さっきまで通じていたはずの携帯が通じないと言うのは明らかに異常だ。
リカはさっと、支店の中を見回すと、奥のほうはパーティションで仕切られている、融資や新規顧客のカウンターに目を向けた。ゆっくりと様子を見るように周りを見ながらリカは目立たないようにそちらへと移動する。
新規顧客といっても額の大きな客を相手にするためのカウンターは、一般用のテラーが並んでいるカウンターよりもだいぶ低くなっていて、ソファ張りの椅子が仕切りごとに置かれている。
「すみません」
カメラはいいですか?と先に断っておいて、リカはハンディと共に身分証明書をちらりと見せた。カウンターにいた女性行員に向かって声をかけると一段声を落としたリカは、ひそかにささやく。
「私、帝都テレビの稲葉、と申します。たまたま、通帳の磁気不良でこちらに立ち寄ったんですが、なにがあったんでしょう?」
―― 外部に出られなくなっているようですけど?
さっと顔色が変わった女性行員は後ろを振り返って、不安げな様子を見せた後、少しお待ちください、といって奥へと急いで入っていく。
こういう場合、中にいる方が情報が入ってこないという事態に往々にして追い込まれていくものだ。
今、NPSに密着取材をしているリカがまさかその事件に巻き込まれるとは思っていなかった。
その頃、車で待っていた藤枝のほうはそれどころではなかった。
リカからLINEが来る少し前、目の前に止まっていた取材車の中でもまさかそんなことが起こるとは思ってもいなかった。助手席に座っていた大津は何気なくその様子を見ていた。
「あれっ?シャッター閉まり始めましたよ?稲葉さん、入って行ったし、まだ全然、時間も早いのに」
「なわけねぇだろ。お前……」
携帯をいじっていた坂手が顔を上げると、確かにゆっくりとシャッターが閉まっていくところだった。ステアリングに片手を置いて、身を乗り出した坂手が重々しい壁の間にある銀行の名前が降りてくるところをみてしまう。
「おい、なんだあれ。何で閉まってんだ」
「知らないっすよ!」
後ろの席で半分眠っていた藤枝は、ぱち、と目を開いて二人が話している方向に目を向けた。
出入り口だけでなく、大きな一枚ガラスの窓のシャッターもそのほとんどが下りていくところだ。
「……なんだ?」
客がいるのにシャッターが閉まるとなれば、想像してしまうのはドラマの見すぎと言うわけではないはずだ。
―― おいおい、マジかよ?
まさかと思いながらも、そうじゃないかと身を乗り出した藤枝のポケットの中で携帯が震えた。
はっと、急いで取り出すと、リカからのメッセージで中では理由はわからないがシャッターが閉まってしまったからもう少しかかるといっている。
「……いやいや、どうみたってただシャッターが閉まったってわけじゃないだろ」
一人ごちた藤枝は、目の前の運転席のシートを掴んだ。
「坂手さん。何かあったらすぐに撮れるようにカメラ、スタンバって、とりあえず、あれ、とっといてください」
「おうっ」
運転席側は、交通量の多い側だから、助手席側の大津がぱっと車から降りた。後ろに回ってカメラケースを引っ張り出して助手席に乗せる。その間に、車がきれるのを待って、坂手が運転席から降りて大津と入れ替わる。
重いケースからカメラを取り出して肩の上に担ぎ上げると、銀行の入っている大きなオフィスビルを端から端になめた後、銀行に入ろうとしてシャッターが閉まっているために驚いて、去っていく一般客の姿を捉える。
坂手に任せておけば大丈夫とみた藤枝は、手に握っていた携帯をタップしてリカに電話をかけた。
[newpage]
『おかけになった電話番号は、ただいま電波の……』
チッ、と舌打ちした藤枝はしばらく迷ってから局に電話を入れた。
「あ、珠輝ちゃん?阿久津さんいるかな」
「あれぇ?どうしたんですか?稲葉さんと一緒に取材に行ったんじゃ……」
「うん、そう。ちょっと思い出したことがあって、代わってもらえるかな。できれば急いで」
なるべく冷静にと思っている傍から気が急く。
しばらく保留音がする間も藤枝の視線は窓の外のシャッターに向かう。
『はい、阿久津』
