街路樹にもブルーとホワイトのLEDが光っている。
少しずつ賑やかな場所へと導くような明かりに、歩き疲れたはずの足取りがまた軽くなった。
「稲葉さん、疲れませんか?」
「元報道記者を舐めないでください」
「そうでした。でも、そろそろ寒いでしょう?お茶でもしませんか」
緩い坂を上がりながら繋いだ手が冷えてきたのを感じて大祐が誘う。
「そうですね。どこか入りましょうか」
そういいながらリカの目はきらきらした明かりに目が行っている。
きっとその目に映るものは自分が見ているものとは全然違う気がして、どこに向かうわけでもなく、なんとなく人の流れに乗って歩いた先にあったベンチを見つけてそこにリカを誘導した。
「稲葉さん。ちょっと待っててもらえますか?」
「はい」
どこか夢見心地のようなリカの生返事に苦笑いを浮かべながら繋いだ手を離すと、建物の中へと視線を走らせる。
これだけ大きな商業施設ならエレベータや看板の傍には自動販売機をよく見かける。それを探した大祐は、少し離れた場所で大きなものを見つけると、温かいコーヒーとココアを買って、足早にリカのもとに戻った。
「お待たせしました」
「いえ。おかげさまで今日は楽しかったです。企画のほうもなんとかなりそう」
手帳を手に歩いてきた道や時間、ポイントなどを書き記していたらしいリカが顔を上げる。
忘れていたかったが、やはりこれはデートではなくて、企画のための調査なのだ。
「それはなによりです。少しでもお手伝いできたならよかった」
「すっごく助かりました。特に途中、全然知らなかった場所がおおくて」
都内に住んでいても一歩、道を外れたら知らないことも多い。そんな道を楽しむことができたと嬉しそうなリカに買ってきたココアを渡した。
「本当はどこかあったかい店のほうがいいんでしょうけど、稲葉さん、まだここにいたほうがいいみたいだから」
「ありがとうございます!」
―― なんでもわかるんですね
そう言いかけてリカが飲み込んだことを知らずに大祐は、隣に腰を下ろした。
青空から夜空に変わっていく色を見上げると、足元のLEDのせいか、朱と混ざり合った色が何とも言いようがない色に見える。
「きれいですね」
空から地上を見た時もきれいだと思ったが、この景色もまた綺麗だと思う。
ここしばらく、何度も思い出して心を掠めた乾いた空気の記憶は絶対に満たされない渇きに似ていて、どうしようもなく何かに駆り立てられたが今は違った。
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周りに多くの人がいて、風もあって寒くて、こんなところにいつまでも座っているべきではないと思っているのに、心の中ではしんとして、二人だけでこの場所に座っているようで、少しも動きたくない。
息を止めるように、この時間を止めたい。
「空井さん」
「……はい」
「空井さんが空の上から見た世界もこんな風にきらきらしてましたか」
それはもう比較になる様なものではない。
夜間訓練で飛んだ時など、きっと宇宙飛行士のそれに近いんじゃないかと思うこともあった。
素手で持つには熱いくらいだったコーヒーが手の中でみるみる冷えていく。
「きれいでしたよ。すごく」
誰かと分け合えるような空間ではない分、駆り立てられる意識が余計にそう感じさせる。
きっと、大祐が持っているコーヒーよりももっと早く冷えているだろう、缶をぎゅっと握りしめたリカの肩が少しだけ大祐の腕に触れた。
「空井さんが言っていた、思い出すっていうのは、きっとすごくその時が大事な時間だったってことですよね」
―― うん。だからこそ、戻れないんだと痛感するんだ……
口にしなかった言葉は伝わらなくてもいいと思っていたのに、隣に座ったリカが大祐と同じ方を見つめたまま小さく呟いた。
「思い出すのってきっと」
途中で言葉が途切れて、大祐はリカを振り返った。
ただ静かに大祐を見ていた目にぶつかる。
「きっと、今の空井さんが幸せで、思い出す時と同じくらい充実してるからそれを確かめてるんじゃないでしょうか」
「確かめ……る?」
「ええ。人間って、無意識でもそんな風になる時があると思うんです」
戻れないことを確かめるのではなく、今、幸せだと知るために。
「稲葉さんは……、ありますか。そういう思い出すこと」
「……あります。帰りたいって思うこともあります」
帰りたい。
戻りたい。
「きっと、でも、思い出してる今のほうが幸せだったり、もっと幸せになる途中なんだって思います」
「稲葉さん……」
大祐の傷を知っていて、自分自身も傷を抱えていたはずなのに、それでも思い出す自分を励まそうとしてくれているらしい。
そう思ったら、この不器用でまっすぐな人をものすごく抱きしめたいと思った。
「私は、今日のこの景色、きっと思い出すと思います。すごくきれいだし」
「自分も、きっと思い出すと思います。……一緒に見たい人と見られたし」
「え?」
「いえ。稲葉さんの意見に賛成です。……賛成ついでに夕食、どこかで食べませんか」
気持ちのままに抱きしめてしまったら、二度と戻れないような気がして、ぐっと拳を握りしめて笑う。
もう、周りはすっかり夜になっていて、人の流れも随分変わってきていた。
「冷えたでしょう?行きましょう」
ベンチに座っていることも限界だと思って立ち上がると、リカに向かって手を差し出した。