「もう一回言うけどさ。お前、自分で何言ってるかわかってんの?」
「わかってるよ。わかってる。俺だってこんなの言いたくねぇよ。言いたくねぇんだけどさ。なんつーか、俺もちゅーしちゃった手前、お願いされると断り辛いじゃん」
「じゃんって言っていいわけないだろ!つーか、本気で言ってる意味わかんねぇから!もっとちゃんと言え」
切れ長の目に睨みつけられて、ガタイのいい体がすくみ上る。
「だからさ、早い話、大澤由香の目当てはお前だったわけよ。それで、お前に近づきたいってことで俺がちょっとカラオケにって誘ったのもついてきたんだってさ」
キスした後、よかったらと誘いをかけた前島に、由香は首を振った。
「駄目駄目。前島さん、空井さんと仲いいでしょ?私、本命空井さんだから」
「はぁ?空井ってあいつ、結婚してるの知ってるだろ?」
「知ってるけど、奥さんに言わなきゃわかんないでしょ?奥さん東京だって言うし、一回くらい相手してくれるかもしれないじゃないですか」
「それはないだろー」
いつの間にか歌本は横に置いて、ドリンクとフードを注文した二人はすっかり飲み始めていた。
頭を掻きながら、あの大祐をいくら口説いてもそれはないことは前島にもわかる。だから無理だとそう言ったのだ。
「あいつ、嫁さんのこと本当に大事にしてるから、それだけは無理だと思うぜ?」
「別にいいんですよ。奥さん大事にしてて。私だって、ここやめたら即、見合いで結婚ですもん。別に本気になってほしいわけじゃなくて、一回つきあってくれればいいかなーって」
「だから、そんなことありえねぇって」
ほかの男ならまだしも大祐とよく飲むようになって、どういう男なのかよくわかっている。
だからこそ、ありえないと言った前島に、にこっと笑った由香は、お願い、と言い出した。
「だからってなんでお前、そんなありえないこと引き受けてくるんだよ!」
「わかってるよ。だからさ、頼んでるんだろ?」
「頼まれたって受けるわけね―だろ!」
「わーかってるって!だって、ちょっとだよ?ちょっと」
話を聞くまでもない、と最後まで食べきった大祐が口元を拭ってナイフとフォークを置くと、新しく持ってきたオレンジジュースを一気飲みした。腹が立って仕方がないから一気に飲めるものにしたのだ。
空っぽになったグラスを持って、次のドリンクをとってきた大祐に前島はまだ両手を合わせてテーブルに頭を付けた。
「なー、頼むって」
「ない。それにそういうつもりがあるんだったら俺、もう彼女とは話しないし、近づかないようにする」
「付き合うつってもさ、そこはお前がうまくやりゃいいじゃん。別に最後までしなくったって、気が済めばいいんだしさぁ」
「絶対!ない!ていうか、そもそもそんなお願いされて取り次ぐお前が信じらんねぇよ」
そんな押し問答を10時過ぎまで延々繰り返していたために、店は閉まってしまい、携帯を買うどころではなくなってしまった。家に帰ってPCからリカに連絡をしようと思っていたが、官舎に帰ったところでその予定はまた覆されてしまう。
官舎についたところで、車を停めようとした大祐は、ますます嫌な気分になって、両手でハンドルを握りしめたところへ頭を寄せた。
大祐と前島の部屋は同じ建物だったが、その中でも大祐の部屋へ上がる方の階段の前に、ダウンコートを着た由香が立っていたからだ。
そもそも、今夜の話を聞いた時点で大祐はかなり腹を立てていた。仮に、由香が真剣に大祐のことを想っていたにせよ、その行動は大祐には理解できないものだったからだ。
正々堂々と、大祐に告白してくるならまだしも、前島に近づく意味が分からなかった。
大祐は、助手席のシートに手を置いて、後ろからついてきた前島の車を振り返った。バックして当ててやろうかと思ったが、さすがに自分の車も無傷ではすまないし、色々面倒なことになる。渋々、車を回して自分の停車位置に止めた。
サイドブレーキを引いて、エンジンを切った大祐は、車を降りてすぐに、二つ隣りの前島の車の傍へと歩み寄った。同じように、バックで車を停めた前島の運転席の傍へと立つと、窓をあけさせる。
「おい、お前なぁ。なんで呼んだんだよ」
「だってしょーがねぇじゃん。今日、お前と話すって連絡してたんだからさ」
「だからって!」
がん、と前島の車の上を腕で叩いた大祐の傍に、砂利の音をさせながら由香が近づいてくる。
「空井一尉。前島二尉と喧嘩しないでください。私が無理を言ったんですから」
はぁ、と足元に一度視線を落とした大祐が嫌々ながら顔を上げた。
「大澤。……もう遅いから帰れ」
「やだなぁ。子供じゃないんですよ?」
「やってることは子供と同じでめちゃくちゃじゃないか」
「そんなことないです。空井一尉のことが好きなだけですよー」
吐く息が真っ白になるくらいの寒さなのに、ダウンを着て、ポケットに手を入れた由香は首を傾げてにこにこと近づいてくる。
前島と大祐のところへ、あと2メートルというくらいの場所で立ち止った由香は、ポケットから両手を出して広げて見せた。
「そんな、怒らないでください。もう、自分、来月でやめるんです。その前に一度、思い出が欲しいなって思っただけです。前島二尉は空井一尉と仲がいいからうまく話してくれるかなって思ったんだけどな。私、別に空井一尉に家庭壊してほしいわけでもなんでもないんで」
「それはおかしいだろ。やめるからなんでもありなわけない。それに俺はそんな話、付き合うつもりはないよ」
ざっと足元の砂利を蹴散らして部屋へ戻ろうとした大祐の目の前に由香が立った。
「空井一尉。そんなこと言わずに携帯教えてください。今度は直接、空井一尉にメールします」
「携帯はないよ。昨日、落として壊した。こんな無駄な話がなかったら今日、買いに行って来れたんだけど」
「冷たいなぁ。いつも優しい空井一尉らしくないですよ?」
「俺、仕事じゃない時に、俺に向かって無理強いしてくる相手に優しくするほど人間出来てない」
こんな話なんて、隠し事をしたくないと思っているリカにどういえばいいのかと頭をよぎる。それがますます、大祐を腹立たしくさせて、不機嫌な顔のまま、由香の傍を通り過ぎた。前島のことも振り返ることなく、部屋への階段を上がる。
窓を閉めて、車から降りた前島が二人のやり取りを見ながら、ゆっくりと歩み寄ってきて、ほらな、と肩を竦めて由香の隣に立った。
「諦めてお前、帰れよ。もういいだろ?」
「前島さん。一度言われたくらいでごめんなさいって引くくらいだったら初めからしません。ダメ元なんです」
嫌われたって別にかまわないし。
そう言って笑った由香の笑顔が、いつも基地で見せる笑顔と変わらなくて、訳が分からない前島に、由香は頭を下げた。
「ごめんなさい。前島さん、もうちょっとうまく話してくれるかなって思ってたから巻き込んじゃった。でも、もう空井一尉にも伝わっちゃったし、今度は直接本人と交渉するんで、もう大丈夫です。巻き込んですみませんでした。じゃあ、おやすみなさい!」
「お、おう……。あ、おい。気を付けて帰れよ!」
「はーい。じゃあ」
ひらりと手を振って女子の部屋がある方へと真っ暗な中を歩いていく。
まいった、と呟いた前島も寒さを感じてぶるっと、身を震わせると、急いで自分の部屋へと戻っていった。