「藤枝です。手短に行きます。今、稲葉とNPSの取材に向かう途中で、帝都銀行に立ち寄ったんですが、稲葉が入っていくらもしないうちに、銀行の窓に全部シャッターが下りたんです」
『……何。どういうことだ?』
車の外に立って、銀行を映していた坂手が代わり映えのしない様子にカメラを止めて振りかえる。
頷いた藤枝は、電話の向こうでおそらく同じ不安を胸にしたはずの阿久津に現状をそのまま伝えた。
「稲葉からはシャッターが閉まってすぐに携帯にメッセージが来て、理由はわからないけどシャッターが下りて確認中だといってます」
『周りに騒ぎはおきてないのか?』
「当然、銀行に来た客たちは驚いて見上げてますが、中に入れないので、仕方なくよそに回ってるようです。一旦、その分はカメラに押さえました」
その後に電話をかけてもリカの携帯には通じないことも付け加える。
メッセージが送れた時点ではおそらく電波が通じていたはずだ。
『その、メッセージは届くのか?』
「いえ、その後はメールもメッセージも届きません」
『……警察には連絡したのか』
―― やっぱり同じ事を考えるよな……
平日の銀行で、予定外に客を表に出すこともなくシャッターが閉まると言う場合、誤作動と銀行強盗とどちらが確率が高いだろうか。
「……普通に通報しますか。それともこれから向かう予定だったNPSに知らせますか」
『そう……か、NPSか』
阿久津もどう判断すべきか迷ったのだろう。上層部に話をあげるべき状態なのか、単なる誤作動騒ぎで済むのか。
だが、後者だった場合、帝都テレビは被害者の中にリカがいることで特ダネを押さえることになるかもしれない。
迷った後、局の中は阿久津が手配すると言うことで、藤枝はNPSに通報することになった。
携帯から取材相手のNPSへ藤枝が電話をかけたのはリカが入って、シャッターが下りてから二十分弱だろうか。
本当に事件が発生しているとしたら、考えられる限りで最短かもしれない。
取材相手の電話番号くらい、当然押さえてあって、すぐに藤枝はコール音のし始めた携帯を耳に当てる。
『本日、そちらへ取材予定の帝都テレビ、藤枝と申します』
「NPS、速田です。伺っています。稲葉さんと一緒に……」
『申し訳ありません。至急、話を聞いていただきたいのですが』
電話に出たのは速田である。落ち着いた速田の応答をさえぎった藤枝に、速田はすぐに反応した。
「どうしました?」
取材にこられなくなったと言うのなら申し訳なさそうに詫びを口にするだろうが、藤枝の様子は電話越しにわかるほど緊張して固い。
受話器を持ち替えた速田は素早く、斜め前に座る香椎や隊員達に視線を向けた。日頃どれだけふざけた姿を見せていたとしても、仮にも“エス”を掲げる面々である。
何かある、とすぐに察した彼らを前に、香椎が腰を上げた。くいっと指をひねるしぐさをする。
[newpage]
スピーカーのボタンを速田が押した瞬間、電話機から藤枝の声が流れ出す。
『……か、途中で立ち寄ったのが帝都銀行内橋支店です。こちらの稲葉が中に入ってすぐシャッターが降り始めました。中からメッセージが来て、誤作動か何かわからないが、シャッターが下りてしまった、確認中だというのですが、その後は携帯もつながらなくなりました』
「落ち着いてください。稲葉さんは、ATMに向かわれたわけでは?ATMの傍には振り込め詐欺の防止のために携帯電波を遮断しているところがあります」
通帳を持って窓口に向かったと藤枝が答えると、速田の電話に聞き耳を立てていた蘇我はすぐにパソコンを叩きはじめた。帝都銀行からの通報状況や警備会社からの情報提供を確かめる。
特に異常を知らせる通報もなく、蘇我は速田のほうを振り返って首を振った。
『何もなければいいんですが、こういう場合、大抵が……あれですよね』
不安を口にした藤枝に速田はあえて問いかける。藤枝が不安を覚えるような動きがあるのかを確かめたかったからだ。
路上に止まっている不審な車や銃声、悲鳴のようなもの。
「あれ、というのは?」
その後ろで古橋はホワイトボードを引っ張ってきて警察庁の付近の地図をひっぱり出してきて大きく広げた。
