―― 怖い……
一応、すぐそばの机を盾にするようにしてはいたが、ドアに仕掛けられた爆弾が爆発したらただでは済まないはずだ。
正直怖いことは怖いが、今何が起きているかの実感が薄くなっているために、妙な興奮状態でもある。
「……いくぞ」
ずずっとぴたりとフレームに収まっていたドアがじりと動いた。少しずつ動かしたドアの隙間にみえた細いワイヤーがぴん、と張っている。
緩めたり、ひっぱりすぎないようにしながらドアをずらしていくと、向こう側の明かりが見えた。
「ドアの傍にいる人は離れて!」
出来た隙間の間から古橋が怒鳴る。廊下に逃げ出した行員たちが、這うように離れるのが見えた。
「古橋さん!」
向こう側がはっきり見えるようになった、と思ったところで蘇我の声がかかった。
躊躇わず、ぴたりとすぐに動きが止まる。
「駄目か」
「……」
ドアの隙間に引っ張られたワイヤーが見えた。これ以上ドアを動かしてそれを引ききってしまわないだけの遊びがもうない。
こんなときにこそ、NPSのほかの隊員がいれば、一號がいればと一瞬、蘇我の頭をよぎる。
―― あんな奴でもこういうときは役に立つんだが……
今、一號たちは正木のところに向かっている。銀行に入ってからそろそろ十分程度だろうか。
周囲をごまかして中の人たちを脱出させるための許容時間は二十分が精一杯だろう。
正木という大物を捕えることが優先事項でもあるのだ。
一旦、元に戻して検討かと思ったところにばたばたっと慌ただしい気配がなだれ込んできた。
「蘇我!古橋さん!」
「神御蔵!お前正木は?!」
一號に続いて、速田と、躊躇はしたものの姿が姿だけに外にはいられず、大祐も中に入ってくる。
驚いた古橋と蘇我の元に駆け寄った一號がドアを支えた。
「それは後で!これ!」
蘇我の手にカウントダウンしている携帯を押し付ける。
残り五分を切るかという表示に顔色が変わった。
「神御蔵!何だこれは!」
「あいつの置き土産だよ!どこのかわかんねぇ!」
「それでどうしろと……」
さすがに絶句した蘇我の手元を古橋が覗き込んだ。周りを見回した古橋は、速田を振り返る。
「シャッターだ!帝都テレビを下げろ!」
速田よりも先にリカのほうがその名前を聞いて反射的に体が動く。アサルトスーツを着た大祐に驚く暇もなく、一號と蘇我のやり取りにそれがリアルだと疑う余地もない。カメラを置いて走り出そうとしたリカの腕を大祐が掴んだ。
「俺が行く。ここにいて。シャッターの穴は下にあるから」
見えないように足元に無理やりあけた穴から出入りするのができるのはアサルトスーツを着ているからだ。
これだけの大人数を外に出せるような穴ではない。
素早く走り出ていった大祐に続いて速田がシャッターの穴から表に出て外にいる藤枝たちを移動させるために急ぐ。彼らが出入りしているからといって、簡単に抜けられる状態ではないのだが今はそんなことを言っている場合ではなかった。
「古橋さん!!なんで、シャッターだって……」
「見ろ!そいつで止められんならお前にそれ、渡すわけねぇだろ!」
差し出された携帯の受信アンテナはわずかに1本立っているかどうかだ。時計のカウントがどんどん減っていくだけで他には何もしようがない。画面に触っても反応はなく、ボタンをうっかり押して戻れなくなったらと思うと、他に触りようもない。
リモートで止められるようには作られていないとすれば、携帯がどこにあろうと、後は爆発するだけだ。
「もし、それがどこにいても起爆できるなら止めるスイッチもあるはずだ。止めたくてもこの中にいて繋がらない可能性もあるなら、はなから止める気なんてない!」
ぎり、と歯をかみ締めた一號はドアを支える手に力をこめて叫んだ。
「皆さん!もっと壁際に近づいて!伏せて!」
一號が怒鳴った次の瞬間、携帯のカウントはゼロになる。
「!」
古橋と一號も、ドアを押さえるグリップを強く握りしめながら、できる限り体を伏せる。
衝撃と比べれば音の方が早いと言われるが、さすがにこの距離では衝撃もほぼ同時と思われた。
「きゃあぁっ!!」
客たちと、蘇我たちのちょうど間にいたリカは、大祐と速田が走り出て言った銀行の入口のほうからの爆風に叫んだ。頭を抱えてしゃがみこむリカと、同じように客たちは悲鳴を上げながら身を伏せる。
「くっ!!」
「蘇我!一號!!」
「大丈夫です!」
思わず衝撃に噛み締めた蘇我と一號に古橋が叫ぶ。
三人がグリップを握り締めたおかげで倒しかけたドアはかろうじて、その位置からずれることなく維持することができた。
