Cry For the Moon 7(20~22)

スーツに身を包んだ男たちがずらりと並んでいるから、七海は伏目がちに視線を逸らす。
古橋がNPSの鞄をぐっと押しやって場所を作ると、軽く頭を下げた七海は長机に鞄を置いた。

置いた瞬間、わずかにほっと息を吐いたのを見て、よほど重いのかと思う。

「こちらはお返しします」

先に七海が差し出していた身分証明証を差し出す。受け取った七海がパスケースにもどすと、自分のバッグを差し出した。

「どうぞ。見られて困るようなことはありませんので」
「ありがとうございます。失礼します」

中からだしても?という速田に七海は自らバッグの中身を取り出して並べ始めた。ポーチや携帯、そのほか、一通り速田の前に並べる。
財布は、さすがに躊躇われたがそれ以外はポーチの中も一通り確認を終えて、速田は頭を下げた。

「ご不快な思いをおかけして申し訳ありません」
「いえ。仕事柄ないわけじゃありませんし、お仕事ですから気になさらないでください。こちらはお見せするだけになりますが……」

そういって、自分の荷物をバッグに戻すよりも先に、ハードケースを開けて専用のパソコンと機械類を見せる。
速田が確認している間に、荷物を戻す。
手早く荷物を確認した速田が振り返って頷くと、香椎が一歩近づく。

「内橋支店の担当の方と言うことですが、担当は伊藤さんという男性の方では?」
「伊藤は事務所のほうで警察の方と調整しています。私は七海と申します」
「そうですか。七海さん、帝都銀行の内部は?」

頷いて、パソコンの電源を入れる。座る椅子もないままで、七海は電源の場所を視線で探す。それを見ていた古橋がすぐに床の電源から引いたタップを差し出した。

パソコンの下からもうひとつ同じようなパソコンを引っ張り出す。二台目を接続している間に初めの一台が立ち上がって、銀行内部の見取り図を表示させた。

「内橋支店の建物は、ご存知のとおり非常に古い建物です。道路側に面した窓、出入り口にはこの色が変わった場所ですが、すべてシャッターが下ります。これは手動に切り替えることもできますが、基本的にはタイマーで下がるようになっています」
「今、降りている状態ですね。このほかに行内に入るには?」

すぐにどこかを触って違う場所の色が変わる。

「ビルの中、行員の方々が出入りするのは二階がこことここの2箇所、一階はこことここ、それからここ」
「地下は」
「……地下ですか?」
「ええ。何か?」

問い返した七海に対して、逆に問い返した香椎は画面を覗き込む。

「……いえ。大金庫は中のほうからしかいけません。手前の廊下なら非常用の配管室に出る場所がありますが、通常は施錠されていますので……。一階も二階もお客さんが出入りする場所の裏に、営業さんや総務の方や支店長さんのお部屋があります。お客さんが入るフロアから中に入る場所にも当然ですがセキュリティがあります」

一旦、言葉をを切った七海が少しだけ困惑を浮かべた顔で香椎を見た。

「……何が知りたいんですか。どこから何をしたいのか言っていただければその説明をさせていただきますが」

情報を得て作戦を立てるのは香椎たちのほうだ。それにもかかわらず、言い返してきた七海に香椎だけでなくNPSの面々も顔を見合わせた。

その頃。マンホールの蓋が吹っ飛んできた後、周囲を警戒している警官に場所を移動させられた藤枝たちは、少し離れた銀行がぎりぎり見えるかどうか、という場所にいた。銀行の前から移動することにもしばらくは抵抗を見せた藤枝たちは双方がぎりぎり譲歩してこの場所にいた。

どうしても譲らない彼らに、渋々認めた警官が、もっと状況が悪化した場合は、即刻退去することを厳しく言い渡していった。

車はエンジンをかけたままで停車していて、車のバッテリーから充電用のケーブルがそれぞれ延びていた。

「あぁ?!阿久津さんよ。確かに俺たちは報道担当じゃねぇよ。だからってこんなとこにぶち当たって帰れっかよ。……」

局との連絡は主に藤枝と坂手が行っていた。大津は今は運転席に座っている。

阿久津と何か話し込んでいた坂手はしばらく黙り込んだあと、藤枝に携帯を差し出した。

「報道の担当者と代われっていうんだが、やつらはもう報道管制が敷かれててここらには入ってこれねぇ。とりあえずそこまでは交渉した」

まだ繋がっているらしい電話を受け取った藤枝は耳に当てた。

「代わりました。藤枝です」
「阿久津だ。報道局とも調整した。現状は報道協定で放送はできんが、解除され次第、そのまま素材を使うことになった。坂手には話してある」
「はい」