普段貼り付けてある、関東圏全域が入った縮尺の地図よりも縮尺が違うものだ。自分たちがいる場所から一番近くて大きな帝都銀行の内橋支店を探し出す。
『……ドラマの見過ぎだって笑わないでください。銀行強盗じゃないかってことです』
「なるほど。現在地はどこですか?」
『銀行の目の前、そちら側に向かう途中の路上です。取材用の車両にいます』
「わかりました。周囲に不審な車両はありませんか。一般車だけでなく、トラック、商用車、何でも構いません」
速田の指示に藤枝はすぐ周りを見回した。銀行の様子を撮影していた坂手はすでに運転席に戻っていたが、大津はリカの座っていた後部座席に移動したままだ。
大津に指で周りを見回るように指示すると、一緒になって周囲を見回す。平日の昼間で、都心のど真ん中である。
周囲のオフィスビルの前には、間隔をあけてあちこちに車両が停車していた。荷物を運ぶ車にタクシー、商用のバン、また近くのコンビニに立ち寄っている一般車両などどれもが不審車両にみえるし、逆を言えばどれもが当たり前に見える。
藤枝たちが乗る取材車両も、ある意味不審な車両なのだ。
『すみません。わかりません。場所が場所なので……』
「わかりました。藤枝さん、でしたね。携帯の番号をよろしいですか。それから稲葉さんの携帯も」
素早く二人の番号を書き写した後、取材車の車種と車両ナンバーも確認すると、聞いていた香椎が頷いた。
小さく頷きかえした速田は、藤枝にその場を動くなといった。
「一旦、電話を切らせていただきます。状況を確認して改めて折り返しますので、その場を動かないでください。可能な限り、車から降りることもです」
『わかりました。よろしくお願いします』
電話を切ってすぐ速田は調べてあった帝都銀行内橋支店に電話をかけてみた。
『はい。帝都銀行本店です』
「?!……すみません。帝都銀行の内橋支店にかけたと思ったのですが」
『あ。……大変申し訳ありません。当行ではビジネスフォンを採用しておりまして、その不具合で内橋支店への電話が本店につながってしまっているようで……』
「そうでしたか。わかりました」
本当は、システムの不具合だけなのか、突っ込んで確認したいところだが、ここで不審に思われでもして、余計な行動をされては事態が複雑になりかねない。事態が判明するまでは、刺激をしないように一般客を装ってそのまま通話を切った。
立ち上がった香椎が少し離れた場所で携帯を使っている。
「……ええ。これから。はい。その可能性が高いかと」
スーツのすそを払って、腰に手を当てた香椎の目の前ですっと速田が片手を上げた。
天井近くに設置されているスピーカーから、音が出る直前の空白を感じ取って反応したのだ。
[newpage]
予想通り、ざざっと機械のノイズが入った後、音声が流れ始めた。それと同時に香椎が黙り込む。
【帝都銀行の内橋支店に爆破予告が入った模様……】
流れ続ける状況に耳を傾けていた古橋と一號、梶尾は何も言わずに背後のスチールフェンスで囲まれた機材やアサルトスーツが置いてある場所へ移動する。少数チームだけに鍵の保管場所から梶尾が鍵を投げて古橋が鍵を開けた。
特に声を掛け合わなくても動きが自然と流れていく。
がしゃん、という金属音と共にスライドして開いた中に入ると、それぞれが履いていた靴をすでに脱いでいた。
手早くロッカーからスーツの下に着用する濃紺の制服を身に纏う。一足遅れて速田が着替えにやってきた。
「爆弾てことは、やっぱり……」
この中では一番素人に近い一號が、思わず口を開いた。
ここまでくればほぼ間違いない。目的は銀行強盗だろう。
「あのテレビ局のねーちゃんがいるとはな」
「ねーちゃんじゃないですよ!稲葉さんでしょ!……でも、これで色々わかんじゃないすか」
「馬鹿か、お前。さっき藤枝って連絡くれた奴がいってだっぺよ。電話は通じねぇ、メッセージも届かなくなったつって」
そういえば……と、パンツを引き上げてベルトを締めながら一號がつぶやくと、その腹に向かってばすっと古橋の一撃が入った。
「うあっ!!なぁにすんすか!!」
両手はベルトを押さえていたために一號はまんまと腹に一発受ける。