煙がフロアの中に広がって、ごほっ、ごほっと咳き込む声が続く。
口元を押さえて立ち上がったリカは、我に返って銀行の入り口のほうへと駆け出す。
「……!!」
ひしゃげたシャッターと崩れ落ちた天井らしいコンクリートで大きな自動ドアとATMのある入り口ロビーは見る影もなかった。
「大祐さん……っ」
ほんの一瞬顔を合わせただけで、無事に外に出たのかもわからない。
口元を押さえた手が震える。
「くそ……。指向性か」
すぐ傍で呟かれた言葉にリカが顔を上げる。ドアの支えを蘇我と一號に任せて古橋が傍に立っていた。
「しこうせい?」
「指向性ってのは、特定方向に向けて威力を絞った爆薬ってことだ。つまりここじゃ、中にむかってじゃない。外側にむけて脱出できないようにと、シャッターを何とかして脱出させようと俺たちが動くのを邪魔するためだろう」
怪訝そうに眉をひそめたリカに、ドアを振り返ってから古橋はもう少し噛み砕くことにする。
「見てみろよ。こんな至近距離で爆発したのに、それほどひどいことになってないだろ。爆薬の威力を抑えているっていうのもあるかもしれねぇが、銀行の壁ってのは普通のビルよりも分厚くなってる。それにしても壁や天井がこの程度の被害だってことは使われた爆薬が指向性だとしか考えられねぇ」
「じゃあ、外にいた藤枝やさっきの……」
藤枝達を離れさせるために向かった大祐と速田が大きなダメージを受けている可能性を考えると、急に震えがくる。
「大丈夫だ。速田が一緒にいる。あんたの同僚にもダンナにも怪我なんかさせねぇ」
不安に揺れるリカの肩を力強く叩く。
「もちろん、あんたにもな」
くるっと振り返ってドアの傍に戻った古橋は蘇我の握っていたグリップに手を添えた。
「蘇我!」
「……わかってますよ!」
ドアを支える手を離した蘇我は踏み台を引き寄せてドアの上部を覗き込んだ。
張られたワイヤーをたどってその先に繋がる爆薬を探す。天井のフレームを押し上げるとピン、と張っていたワイヤーがわずかに緩んだ。
「……これか!」
ワイヤーが伸びているということは、引っ張られて爆薬のピンが抜ければ爆発する。
ただ、そのワイヤーを切ればいいという単純な構造ではないだろう。
―― ワイヤー……導通を確認する道具はない……
ワイヤーに弱い電流が流れていてそれが遮断されれば爆発する。
道具さえあれば、ワイヤーを切断してもつなぐことができるのだが、今はその代わりになるものさえない。
「くそ……っ、なにか」
「何があればいいんですか」
カメラを手にすぐ傍まで近づいたリカが蘇我を見上げる。
向けられたカメラにむっとした蘇我は顔を背けかけて気を取り直した。
「ワイヤーか、その代わりになるようなものと、よく切れるはさみかなにか」
「紐ではだめですか」
「駄目だ。ワイヤーに変わる金属の何かじゃないと……」
「金属……」
フロアの中に視線を向けたリカは、何かないかと唇を噛み締める。
ワイヤーのかわりになって、長さのあるもの。
「……何か」
「蘇我!蝶番を壊せねえのか」
「無理だ。これは蝶番が内側に入るタイプで、蝶番を壊すにもドアを大きく開かなきゃならん」
どうにもならないのかと思っていたところに、人質の中にいた若い男性が一人立ち上がった。
「あの……。これ、よかったら使えませんか」
「え?」
「どうせ、片側断線してて新しいの買おうと思ってたし。使えるなら使ってください」
ポケットから取り出したのはイヤホンで、ぐるぐるに丸めてあったが確かに中は使えるかもしれない。
強度に問題はあるが導通だけならいけるかもしれない。
リカが代わりに受け取って蘇我に差し出す。
「……でき……」
古橋がすぐに腰から小さなマルチツールを放ってよこす。
できるわけがないだろうが、という言葉は蘇我の口からでないまま、眉を上げた蘇我はうけとったイヤホンのピンがある根元のプラスチックカバーを器用に剥いた。その後、左右に分岐するところからするりと耳に当たる部分を両方切り落として中身を露出させて一まとめにひねりあげる。
「……どう考えたってこんなもの……」
うまくいくのか。
理論上は通電するだろうが、あくまで想像だけだ。こんなものを使ったことなどない。
「何ぶつぶつ言ってるんですか?!できるんですか?できないんですか?」
「こんなもの使ったことがないといってるだけだ」
「こんなものって!せっかく提供してくれたのに」
目の前でかりかりしているリカにまじめに言い返すところが蘇我らしいといえばらしいのだが、それがますますリカを苛立たせる。
