「そういう人なの?」
ふと、感じた疑問をリカが口にする。大祐が、最低限だったとしても、向き合ってやろうと思えるような相手だったのかという問いに、素直に頷いた。
「高卒で入ったらしいけど、語学はすごいよ。俺達も資料や原稿書いたりする時もあるんだけど、大澤は群をぬいてて、他の部署からも、ネイティブチェックの代わりに仕事が回ってきてた。英語だけじゃなかったし。普段、話さなかったり使わないとどんどん忘れていくものだけど、英語以外もずっと勉強し続けてて……。そういう努力がちゃんとできる人だよ」
「そっか……。そういう人が、おうちの事情?……なのかよくわからないけど、やめなきゃいけないっていうのは……」
「うん。どこにいても、ネットだって繋がってるし、変わらないと思うけど、実際には、僕は大澤みたいな環境に育ってないし、男だからある程度自由だったし、その辛さもわからないし」
だからといって、リカにとって、それが仕方がないことで済ませられるかどうかはさておき、泣くことにも疲れた頭に何の感情もなく入ってくるものがある。
「前に、私が女だから馬鹿にする相手には、理不尽だって、はっきり言ってやった方がいいって言ったこと、覚えている?」
「あ……。ずっと前の報道局の人?」
「そう。その時に、柚木さんが言ってたこと、思い出した。所詮、私はヘルプだから何を言っても、自分の場所に戻ればいいけど、その場でずっと働かなくちゃいけない人はそんな風にできないって」
正直なところ、そこまではっきりと大祐は覚えていたわけではないが、何となく広報室でそんな話になって、柚木と気まずい思いをしばらくしていたことは覚えていた。なんで、急にそんなことを今思い出すのか、わからないままリカを見つめる。
「なんだか、すごくたくさん話してるから、細かいところはもう忘れちゃってるところもあるんだけど。大祐さんも同じだったのかも……」
ぼんやりと気の抜けたリカが呟いた。
リカは、東京にいて、離れていて、たまに松島に行けるとしても、帰ってしまえばそれでいい。
だが、大祐は職場でも官舎でもそんな風にされたらどうだったのだろう。それは、一人の人としてその立場に立って、嫌でも向き合わされる人にしかわからない。
「……大祐さんは、そこにいて、毎日顔を会わせるのよね」
リカの一言は、大祐の中でも混沌としていた渦巻の中の一つを、自分自身にもはっきりと見せてくれた。
「……うん。リカさんの事でからかわれるのはいいんだ。僕は。それは逆に嬉しいことだし、うっかり乗せられて余計なことまで言わないように気を付ければいいだけなんだけど、モテるなって言われても何が?って思ってた。モテるってどういうことだよって」
大祐にとって予想もしない出来事でこんな簡単に、浅はかに外側で認識されることが空しくて、嫌だった。
―― あ……。そらいさん、だ
バラバラだったパズルが少しずつ出来上がっていくように、お互いのすれ違っていたところが少しずつ合わされて、お互いが自覚無くもやもやしていたことがはっきりしていく。
「大祐さん……。私に……、頼りたくなかった?」
ゆっくりと大祐の顔に視線を合わせたリカが、繋いでいない方の手で大祐の頬に触れた。
悔しくて、悲しくて、どうしようもない気持ちだったのに、なぜだか今は同じくらい愛おしい気持ちでいっぱいになる。
大祐が、ずっと抱き寄せることではなくて、指先を繋いでいたことが妙に納得できた気がして、触れた指先から何かが伝わった。
「……馬鹿だと思われるだろうけど。俺はリカにこんなことで甘えたくなかったし、ほんとに、どろどろになってて、嫌な気分で、ふてくされてたからそんなところは見せたくなかった」
大祐自身も不器用だと思う。
藤枝だったら、もっと軽やかにスマートに対処して、リカを泣かせることも、みっともないことにもなっていなかっただろう。
「私……、わたしは、どんなだいすけさんもすきだよ」
リカの涙が、零れ落ちて。
そのまま指先から伝わって。
大祐の手の上を流れた。
私は。
―― ……どんな大祐さんも好きだよ
「……」
許すとか、許さないとか。
納得するとか、しないとか。
そういうことを全部、横に置いて、この不器用で、まっすぐな人が一生懸命、由香にも、リカにも誠意をもって向き合っている。
そんなに器用な人じゃなかったよねと、リカは、触れていた頬をゆっくりと撫でた。
リカと同じように大祐の頬を流れた一筋の跡をなぞるように。
「は……」
ぎゅっとリカの手を握りしめながら、大祐はもう片方の手で顔を覆って俯いた。
リカがそうだったように、大祐も、この一週間が長くて。
怖くて。
いつかのように、目が覚めたら腕の中からすべてが無くなっていたらと思うと、仕事を投げうってでも来られるならリカの元へと来たかった。
リカに電話を切られてから、毎日、欠かさずに朝も、夜も電話をかけても繋がらない電話にますます怖くて。
もうたくさんだと。
もう、一緒にはいられないと言われたらと思うと、苦しくて。
俯いたまま黙ってしまった大祐の頬に手を当てたまま、リカも部屋の中に響く、アナログ時計の針の音を聞いていた。
正確に刻む音に呼吸が重なる頃、顔も上げずに大祐がぽつりと言った。
「……リカさん」
「はい……?」
「……抱きしめても、いいですか」
この部屋に来て、こんなにも傍にいることが苦しくて、触れたいのに、触れられない。
どうしても離したくない想いのままに、せめて手だけでも繋いでいたくて、握っていた手が震えていた。
―― いつの間にか、守られてばっかりだったけど……
そう思ったら、自然と体が動いていた。
腰を上げて、俯いたままの大祐をリカの方から包み込むように抱きしめる。
縋る様に、繋いでいた手を離して、リカの細い体に腕が回された。
「リカ、さんが……、泣いてるって聞いて……。こんな指輪、一つに頼るしかなくて……」
左手に光る指輪。細くて、頼りないけど、何よりも強い証。
この腕を離したくなかった。
間近で感じたリカの温もりと、愛おしい香りで落ち着いた大祐が、ゆっくりと腕を解く。それでもなかなか顔を上げられない大祐の頭をそっと撫でた。