「……いってぇ!」
「しっかりしろ。一號」
「……はぁーい」
このところNPSに声がかかるような事件は起きていなかった。
どこか物足りなさげな、つまらないとでも言いたげだった一號の様子を古橋はちゃんとわかっている。
その一號が事件だと浮き足立っているのは、もちろん知り合いが巻き込まれているということだろう。
特に知り合いが絡んでいる場合、一號が暴走しやすいことも十分わかっている。
ブーツを履き終えた古橋に代わって、速田が一號の肩に手を置いた。
「神御蔵。銀行の中には稲葉さんだけじゃない。行員も他の客たちもまだ残っているはずだ。俺たちがどのポジションに着くか決まっていないが、指示は必ず守れ」
「わかってますよ!速田さんまで……。俺もNPSの一員っすからね」
―― それが駄目なんだが……
根っから単純で熱い男の一號にこれ以上言っても熱を煽るだけだ。
ちらりと古橋と視線を交わしながら、速田はかけていたメガネを専用のものに取り替えた。
[newpage]
出動の支度を整えている間にも香椎は携帯と内線を使っている。
「隊長」
着替えを終えた速田がグローブを脇に挟んで近づいてくる。ちょうど、電話を切ったタイミングでネクタイに指をかけた香椎は、しゅるっと緩めたネクタイを引き抜く。
「うちも出ることになった。爆発物の処理にはSATがでる」
「周囲の封鎖もありますね」
「そうだな。問題は……、要求がまだないらしい」
速田の顔がわずかに曇る。爆発物を仕掛けたと予告しているのに要求がないと言うのは相手にそれだけの余裕があるということだ。
確かに今の支店の中には行員だけでなく人数もわからないがおそらく多くの客がいる。それだけの人数を人質に取っているだけに相手の余裕が不気味に思えた。
「速田、とりあえず見張れる場所を確保だ。梶尾とポインターは周囲のビルの検索。ひとまず、指揮車で帝都テレビの取材車まで近づいてからにしよう。詳しい状況は指揮車の中で説明する」
「承知しました」
次々と機材を積み込んだ後、別な場所に格納されている拳銃を手にする。
SATと違って、装備は半分警備部に足を突っ込んでいるような状態なのだ。今はまだ重火器の持ち出しにはSATより面倒な手続きが要る。
それぞれ積み込みが終わると、指揮車のハンドルは梶尾が握った。
後ろとは隔離されているが、片耳には皆と同じマイクとイヤホンをつけている。
「状況を確認すると、10時23分。稲葉さんが銀行に入った後、内橋支店のシャッターが下りた。これは犯人の工作によるものだろう。その後すぐ、稲葉さんから同僚の藤枝さんあてに携帯のメッセージが入る。シャッターが下りたからもうしばらく時間がかかるという内容だ」
それから、15分ほどして、藤枝からNPSへ一報が入り、速田が支店に電話を入れたがその電話は本店に転送されてしまう。
指揮車の後部で、香椎を前に速田と古橋、一號が並んで腰を下ろしている。地下の駐車場から走り出した指揮車は、すぐ近い場所にある帝都銀行へと向かっていた。
「その後、帝都銀行本店に対して、内橋支店に爆弾を仕掛けたというメールが入った」
「メール?」
「そうだ。内橋支店に爆弾を仕掛けた、というだけのメールが届いたわけだ」
「そのほかには何も書いてないんですか?」
香椎が手元で画面を切り替えると、指揮車のモニターに映し出されたメールには、ただ一行書いてあるだけだ。
「同時に本店では帝都銀行の警備を担当する帝都警備に連絡。帝都警備でも内橋支店に配置している警備員へ連絡を取ったが、無線への応答がないそうだ」
「うーん……。他になんかないんすか?ほら、金だせーとか、そういう普通なんかあるじゃないすか」
あえて一號が口にしなくてもそのくらいのことは皆わかっている。指先で眼鏡を押し上げた速田がわかりきったことを口にした一號を諌めた。
「神御蔵」
「はい」
「こういう時は一分、一秒が無駄にできないことを頭に叩き込んでおけ」
神妙な顔で一號が頷くと香椎は、周囲の地図を表示させた。
「一號の言うとおり、犯人の意図はまだわかっていない。銀行を狙っているところから目的は金だろうが、今はなんとも言えん。気を引き締めていくぞ」