目を吊り上げて噛み付きそうなリカを放ったまま、蘇我は踏み台を寄せてドアの上部を再びのぞきこんだ。
ワイヤーにイヤホンを寄り合わせた蘇我は下でドアを支えている二人を見下ろした。
「なんだ……?」
その間に時間は少しだけさかのぼる。
一番情報があるはずの基地局は、知らぬ間に一番情報が入らない状態になっていた。
正木がいると判断して動いた速田達と銀行の中に突撃する蘇我と古橋の二班に分かれたNPSを苦い顔をしていたSATの面々もバックアップに動いていた。ドアの爆発物解除に手間取っていたSATの処理班はそのまま解体を続けており、どうにかして銀行内へと繋ぐルートを確保しようとしている。
その間に別働隊は速田たちが近づいている正木の周囲を囲い込んでいた。
蘇我のいない間を埋めるように他の狙撃手が出入り口を狙って配備されている。そのほかは逃亡を見込んで周囲に展開していた。
それを指揮している中丸の背後で香椎が怪訝そうな声を上げた。
「なんだ」
「中の様子がおかしいんです」
トラックを配置したのは七海の証言から周囲で働く会社員の中にも仲間たちがいる可能性があったからだ。
誰かが正木たちに連絡を取らないよう、正木たちの仲間がその様子を監視していることも考えてのことである。帝都テレビの藤枝達をカムフラージュに使ってまで周りからの視線を遮った。
その間に、シャッターの下に、入り込むだけのスペースを確保して中の人質が外に出られるよにルートを確保するはず。
「何がおかしい」
「蘇我と古橋が中に入ったようなんですが……」
ドアの解体を始めたらしい蘇我と古橋の姿がカメラの視界から姿を消してしばらくした後、様子を見ていた香椎はリカと宮原の動きに身を乗り出していた。
宮原が怯えてリカの後ろにすがり付いているのかとも思ったが、どうもおかしい。
「なんだあれは」
「……あれは」
香椎と中丸がモニターをのぞきこんだ
状況的にはどう見てもリカが人質として扱われているように見える。
「俺だ。何があった?」
小さなピンマイクを握ってインカムに話しかけるが、状況が状況だけに応答がない。
じわりと汗がにじむ。
音がないだけに何が起きているのか画面だけでは把握しづらいが、言い合いをしているような様子は見てとれる。
「香椎!」
中丸の一言にマイクを握った香椎は次の瞬間取り押さえられる宮原をみて、深く息を吐いた。
―― やはり中にもいたか……
犯人が現場にいない、と思われていたが、七海の行動から銀行内にもいる可能性は想定していた。
犯人と疑われないためにも廊下に出た中にいるかと思っていたが、残った中にいるとは意外だった。
「古橋。蘇我。基地局、香椎だ。聞こえるか」
インカムをはずした様子はない。だが、モニターの中の不穏な動きを目にしたあたりから呼びかけても反応しないのは、もしかすると聞こえていないかもしれないと初めて思い至った。
「一號、速田。誰か聞こえないか」
いくら呼びかけても反応が返ってこないことでその疑いが強くなる。
予備のインカムを探している余裕はない。くそ、と呟いた香椎は、インカムを掴んで耳からはずした。襟元にイヤホン部分がぶら下がる。
「中丸隊長!ここをお任せしても?」
「どこに向かうつもりだ」
「現場です。彼らと連絡が取れない……」
焦る香椎に中丸は無線を掴んだ。
「こちら基地局、中丸だ。NPSをフォローしている班、そちらの状況はどうだ」
「こちら捕獲班。現在NPSの三名が正木のいる店の付近まで接近しています。まだ正木が店員の指示に従って離れる様子はありません」
「そうか。ところでNPSの無線が入りづらいようだが、無線に支障はないか」
「は。特に問題はないようですが……」
「わかった。引き続き、周囲を警戒しろ。どこに正木の手下がいるかわからんからな」
無線を離して香椎をみた中丸は、首を横に振った。
「お前のインカムだけが通じないということもある。その状態でお前が現場に行ってもどうにもならん」
「しかし……」
「隊長が冷静な判断をしなくてどうする!」
中丸の一言にそれでも香椎の頭の中では表に出るか否かの葛藤で一杯だ。
―― 冷静になれ!
仕掛けられている爆薬の量がわからないがあの正木が仕掛けたならそれほど少ないとは思えない。
NPSの部下たちから見れば冷静で、頭脳明晰な香椎に見えたが、その本人の胸のうちでは深い葛藤が確かにある。
インカムをもう一度耳につけた香椎は、カメラの中ではなくトラックを配置した周囲の地図へと目を向けた。