制服シリーズ 特集『制服を脱ぐ人たち』第三回

私達が、制服を脱ぐ人々にスポットをあてたことには理由がある。
朝の通勤時間帯の駅前に私たちはいた。人の流れが駅に入る人、駅から出てくる人の両方の流れがあるようだ。

その流れを見ながら、私たちはしばらく朝の空気を感じていた。

取材をすることがなければ普段私たちは、この時間まだ出勤していないかもしれない。
普通の会社員であれば当たり前の時間ではあったが、それでもピークの少し前である。

ピークになる前に私たちはカメラを一旦止めてから、駅員室へと向かう。
サラリーマンの波の邪魔にならないように人の少ない隙間を縫うように構内へと入った。

改札の脇に、駅員室に繋がる窓が開いていて、中には二人ほど忙しそうに動いている。開いたままの窓から様子をみて、駅員室をノックした。

「はい!」

―― おはようございます。帝都テレビ、制服シリーズですが……

「はい!伺ってます。斉藤くーん。帝都テレビさん!」
「はーい!おはようございます」

飄々とした声がして、奥の機械の方で動いていたひょろりとした細身の男性が顔を見せた。

斉藤和司さん(仮名)32歳。

きゅ、と手袋をした手が帽子を押さえて、にこにこと現れた斉藤さんは、照れますね、と言って笑った。

「僕、テレビに映るなんてきっと一生に一度だと思うので、照れますけど、嬉しいですね」

―― そんなものですか?最近では結構、一般の方もテレビに映ることが多いですけど……

「そんなことないですよ。ほら、雪が降ったり電車が遅れたりするでしょう?そういう時、テレビに映らないかなぁってよく思うんですけどね」

そんな斉藤さんの向こう側で、初めに応対してくれた方が、俺、映ったことある!とブイサインを送ってから、顔を見せた乗客の応対に、窓へと向かう。ずるいんですよ、とわざと顔をしかめてみた彼は、にやりと笑うと、外からは見えない奥の方へと私達を案内してくれた。

―― 有名と言うか、大きな駅ですけど、裏に入ったのは初めてです

「普通はそうですよね」

特別にご案内しますね、といってドアを開けてくれた彼の案内で、我々は多少の期待を抱えてドアの向こうに入ったが、そこはごく普通の事務所の一室に見えた。

―― あれっ

「あはは!冗談です。裏は普通ですよ」

ここが僕の席です、といって、あまり片付いていないデスクに片手を置いてからすりガラスの傍に在る応接セットへ案内してくれた。
机の上には私たちも見慣れた時刻表と、それからポスたーらしき大きな紙が丸めてある。

―― あまり片付いてないですね

机を指すと彼は帽子を取って、髪をかき上げた。

「デスクの上ってどうしてもぐちゃーってなりませんか?あ、僕だけですかね」

―― 人によるかと思いますが……

僕苦手なんですよねぇ、と言って部屋の奥にあるコーヒーメーカーからコーヒーを淹れてくれた。

―― 改めて、おはようございます。何時からお仕事されてるんですか?

「僕は今日は始発からですね。自転車で通ってるので」

―― 眠くないんですか?

「眠いですよー。毎晩、明日の朝遅刻したらどうしよう!って思ってますよ」

眠気を誘ったのか、大きな欠伸をして口元を押さえる。涙目になった顔は年齢よりも若く見えた。
都内の駅の中でも、大きい方の駅だ。駅員の人数も思った以上に多い。

その中でも彼は若い方だ。もっと若い駅員もいるが、彼はそのキャラクターから年上にも年下からも愛されているのはほんの少しの間だけでもよく分かった気がした。

斉藤さん、和、と親しげに呼ばれる姿と、にこにこと受け答えする姿がムードメーカーに見える。そんな彼が今の仕事を辞めると言うのは少し意外な気がした。

「少しだけお待ちいただけますか?」

まだ業務中だという彼が対応に出ている間に、別な駅員が代わりに私たちの目の前に腰を下ろした。

「おはようございます。補佐の黒戸と言います。よろしくお願いします」

―― よろしくお願いします。斉藤さんについてお話を伺ってもよろしいでしょうか

「ええ。斉藤君は、明るくてよく働いてくれるんですよ。もったいないと思うんですけどねぇ」

斉藤さんが出て行った方を振り返りながらしみじみと黒戸さんが呟いた。
我々は事前に、斉藤さんが退職することは知っていたが、その理由はこの取材で確認させてもらうことになっていた。

斉藤さんは、もうすぐ月末を持って退職するという。駅員になることは、子供のころからの夢だったという彼がどうして辞めるというのだろうか。

「自分らの年じゃ考えられないんですけどねぇ」

そう呟いた黒戸さんによれば、斉藤さんは奥さんの転勤についていくために仕事を辞める決心をしたのだという。
奥さんも子供のころからの夢をかなえた仕事らしく、転勤を内示されたあと、仕事を辞めるか、別居婚になるか話し合いの上で、斉藤さんが仕事を辞めることにしたらしい。

―― ご結婚されてまだ日が浅いんでしょうか?

