ぴんぽん。
待ちかねた音がして、すぐに鍵の音がする。
キッチンに立っていたリカは手を洗って玄関の方を覗いた。
「ただいまー。リカさんいるの?」
「おかえりなさい。今日は帰ってますよー」
お互いに顔を会わせるとぱぁっと大祐の顔が明るくなった。
すぐそばまで来て、はにかんだ笑みを浮かべるともう一度ただいま、と繰り替えす。
「今日は早かったんだね」
「そうですよ。なので、早くご飯が食べられます」
「よしっ!……あ」
右手でガッツポーズをとった大祐に笑い出したリカは早く着替えて、と大祐を急かした。
手早く着替えた後、習慣で丁寧に手を洗った大祐は、リカを手伝って空腹をそそる匂いを前にテーブルにつく。
「あー、嬉しい。今日、めっちゃ腹減ってた!昼食べる時間逃しちゃって、もうぐーぐー、腹が鳴ってたんだよね」
「えー。何かつまんだらよかったのに」
「そこは女性じゃないから。代わりにコーヒーでお腹、がぼがぼ」
そう言って笑いながら大祐は、その空腹度合を示す様にがつがつと食べ始めた。
話すのも惜しむように2杯までは、時折、うまっと言いながら食べていたが、人心地ついたのか、そう言えば、と口を開いた。
「リカ、今日、広報室に来たんだって?」
「あ、うん。ちょっと、特番のことで」
「え?特番?」
「うん。比嘉さんから聞いたんじゃないの?」
口にいれていたものを飲み込み間とはいえ、微妙な顔になった大祐が眉間に皺を寄せて首をひねる。
―― 比嘉さん、そんなことは一言も……
リカが持ち込んだ特番と言えば話は大きいはずで、それを大祐が話に噛まないはずはない。
しばらく逡巡した大祐は、しばらく間をあけてからぽつりと呟いた。
「比嘉さん、そんなことは何にも言ってなかったけど……。おかしいな」
「え……。あ、ほら、大祐さん。外出から戻るの遅かったんじゃない?だから、きっと」
「いや。俺、戻ったのは4時頃だったからそんなに遅いわけないけど。しかも俺が戻った時には比嘉さん、いなかったし。……おっかしいなぁ」
視線を彷徨わせたリカは、曖昧に頷いて箸をすすめる。
―― ちょっと……私から言うのはねぇ
さりげなくため息をついたリカは、昼間のことを思い出した。
担当は外れたものの、今はさらに少し上の立場で関わる様になったリカが、久しぶりに特番の仲立ちで広報室を訪れた。
「急なことだったので、空井一尉は外出なんです」
「あ。全然。気にしないでください。私も仕事ですから」
新しい空幕広報室の顔ぶれもようやく見慣れてはきたが、やはり帝都のアテンドは空井、そして、空井がいなければオールラウンドプレイヤーの比嘉が出てくる。
今日も急な話で電話をした時にはあいにくと大祐がいないだけでなく、比嘉も不在だったが、戻り時間を聞いてその時間に伺いますと伝言を頼んでいた。
「それで、ですね」
「ええ。特番、ということですが……」
申し訳ない、と両手を合わせたリカが鞄からクリアファイルに挟んだ資料を取り出す。それを比嘉に差し出すと、大丈夫だといつもの穏やかな笑みを浮かべた比嘉が、はらりとめくった。
「ああ。この映画、確かに協力させていただきました」
そうなんです、と何度も頷いたリカがそこで、と言葉を切る。
「その、特番というのが、映画の番宣も兼ねた最近のロケ風景とか、ロケ弁なんかを集めた番組なんです」
昨今、自衛隊が協力したドラマや映画も多くなり、テレビ番組も近年、その人気ぶりは予想を大きく上回る。もちろん、空自ではダントツ人気はブルーインパルスだが、昨今の人気ぶりは想像を超えている。
「映画の番宣なら、素材はあるんじゃないんですか?」
長年この手の取材に対応してきているわけではない。慣れた物言いにリカは何度も頷いた。
「そうなんです。そうなんですが、その、見ていただくとわかる様に、映画やドラマに登場する航空機や、それを撮影させていただく基地の普段の様子なんかは、ロケ地めぐりが簡単にできる場所じゃないわけですよね。その分、この番組で取り上げさせていただければなと」
「なるほど。ということは……」
はらりとめくる比嘉の目が字面を追っていくのがわかる。それを後押しするようにリカが両手を広げた。
「ロケとしても取材されやすくなるんじゃないかなー……なんていうこともあると思うんですよねー。ロケ地めぐりができないってことは、当然ロケハンもしにくいわけですから!そこをぜひ、この機会にですね」
ひらっと片手を上げた比嘉が、苦笑いを浮かべている。
「稲葉さんも、売り込みがお上手になりましたね」
「あ……。はは、比嘉さんにそう言われると。恐縮です」
「お話は分かりました。で、内容についてもう少し詳しく……」
いつもならその場でぱっと内容を把握して、回答の見通しまで話してくれる比嘉だったが、今日はなんだかいつもと様子が違う。笑顔で頷いているものの、どう見ても一時停止しているように見える。
膝の上に手を置いて、身を乗り出したリカが比嘉の顔を覗き込む。
「比嘉さん?」
にこにこと笑顔をむけておいてから、少しの間があって目を丸くした比嘉が目を瞬いた。
「えっ。稲葉さん、もちろんご存じだと思いますけど、即答は無理ですよ?」
「まさか!それはもちろんわかってます。それより、比嘉さん、大丈夫ですか?」
「大丈夫っていうと?」
真顔で問い直されて、う、と言葉に詰まる。どこがどうとは言えないものの、いつもとタイミングのずれた比嘉の反応にうー、と唸っていると再びずれたタイミングであっ、と比嘉が呟いた。
「あの……」
「はい!」
「こんなことを稲葉さんにお願いするのどうかと思うんですが……」
持って回った比嘉の言葉にごく、と息を飲んでリカは声を落とした。
「何でしょう?」
「実は……」
唇を噛んで頷いたリカと同じように比嘉が身を乗り出して声を落とす。
「この後お時間大丈夫ですか?」
「比嘉さんっ!もう、時間は大丈夫ですから。焦らすような真似しないでなんなんですか!」
「コーヒー、飲みませんか?」
「……は?」
眉間に皺をよせていたリカが目の前のコーヒーカップと比嘉の顔を見比べてあんぐりと口をあけた。