部屋へと入っていくのを再び眉間に皺を寄せた空井が見送る。
鷺坂にもリカの担当を外れたいと申し出たが、あっさりと却下されていた。
鷺坂が許可さえ出してくれていれば、リカのアテンドはベテランの比嘉にうつり、不慣れな自分はいちいち振り回されなくてもいいはずだったのに。
ため息をついて自席に戻ろうと振り返ると、至近距離にリカがカメラを構えている。途端に険しくなった空井の顔を捉えながら、リカは広報室の全体へとカメラを振った。
1LDKのリカの部屋の中に今夜も間近で聞いたなら爆音に違いない音が響く。
知らなければいけない気がして、それでも局では資料を見ることも躊躇われたリカは、家に帰るとこのところずっとネットを探し回っていた。
ミリタリーものが好きな人は多くて、小説だけでなく、動画や画像、そんなものを片っ端から見倒していく。今まで知らなかったこともたくさんわかった。そして、その間に、鷺坂からもらった雑誌によって、空井がパイロットだったこともわかった。
―― わかったからって、どうしようもないんだけど……
パイロットだった彼がどうして広報官なのかも、調べればすぐに分かった。昔は、報道記者の立場でないとこういう資料や調査はできなかったが、今ではインターネットのおかげである程度までは簡単に調べられる。
リカに向けたあの怒りの瞬間以外、いつもやる気があるのかわからない表情のわけがわかった気がした。
それでも、リカにはリカの仕事があって、やり方がある。今の制服シリーズで、空井の悲劇を絡めた話をうまくまとめれば、まだ報道記者に戻るチャンスはあるはずだった。
夢破れた空井の話は、まだ夢を捨てきれないリカの目の前にある格好のネタでしかない。
社会人になって、仕事を始めてからわかったこと。
報道の記者になって夢がかなったわけじゃない。夢を続けるためには、今日より明日、明日より明後日、今日の事件よりもっと大きなものを。
常に先を求め続けなければならないこと。
そして。
一度、そのループから落ちてしまったらどうなるのか。
ループから転がり落ちたままで終わるつもりはない。自分にはあの緊張感に満ちた現場で認められていたはずなのだ。
「ん!私はやるべきことをやってるだけ!」
触れてはいけない傷もある。
触れて、さらけ出して先に進み始める傷もあるが、空井の傷はどうなのだろうか。
「ああ、もう。だめだめ。こういうのは受けるんだから取材される方にだってメリットはあるはずよね」
見る側にとっても、ハードルの高い自衛隊と言う職業に感情移入しやすいはずのストーリーである。迷う必要などない。
自覚もないままそう言い聞かせると、仕事のバックに突っ込んであるハンディカメラを充電につないだ。日に日に、自分を見る空井の顔が険しくなるのはわかっていたが、ここで折れるわけにはいかなかった。
翌日、やはり動きやすい姿にピンク色のコートを選んだリカは、桜がほころんでいるのを見て、まだ寒いのにと襟元のスカーフを直す。
花見に浮かれてもいいはずなのに、桜の花は胸が痛むだけで、百里に入ったリカは、顔が険しくなっている自分を認めたくなかった。パスを首から下げて、朝の受け入れチェックをしている空井の姿をカメラに捉える。
「今日も、お願いします」
「……はい」
―― 徹底的に嫌われたかな
よくあることだ。そう言い聞かせて、目の前を通り過ぎる空井の姿を追う。撮影隊は、ロケバスからスタッフが続々と降りてくると、すぐに場所を確認して設営が始まる。