離れがたい、ということもあるかと思って問いかけた私達にかぶっていた帽子を脱いでがり、と頭を掻いた黒戸さんは髪を撫でつけて帽子をかぶりなおす。

「結婚してもう五年になるかなぁ。新婚っていうほどでもなくて。それだけ仲がいいんですよ」
「黒戸さん、もう、恥かしいからやめてくださいよ」

接客を終えて斉藤が戻ってくると、入れ替わりに黒戸がたちあがった。

7時前から駅の周りにいた私たちは、随分長く駅にいるような気がして事務所の時計を見る。

「そろそろ朝のラッシュも落ち着いてくる頃なんです。お待たせしてすみませんでした」

―― 我々は構いませんが、斉藤さんは本当にこの時間の取材でよかったんでしょうか?

もっと落ち着いた頃に取材に来た方が邪魔にならなかったのではないかと聞いてみた。

「いえ、いいんです。なんかたくさんお待たせしちゃいましたけど……。僕、この朝のラッシュの時間が一番好きなんです。色んな人がいて、皆いろんな思いを抱えながら仕事に向かう時間でしょ?それを応援してる気になるんですよね。そこを撮っておいてほしかったんです」

確かに、私たちは駅の風景を映していた。それが斉藤さんからの依頼でもあったからだ。

―― 辞める理由を黒戸さんから伺いましたが、ご自身の口からもお話しいただけないでしょうか。

「ええ。僕の奥さんなんですが、ずっと夢だった仕事してるんですけど、3月で転勤になるんです。単身赴任で暮らすってことも考えたんですけどね。うちの奥さんは、すごく頑張ってしまう人なので、離れて暮らすより一緒に暮らそうと決めたんです」

―― そこで斉藤さんがお辞めになることを決められたと……

頷いた斉藤さんの笑顔は、今日の青空のように寒くても澄み切っていた。

「男が転勤になって、女性が一緒についていくのはよくあることでしょう?なら、その逆だってあっておかしくないと思うんですよ。働くことに男も女もない。誰だって、自分が一生懸命やっている仕事ですからね」

斉藤さんの話すことはもっともだ。もっともではあるが、それが実践できる人は少ない。
だからこそ、自分の中で、大事なものが何か、そして働くことは好きなので、という。初めてお会いしてから、爽やかな青年として見えていた斉藤さんの潔さがかっこよく見えた。

快速に乗っても、1時間以上かかる。関東近郊の駅に着いた私たちは改札を出ると、不慣れなためにきょろきょろとあたりを見回した。
左右のどちらにも開けていて、待ち合わせの場所を確認しようと案内板を確かめてから指定された商業施設の在る方へと歩き出す。チェーン店のコーヒーショップに入ると、大きなソファの在る方でスーツ姿の男性が立ち上がった。

髪型を変えていて、スーツ姿もきりりとしていたので、初めは私たちもわからなかった。

「お待ちしてました」

声をかけられてようやくその彼が高橋さんだとわかった。

―― お待たせしました。すみません。すっかり印象が変わられていたので、すぐにはわかりませんでした

「そんなに変わりましたか?」

―― ええ、すっかり印象が違いますよ

我々の言葉に高橋さんは朗らかに笑った。地元に帰ったからだろうか。以前あった時は、閉じている印象があったが、今は全く違う。

「今は就職活動中なんです。以前、お会いしたような格好じゃ面接に行けませんからね」

すっかり閉じていた高橋さんの変化に我々は戸惑いを覚えた。そんな気配が伝わったのだろう。元々、高橋さんの仕事を考えれば、相手の様子には自然を気を配れる人なのかもしれない。

「1社、最終面接まで行ってて、今日も1社面接があったんですが、なかなかいい感触だったところなんですよ」

―― お仕事決まりそうなんですか?おめでとうございます

首を振った私達に、高橋さんはコーヒーを買ってきてくれた。

―― すっかり雰囲気が変わられましたね。何か、きっかけになるようなことでもあったんでしょうか?

私達が取材に向かってからおよそ1か月程度たっただろうか。1ヶ月でこれほどまでに雰囲気が変わるとは意外だったのだ。

「……地元に帰って、全部断ち切ってみたら自分のことも驚くぐらい客観的に見られたんです。そうしたら、なんだか憑き物が落ちたっていうか……。僕には僕のできることがあって、背伸びしても急に何かがかわることもないんだって思えたら……。なんでしょうね」

目の前でコーヒーショップの大きなロゴが入った、マグカップから湯気と一緒にコーヒーの香りが立ち上がる。
完全禁煙のカフェの中はゆったりとしていて、パソコンを開いて何かを見ている人、イヤホンを耳にしたままで目を閉じている人、本を読んでいる人。

―― わかる気がします。人生は、まだ終わりじゃない……

「さすがテレビ局の人ですね。うまいことを言うなぁ……」

カップに手を伸ばして、コーヒーを飲む彼はどこかまだぎこちない。私たちはいつの間にか、自分自身を縛ってしまうことがある。長い長い、絡まったロープの中でもがいてしまえばなかなか自由になることはできない。

時に、人の手を借りたり、自分を縛っていたものが目に見えないものだったとわかるまで、じっと閉じこもって過ごす場合もある。

だが、彼は自分自身で自分を縛るものから自由になったのだろう。
まだ、ぎこちなさが残るのは、縛っていたものが強く、長かったからかもしれない。

―― お仕事、決まるといいですね

「ええ。決まっても、きっと大変かもしれません。でも、きっと今なら頑張れると思います」

彼の顔を見ていると、私達にもそんな未来が見える気がした。

次回 第四回 冷えた足音

投稿者 kogetsu

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