大きくカーブを曲がった感覚でどのあたりを走っているか、各々が頭の中に描いている。それぞれの耳にインカムを通して、梶尾のまもなく到着します、という声が届いた。
支店の中は空調も変わらずに効いていたし、まだ比較的落ち着いているほうだ。時折、ビジネスマンや、用事があるという人が何人か、警備員や行員を問い詰めている場面もあったが申し訳ない、原因は今確認しているところだ、という説明に、もう少しだろうという淡い期待をどこかで持っていたのだろう。
日中のトラブルにまったく打つ手もなく何時間もかかるとは思えないことと、こんな状況で初めは不安を覚えたが、状況から銀行強盗の類ではないだろうと誰もが思った。
客たちが待合の椅子と、カウンターの内側からありったけ出された椅子に座って待っている間に、リカは融資カウンターの一番奥にいた。
女子行員に話しかけた後、フロアの責任者を連れてきたのだ。
「じゃあ、皆さんが出入りされている奥の扉も開かないんですね?」
「ええ。電子錠というか、指紋認証とこのセキュリティカードで出入りするんですが、そのどちらもエラーになっている状況でして……」
リカが帝都テレビと名乗ったことで、初めは躊躇したようだったが、後になって銀行の対応に問題がなかったことを証明するという約束のもとに、協力体制に頷いたのだ。
鞄からハンディを取り出したリカは、窓口の課長だという花巻から出入り口がすべて閉じられていることを聞いた。
「一般客が出入りする窓や出入り口ならわかりますが、行員の皆さんが出入りするところも……。いわゆるセキュリティのトラブルでは?」
「それが、ネットワークはつながっていて、通常の入出金の業務も問題がないのですが、電話はすべてつながらないんです。で携帯だけでなく支店の電話も通じません。カウンターの端末は処理を行う専用端末ですが、奥の営業の席にあるパソコンだけが外と繋がっているような状況なのです」
「つまり、メールは届くと?」
頷いた花巻を映していたカメラをゆっくりと振ると、カメラは男性行員が座っている奥の席のほうを映し出す。その中の一人が、顔色を変えて立ち上がった。
「か……、課長!花巻課長……っ」
「なんだっ」
どちらも平静を装って、声を落としてはいるが、ほとんどの客が静かにしているので、割合はっきりと聞き取れた。動揺する男性行員の様子に、ちょっとすいません、といって花巻が立ち上がる。
あたふたと机の間をぬって男性行員の席に向かった花巻の顔がみるみる青ざめた。
「あ……っ!」
「花巻課長!」
どうしましょう、と男性行員たちが顔を見合わせている姿を見て、リカは携帯をとりだした。気づけば圏外になっていた携帯に、外にいる藤枝たちが気づいてくれること願う。
リカの戻りがあまりに遅ければ、外からも銀行の様子を見ておかしいと気づくだろう。そして、これから取材に行くはずだったのはNPSである。
―― まさか、自分がこんなことになるなんて……
これが報道にいた時なら特ダネだとガツガツ突っ込んでいったかもしれないが、今はもう少し冷静である。
リカがじっとカメラを向けて見ていることに気付いた花巻が端末の前に座っていた行員に何か指示を出した後、印刷したなにかをもってリカのもとへと戻ってきた。
「何かあったんですか?」
「稲葉さん。これを」
差し出された紙はメールを印刷したものらしく、一見、ありふれたフォーマットだった。
『帝都銀行 内橋支店御中
帝都銀行内橋支店 ご担当者様
表に出るためのシャッターにはすべて爆発物を設置している。無理に開けようとすれば爆発するようになっている。
こちらは被害者を出したいわけではない。支店にある現金、およそ三億のうち、一億を支店内の無印の紙袋で梱包しろ。
指示通りに従えば、出入り口を開けて解放する予定だ』
「……これっ!」
明らかな脅迫文である。
リカはカメラで脅迫文を撮った後、客たちのほうを振り返った。
犯人がこの場にいるのか、いないのか。
まさかと。
そうでなければいいと思っていたことが急に現実になって目の前に迫ってきていた。