重い気持ちで家に帰ったリカは、気まずさから電話をかけることを少しでも遅らせようと、いつもより時間をかけて風呂に入った。
髪も乾かしてしまい、後はほかにすることもなくなってしまったところで、緊張をしながら携帯を手にする。
独特のコール音の後、柔らかい声が聞こえた。
『もしもし。おかえり、リカ』
「ただいま。ごめんなさい、シャワーしたりしてて遅くなってしまって……」
『うん』
わかってる。
喉元まで出かかった言葉はでてくる代わりに胸の奥の情けなさを倍増させる。
いつもなら今日はどうだったと聞かれる代わりに一瞬あいた間がリカを慌てさせた。
「あの、あのね」
『リカ』
「……はい」
こんなに会いたいのは俺だけなの。
こんなに情けない俺なんか知らなくていい。
胸の中で渦巻いていた言葉は結局出口を無くした。
代わりに、当たり障りのないつもりで口から出てきたのは結局、大差ないセリフだ。
『藤枝さんと飲んでたんだね』
「藤枝の方からね?その、話があるっていうから……」
『うん。なんか懐かしかったな。昔、藤枝さんがリカの彼氏だって思い込んでた時を思い出したよ』
「!……ごめんなさい。連絡しないで」
―― ああ、違うんだ……
リカのごめんなさいを聞いて、ますます情けなくなってしまう。
こんな風ではまるで浮気を疑っている男のようだ。
藤枝から電話がかかってきたときは正直、イラっとした。
なぜ、リカからではないのかと。
意味ありげにリカに代わってすぐ、あとで電話してと言って戻してもらった。リカが藤枝の携帯を持って、耳に当てているだけでも何となく不愉快で。
ついつい、無意識に威嚇してしまう。
『いつもすみません。リカがお世話になってます。ご迷惑かけてないですか』
「いえいえ、大して。そういうことでまたこっちに来た時は飲みましょう」
藤枝には、無駄な牽制もすぐに分かったはずだ。それをあっさりとかわされて、ますます情けなくなる。
こんなみっともない姿は見せたくなくて、普段通りにしようと思っては見たが、結局口から出てきたのが嫌味ではどうしようもない。
電話越しではフォローもろくにできずにいると、リカの方が口を開いた。
『あの、大祐さん。ごめ……』
「明日は、早そうなの?金曜日だよね。ちゃんと週末は休みとれそう?」
『……うん。金曜だし、早めに帰って……。そっちに行ければよかったんだけど』
「それは仕方ないよ。俺も仕事してて、せっかく来てくれたリカとほとんど一緒にいられないのは落ち着かないし」
2週に一度、どちらかがどちらかに向かう。
そう決めたのは二人だったが、お互いが口に出した言葉に縛られたともいえる。
お金も続かないし、これから先も長いからと言って、同意しながら、じゃあ、駄目だった時は翌週にずらすわけではなく、1回飛ばすことにした。
だから、今週会えない分さらに会えるのは先になるはずなのだ。
「せっかくの週末だからゆっくり休んで」
明日1日頑張れば、週末だよ、とわざと明るい声を上げた大祐は、それからいくらもしないうちに電話を切った。
「……やっぱり俺は」
その先に何を呟こうと思ったのか自分でもわからないまま、ごろりと転がった大祐はそのまま目を閉じた。
翌日になっても、もやもやした気持ちは変わらなくて、決してリカの気持ちを疑うわけではないが、自分よりも似合いの男がリカの周りにはたくさんいるのだろうということだけは確かな気がした。
ぐしゃっ。
何度目かの申請書を失敗した大祐は、半端に印刷された書類を握りつぶした。
「ああ。くっそ……」
「なんだ。空井。随分機嫌悪そうだな」
表から戻ったばかりの山本が通りすがりに声をかけてくる。
眉間に皺を寄せた大祐は、苦笑いで応えた。
「すみません。なんだか今日は失敗してばかりだ……」
自嘲気味につぶやくと、自席に戻った山本がまじまじと大祐の顔を見た。
「空井」
「はい」
「この週末の仕事は他に奴にやらせるから、お前は休みでいいよ」
「えっ?!」
驚いた大祐に持って帰ってきたばかりの茶封筒を覗いた山本は、一人、おお、とかふむ、これでいいな、など、すでに自分の世界に戻っているように思えて、すごすごと大祐は自席に戻る。
確かに、土日の仕事を誰かに任せられるならリカのところに行けるはずだった。