残業明けで帰ってきたリカは、玄関に入ったところで、靴を脱ぐのももどかしく、壁に手をついた。
「つ……かれたー」
いつもはそろえておく靴も、もう、疲れ切っていて、今日はいいか、と這うように部屋に向かう。入ってすぐにバックを放り出すと、ばたりとソファに沈み込んだ。
今日は、朝からトラブル続きでばたついていて、結局、どれもこれも解決はしたものの、昼を食べる余裕もないほどだった。
「お腹すいたなー……」
大祐と一緒になってから、一応朝と夜はきちんと食べるように心がけていたから、朝はともかく、昼を抜いて夜も22時を過ぎると慣れた体は空腹を覚える。
何か食べなきゃと思ったが、食べるものを用意するのも面倒で、何とかバスルームに向かって顔だけは洗った。
服を着替えて、ほうっとため息をつくともう一度ソファに沈み込んだ。
「……眠いなー」
何か食べないと。
何か飲まないと。
そんなことが頭をよぎりはしたが、動くのが面倒でそのまま目を閉じた。
同じように、松島の大祐も、その日は取材や企画などの対応が続いて、忙しい一日だった。昨日は、早い時間からリカと電話をしていたから、余計に話したくて仕方がない。
「ふう……。じゃあ、自分、そろそろ上がりますね。お先に失礼します」
先に帰った隊員もいるが、まだ残っている者もいる。キリのいいところで立ち上がった大祐は、バックを持って車に向かった。
この時期、遅くなれば特に暖気しないと車はなかなか動かない。エンジンをかけて温めている間に、リカの携帯にメールを送る。
『お疲れ様。もう家に帰ったかな。今日は遅くなってしまって、これから帰ります』
いつもならすぐに帰ってくるメールが返ってこないところを見ると、リカの方もまだ忙しいのかもしれない。車が温まったところで、ゆっくりと走り出した大祐は、少し遠回りしてコンビニに立ち寄ってから自分の部屋へと帰った。
冷え切った部屋に入ってすぐ、ファンヒーターをつけて洗濯機を回し始める。
冷蔵庫をのぞいて、遅くなってしまったから手早く食べるために、卵と、残っていた里芋の煮物を取り出す。温めた煮物と卵かけごはんでさらさらっと済ませた大祐は、ようやく温まってきたところでシャワーを浴びた。
そろそろリカも帰ってくる頃かと思って、携帯を見たが、いまだにリカからの返信はない。今日はそんなに遅いと言っていなかったが、日中は大祐もメールを送る余裕がなかった。
何か仕事で忙しかったのかな、と思いながら、止まった洗濯機から洗濯物を取り出す。これもきっちり仕込まれているから一枚ずつ取り出して、皺を伸ばしてからハンガーにかけていく。
きちんと干し終えて、前の分をアイロン掛けして、もう0時を回る頃になって、いまだにならない携帯が気になり始める。
さすがにこの時間ならとリカの携帯をならしたが、どれだけコールしても出る気配はなかった。
「……携帯、忘れたとか?」
ぼそっと呟いた大祐は、ごくごくたまにある、連絡がつかないパターンかな、と思いながら、もう少しだけ待ってみることにした。
テレビを見ながら、しばらくまって、午前1時を回る頃、もう一度携帯を鳴らしたが、やはり電話に出る様子はない。仕方なく、大祐はメールを送って寝ることにした。
その頃、リカは頭のどこかで振動している携帯の音を聞いた気がした。
―― ああ、そうだった。仕事の電話をし忘れたから、あそこに電話をしてから……
昼間の記憶と、夢の中がごちゃ混ぜになっていて、もう終わった仕事と、うっかり忘れた仕事と、そして今のことがわからない。
リカは、明かりもつけたまま、エアコンもつけっぱなしで、ソファで深く眠り込んでいた。
途中で寒さを感じた時も、傍に放り出していたコートと、ひざ掛けを手繰り寄せて、それにくるまると、丸まって温かくなればそのまま再び眠り込んでしまう。
いつもならこんなことはしないはずのリカだったが、今日だけはやたらと眠くて、どうしようもなかった。
朝方、明るい部屋のなかで、時間の感覚がおかしくなったリカは、あれ?と目を覚ました。
「……?」
部屋の中は明るくて、部屋に帰ってきたところまでは覚えているがそこからぷっつりと記憶がない。忙しかったはずなのに、と思ってからがばっと起き上がった。
「えっ!今何時?!」
テレビの前に置いてある時計は、午前4時過ぎを指していて、驚いたリカは慌ててソファから立ち上がった後、部屋の中を意味もなくうろうろと歩き回った。
その間に、飛んでいた記憶が蘇ってきて、顔を洗っただけでそのまま寝てしまったことを思いだす。
「えー……。やだ、大祐さんにメールもしないで寝ちゃった……」
バックの中を探ると、点滅している携帯が出てくる。あちゃ、と思いながら確かめると着信とメールが複数回あったらしい。
どちらも大祐からで、メールはこれから帰るというもの、帰ってきた大祐から、今日は遅いのか、と言うメール、そして、携帯に出ないので、心配だけど先に寝ます、というメール。
「あ~……。やっちゃった」
結婚してからはこれは初めてかもしれない。前に一度だけ、結婚する直前に、携帯をデスクに忘れて帰って、連絡が出来なくて、夜中に公衆電話を探しいって、大祐に怒られたことがあった。
それ以来、飲み会で遅くなった時と、仕事で遅くなった時に、連絡が遅くなったことはあったが、そのまま一晩と言うのは初めてだった。
別に悪いことをしたわけではないのだが、申し訳なさでいっぱいになる。
「どーしよ……。この時間だし、もう仕方ないから朝、電話しよ……」
はあ、とようやく落ち着いたリカは、携帯をテーブルに置くと、お風呂に湯を張った。
ほかの部屋の迷惑にならないよう、給湯を切り替えて静かにお風呂に入る。
「やだな、もう。なんかめちゃくちゃ眠くてどーしたんだろ」
ため息をついたリカは、ぼうっとしている間に温まったせいでまた眠くなってくる。このままだと眠ってしまうと思ったリカは、湯船から出るとなんとか着替えて今度こそベッドに潜り込んだ。
携帯のアラームと、目覚ましの両方をセットしてそのまま目を閉じる。
二度寝コースは寝過ごしかねないと自覚しているから余計に危ないと思って、二つの目覚ましをセットしたリカは、泥のように再び眠り込んでしまった。