「今日の。大祐さんは忙しかったですか?」
空井さん。
あれ以来、言いかけることもしないように気を付けているので、妙が間が開いてしまう。
『まあ……いいか。ちゃんと呼んでくれるし』
「なんですかっ」
『いや、オマケしときます。で?今日も楽しかったみたいだけど?』
大祐的にはかなり控えめに押さえたつもりで、かなり嫌味だったかなと思っていると、リカはそんなことには全く気にもせずに弾んだ声を上げた。
「そうなの。今日は行ったお店がまずあたりでね。すっごくおいしくて!それに、今日は珍しく報道局のスタッフも多くて、懐かしいなぁって思いながらね」
『……ふうん』
美味しかった料理の話から、爆笑の職場の話まで、リカは楽しかったことをすべて話したくて、着替えたり化粧を落としながらもいつまでも勢いが止まらない。
だが、聞いている大祐の方は途中から小さな相槌だけになっていく。
―― いや、待て。確かに、なんかムカつくけどこれじゃ、単に独占欲の強い情けない男じゃないか
「今度一緒に大祐さんもそのお店いきません?」
『……』
「大祐さん?」
『あ、うん。そうだね』
内心では、リカがほかの人間と行って、楽しく過ごした場所になど行きたくなかったが、そんな無様なことはいいたくなかった。
「大祐さん、眠い?珍しいけど、私も疲れちゃったし、早めに休みましょうか」
『そう……だね。ごめん』
「ううん。じゃあ、おやすみなさい」
ぴっと電話を切った後、携帯の画面にはいつもよりも短い通話時間が表示された後、ふっと消えた。
「……何やってるんだ。俺は」
ぱたりと携帯を持ったままの手が落ちて、そのまま大祐はその場に仰向けに倒れこんだ。座布団のない背中は畳の上に直に触れる。
このところ、リカが忙しくて、大祐も予定が合わず、会えるのはまだ先だ。壁にかかったカレンダーを何度見直しても、数字が入れ替わるわけではない。
空は繋がっている。
そう思っていても、会えない寂しさは男も女も関係がない。自分がいない間、リカにも寂しくしていろというつもりも毛頭ないが、このところのリカは、職場で誘われて飲みに行くことが増えた気がしていた。
それだけなら、まだ仕事の付き合いと思いもするし、お疲れ様、で済むところだが、こうしてかかってくる電話の声が回を重ねるごとにひどく弾んでいるように思える。
「……そりゃ、楽しいのかもしれないけど、ね」
基地のある場所はどこも街中からは当然のごとく離れた場所が多い。松島もまだ観光地も近くにあるし、仙台までそれほど遠くはない、と言ってもすぐに行けるわけでもない。
そんな場所よりも、都内の洒落た店で、華やかな局勤務の同僚たちと飲み歩いている方が楽しいのは間違いないだろう。
会えない時間が長いからだろうか。まだ、想いを交わして、電光石火で結婚して、新婚を楽しむ時期だというのに離れて暮らしている自分たちは、ようやく恋人同士という関係に慣れてきた程度なのに。
「……独り言だけ増えてもね。俺ばっかりが会いたいのかな……」
一人で想っているだけだった時には感じたことがなかった。ただ、幸せだけを願う日々は、辛さもあったが、それでも想うだけでよかった。
今は。
大きくため息をついた大祐は、片腕をついて起き上がると、携帯を充電につないで布団にもぐりこんだ。
「稲葉さん。ちょっといいですか?」
会議の終りに、廊下でリカを呼びとめる声に足を止めた。ノートパソコンと書類を抱えたリカが振り返ると、同じ会議にでていたスタッフの一人が近づいてきた。
「何でしょう?」
「あの、稲葉さんは結婚されてるんですか?」
ちらりと胸元に抱えた手に視線を走らせた彼は、リカよりもいくつか年上のスタッフで、ドラマ部から移動してきたばかりだった。
「ええ。結婚、してますけど」
左手の薬指にはめた指輪をほかの指で触ったリカは、ちらりと指輪を見せつけるのとは逆に隠すような仕草で頷いた。
頭を抱えたスタッフは、やっぱりかーっと呟いたが人好きのする笑顔で微笑んだ。
「そうですか。ありがとうございます。つまらないことで呼び止めてすみません」
「あ、いえ。そんなことは。市川さんですよね。異動されてきて、まだまだ大変だと思いますけど、何かあったらいつでも声かけてください」
「嬉しいな。ありがとうございます。稲葉さん、いつもそうやって周りにも気を配ってくれるから……。傍にいると安心します」
ありがとう、と繰り返した市川は先に戻りますね、と言って、リカよりも一足先にフロアへと戻っていく。
その場に残ったリカは、ガラス窓から外を見上げた。
真っ青に晴れた空は、大祐のいる松島の空も同じだろうか。
地上はほとんど風が吹いているわけではないが、少し早い雲の流れは上空の風の動きを知らせている。
「……私、モテちゃったみたいですよ?大祐さん」
応えられはしないが、ふふっと笑ったリカは、学生時代を除いては久しい状況が少しだけ嬉しかった。
今まではそんな風に思われるようなことはなかったからだ。報道記者に続いて、騒ぎを起こし、情報へ移動してからもガツガツとしか思追われたことはない。
その印象が変わったことが嬉しくて、大祐に聞いてほしいな、と思いながら、ガラス張りの廊下を歩いて行った。