感情的要素 1

「とにかく」

狭い休憩スペースにぎゅうぎゅうに集まっているのは鷺坂を筆頭に、比嘉、槙、柚木、小暮班長に石橋二曹、そのほか、広報室の隊員である。

「片山が今日は午前中いないのはラッキーだったと思おう。戻ってきた片山のことはお前たちに任せたから、とりあえず当面、空井のことはそっとしておいてやろう」
「そうですね。こういうことは案外時間が解決するものですし」

鷺坂と小暮の大人二人が頷きあえばほかに逆らうものもいるわけがない。
狭い休憩室の片隅で柚木は腕を組んで唸った。

「うーん。しっかし、何があったんだか。比嘉!お前、なんかもっと聞き出せなかったのかよ!」
「柚木三佐。その言い方!」

眉をひそめた槙を片手でひらりとあしらう。だが、その柚木を前に比嘉もしょんぼりと肩を落として首を振る。

「とてもじゃないけど、僕もあれ以上は無理ですよ。皆が来る頃にはだいぶましになりましたが、僕が席に座ったときには酒の匂いもすごかったですしね」
「えっ?!じゃあ、今日、誰か飲みすぎたやつでもいるのかと思ってたけど、アレ、空井なの?!」

柚木の席からは斜め後ろ、直接話すのも今日ばかりは避けたくなるほど、目に見えて大祐は落ち込んでいた。どこかうつろな目に、ろくに顔も洗わずに来たのかと思うくらいぼんやりした顔。

まるで広報室に来てすぐの頃の大祐を思い出しそうになる。

「あんた、気づいてなかったの。比嘉さんが一生懸命コーヒー淹れてくれたりして誤魔化してたでしょうが!」
「だ、だって、お客さんが来るはずが来なかったからって」

呆れた槙に突っ込まれた柚木は、だって、を繰り返す。広報室の入り口に近い席であるがゆえに、広報室に足を踏み入れた者には全員がその顔に貼られた湿布とひっかき傷を見てしまう上に、落ち込んだ様子が手に取るようにわかるのだ。

まずは比嘉に止められ、次は比嘉ともう一人に止められ、そうして広がった“空井をそっとしておこう”のメンバーたちはお互いに頷きあった。

あとはこの手の話しに一切、気が利かない片山を抑え込めば何とかなる。

ようやく見えた光だったが、冒頭に戻った鷺坂が誰に言うともなく呟いた。

「稲ぴょんに何しでかしたんだろうねぇ。あいつ」

ことと次第によっては、俺も黙ってはいない、とも思っているが、ひとまず今はそっとしておくのが一番だ。

隊員たちが席に戻っていき、最後に鷺坂は比嘉に頼む、といってその後は姿を消した。

比嘉でさえ聞き出せなかったというが、大祐は昨夜の全容をすべて語る気にはなれなかった。
かいつまんで説明することならできたが、大祐が起こそうとしたアクションと、その後の一連の流れに繋がることを黙っておける自信がなかったからだ。

それくらいなら沈黙を貫いた方がいい。

しゃべるたびに、頬に貼った湿布が引きつって、嫌でも思い出す。それが面倒になって、昼前には自分ではがしてしまったが、今度は比嘉に真剣に詰め寄られた。

その顔では何かあったのかと思われるからと、今はもう一度大判のテープを頬に貼っている。

あれから家に帰ってもどうにもリカの顔が頭から離れなくて、一向に眠れなかった。やりきれなくなって、家にあったビールを全部あけて、それでも足りなくて、表に買いに出て。

ほんの少し前までは、これで付き合っていないなんて言うことはないだろうと言いたくなるほど親し気だったのに、ほんの少し後に大嫌いと言われてしまったなんて。

鷺坂の退官も近い。
こんなわだかまりを残して見送りたくはなかったのに。

―― 俺は、どうしてこう……

フラフラの頭にてっぺんからシャワーを浴びて、どうせ家にいても仕方がないと、早々と出勤した。
手当もせずに酒を飲んで放っておいた顔は、少し色が変わって、腫れあがっている。広報室に来てからぞんざいに湿布貼ったのだ。

「空井」

静かに名前を呼ばれて、一瞬反応が遅れた。

「はい」
「電話」
「……ありがとうございます」

外線ボタンを押して受話器を取る。

『もしもし』

……!

第一声だけですぐに分かった。

その瞬間に、一気に血が騒いで目を見開く。

「あ、あのっ」
『お世話になっております。帝都テレビの稲葉です』

大祐の慌てように周りの目が向いたことも気づかない。
受話器にかじりついた大祐に電話の向こうの声は相変わらず固い。

『本日ご連絡させていただいたのは……』

仕事の連絡だと取り付く島もないリカに、ただ、相槌を打って何を話したのかも覚えてない。
電話を切った後、耐えきれなかった柚木が椅子を滑らせてきた。

「稲葉、なんだった?」
「ただの……、ただの仕事の話しです」
「ただのって……、あんた、ほかには」

片手で事を運べるのはこのメンツだからなのか、槙が片腕で柚木のデコルテのあたりに腕をまわして一気に引き戻した。

「何すんの!」
「室長に言われただろ?構うなって」
「だって……」

大祐の後ろで頬を膨らませた柚木と槙のやり取りはさておき、大祐はますます地面にめり込みそうなくらい落ち込んでいた。

* * *

「だから!何とかしてくださいってお願いしてるじゃないですか」
「なんで俺に頼むんだよ!」

情報局のすぐ外の廊下で珠輝と藤枝が小声で言い合っていた。
午前半休をとったリカが昼過ぎに姿を見せてからその様子がおかしいことはすぐに伝わる。珠輝に呼び出された藤枝も、夕方の番組前だというのに、駆り出された挙句、今のうちにと珠輝に噛みつかれていた。

「だって元カレでしょ?!そのくらいできるんじゃないですか?」
「だから!俺と稲葉は今までもこれからも付き合ってないっての」
「もうそんなことどうだっていいから、さっさと何とかしてくださいよ!」

珠輝にそういわれて、どんと情報局の中へと押し込まれた藤枝は、転びそうになりながら珠輝を振り返ると、舌打ちをしていつもの調子でリカに近づく。

「よう。稲葉」
「話しかけないで」
「はぁ?俺なんかした?」

いきなりの一言に呆気に取られていると、パソコンに向かっていたリカがくるっと隣に立った藤枝を見上げた。

「何もしてない。あんたは何もしてない。でも、いましゃべったら泣いちゃうから終わるまで待ってて!」
「お、おう……」
「仕事、ちゃんと終わらせてから!」

眉間にいつも以上にしわを寄せてるのはどうやら、何かを堪えているかららしい。

ふうん、と何かを察したのか、腕をくんで頷いた藤枝は情報局の入り口から様子を伺っているほかのスタッフを見ながら手を伸ばした。
リカの頭にポン、と手をおく。

「わかった。んじゃ終わったら入り口な」
「……わかった」

手を置いた頭が小さく揺れたのを感じて、藤枝は勢いをつけて体を起こした。

投稿者 kogetsu

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です