歌を歌いながら連送した9話からラストまで、くらいでしょうか。
久々に書いたかも。といっても少し前に書いたんですけどね。
なんとなく、書かずにいられない自分の慰めに~。
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「稲葉さーん」
「わかってる。ちょっと待って」
「10分後、厳守ですよ」
はーい、と返事をしたリカをおいて、小走りに大きなバックを肩から掛けた珠輝がフロアを出ていく。かなり任せられるようになってきた珠輝だが、今日はミニコーナーの取材二回目で、リカも同行する予定になっていた。
急ぎのメールを出してから、遅れてジャケットを手にする。急いでいても、落ち着いてバックを肩にしたリカは、フロアから歩き出した。
不安定さもなく、落ち着いて、安心していられる。
それが今のリカである。
半年、たくさん泣いて、守りたかった人を好きになったからこそ傷つける場所へ追いやってしまった。その後悔は、リカの足を止めさせた。
ふわふわと浮き沈みするパネルの上を溺れないように、飛び回っていたリカを、沈みはしたが、沈んだ水の底で後悔でいっぱいになりながらも、リカはしっかりと足を付けて歩き出した。
そんな半年。
そして。
いつか謝りに行こう。
心から詫びて、話が出来たら。
そんな風に思っていたある日、鷺坂の退官の噂と、届けられた夢の行く末にただ、ただ嬉しかった。
真っ青な空に描かれたきらめく夢と白い軌跡を一緒にいて、その声を聞きながら見ている。
だからもう一度、約束をしようと思ったのに。
「お待たせ」
局前の道路で待っていた取材車に近づく。助手席をあけておいてくれたようだが、リカは構わず後ろのドアを開けた。
「さすが。稲葉さん、5分前に来ましたね」
「わざとじゃないわよ。……私、約束嫌いだし」
「……ですよね!」
一瞬、しまったという顔をした珠輝は何事もなかったように頷いて外へ顔を向ける。
約束が嫌い。
仕事をしていて、ましてリカ達のような仕事では、アポイントや口約束で仕事が成り立っているはずなのに、その約束が嫌いなんてどうしようもないとはわかっていても、仕方がない。
空が嫌い。
約束が嫌い。
誰も悪くないからこそ、軽口でそんなことをいうくらいしか、リカにできることはなかった。
窓の外を見たリカは、その真っ青な空を見て、軽く目を伏せる。
『雲の上の、もっともっと……。もっと上です。高度が上がるほど、だんだん青が濃くなって、深くなって。この先に宇宙があるんだって感じられる。静かで澄んだ世界です』
耳の奥で、聞こえる声が繰り返す。ここから見上げた空の色よりももっと、違う世界があるんだと教えてもらった。
どれだけ時間がたっても、あれから水の底を歩き続けるリカにとって、きらきらと光る小石のような時間は、時折、歩く先々でつま先に触れて来る。
沢山の感情や、思いで透明度が下がっていた水の中は、時間がたてばたつほど、濾過されていって今は歩く足元もきちんと見えるようになった。
―― 空井さん。空井さんの空は、今、晴れていますか。
繋がっているのだから、現実的に言えば、天気予報だってわかっている。
それでも、青空であってほしいと願ってしまう。せめて、辛い時間に立ち向かっていった人だから。
その消息を聞くこともなく、時間だけは過ぎていくからこそ、ふとした瞬間に願ってしまうことだけはやめられなかった。
「稲葉さん。藤枝さんが今晩飲みに行こうって言ってますよ」
気付けば、携帯を見ていた珠輝が届いたばかりのメールを見せて寄越す。一番後ろの機材と一緒に座っていた大津が気になるのか、背後から覗き込みかけて、リカを視線がぶつかる。
慌てて何事もなかったように澄ましているのがおかしくて、見なかったふりをして覗き込む。
「何、あいつ暇ねぇ。珠輝も取材前にこんなの見てる場合じゃないでしょ?うまく取材が終わって、早く上がれたらね」
「……はぁい」
唇を尖らせた珠輝は、早く終わったら連絡します、とメールを返して、隣に座るリカの横顔を盗み見る。髪が肩までの長さになって、あれから少し痩せたリカの顔は、あれほど嫌いだと言っている空を見上げているように見えた。
嫌いだということは、常に意識していて、『好き』を『嫌い』に言いかえているだけだと気づいていないのは本人だけだと思う。シンプルが一番だと思うが、この二年、嫌と言うほど、藤枝から余計なことを言うな、口を出すなと言われ続けてきた。
元々、人の恋バナには興味が薄いのもあったが、空気が読めないわけではない。
―― ただ……。ただ、ちょっと悔しいだけなんだよね
手が届くはずなのに、お互いに一歩でも半歩でも、手の先だけでも伸ばしたら、届くはずなのに。
それが歯がゆくて仕方がないのは、きっとリカと大祐の周りにいる者は皆そうだろう。
もう二年もたつのだからいいじゃないかという思いと、もうどちらも諦めればいいのに、という思いと。
「稲葉さん」
「んー?」
「今日の取材先のおせんべい屋さん。すっごくおいしいみたいなんで、終わったら買って帰ってもいいですか?」
「いいよ。お礼も兼ねてね。皆の分、お土産に買って帰ろう」
やった、と喜ぶ珠輝に、にこっと笑ったリカは、もうフロントガラスの先を見ていた。