その場合、状況しだいではこのまま現場に残って取材を続けることもありえる。それを覚悟しろと言うことならこちらも望むところだ。
坂手が何かを言いつけたのか、大津は運転席から飛び出して、銀行とは逆の方向へと走っていく。

「阿久津さん。空井君に連絡は」
「……これからだ。俺から連絡するが、現場にお前がいることも伝える」
「……わかりました。もしここまで来るようなら連絡を下さい。NPSの隊長さんに掛け合って入れてもらえるようにお願いしてみます」

そうだな、とだけ返ってきた電話はすぐに切れた。携帯の画面を袖口で拭ってから坂手に差し出す。

「どのくらいかかるでしょうね」
「さあな。さっきのマンホールはすぐ傍過ぎて吹っ飛んだ瞬間は取れなかったが、飛んで来た蓋と吹っ飛んだマンホールは押さえてある」

悔しさを滲ませた坂手は、この事態に対して腹をすえていた。自らの危険よりも、もっと危険なのは中にいるリカのほうである。それだからこそ、今自分が危険な目にあおうと、命がけでこのレンズに納めるつもりでいた。

次はどんな瞬間ももらさずに撮影するつもりで、坂手は後部座席にカメラケースを台にして、カメラを抱えたまま陣取っていた。

―― あいつ……。こういう“アタリ”クジだけは必ず引きやがって……

リカの引きのよさというべきか、悪さと言うべきか。それを思うと、本人にはその意識がなくとも舌打ちしたくなる。
今頃、空井が受けている電話が、せめて自分からではないことが救いだった。

デスクの電話を置いた阿久津は受話器を取り上げようとして手を止めた。空井との付き合いは、単に部下の身内としてだけではなく、時に取材相手だったり、時に協力関係でもある。
それだけの関係があって、デスクから愛想のない連絡をする気になれなかった。

携帯を手にして、よくリカや藤枝が息抜きをしていた吹き抜けに出る。

日差しの強さからしても人気がないのが幸いだった。

携帯で直接空井の番号を呼び出す。

『はい。空井です』
「ご無沙汰しております。帝都テレビの阿久津です」
『ご無沙汰してます。いつも、お世話になってます。珍しいですね。どうされました?』

いつもこの電話の相手はこうだ。
さわやかに器用ではないが、相手の立場に立って気を配ってくる。まして日中の電話だけに、リカに関する電話だとは思わなかったのだろう。

仕事相手に対しての挨拶を口にした空井に、気まずさを押し殺して、阿久津は努めて冷静に口を開いた。

「久しぶりの電話ですがいいご連絡ではありません。落ち着いて聞いてください」
『え……』

驚く空井の反応を聞かないようにして、リカが偶然、取材に向かう途中で立ち寄った銀行がどうやら、襲撃にあっているらしいこと。
そして、今も人質の一人として閉じ込められていること。

途中から一切、口を挟まなくなったことがありがたいと思いながら、阿久津は現場に藤枝たちがいることも伝えた。

「取材車で取材先に向かう途中に車を止めて立ち寄ったようなので、藤枝と坂手、大津の三人は今も付近に粘ってます。もし現場に行かれるなら警察に話を通すことも」
『行きます』

それまで一言も差し挟まずに聞いていた空井が間髪を入れない勢いで答えた。

『場所を教えてください』

低い抑えた声は今までの付き合いの中では一度も聞いたことがない。
すぐ傍に比嘉がいるのだろう。どうしました?と囁く声が電話越しに聞こえた。

「場所と、誰のところに行けばいいのか、すぐに確認してメールを入れます。携帯のメールを教えてください」
『すぐショートメールでご連絡します』
「わかりました。では」

すぐに電話を切った阿久津は、今度は藤枝の携帯を呼び出す。

「俺だ。阿久津だ。これから空井さんがそっちに向かう。詳しい場所とどこを目指していけばいいか教えてくれ」
『……ですよね。わかりました。一度この車を目指してきてください。警察にはすぐ話を通します』

簡潔に用件を伝えて、すぐに電話を切る。
通話中に受信していたメッセージは、予想通り空井の携帯のメールだ。

―― 無事でいろよ……

局の中も報道と一部の幹部社員とで、厳戒態勢をとっている。いつ動きがあるかわからないこの手の事件だけにいつでも生中継に切り替えられるような準備も進めている。
背中を丸めた阿久津は眉間に皺を刻んで、足早にフロアの中へと戻っていった。

シャッターが閉まった銀行では狙撃手の出番はない。まして犯人がその場に姿を見せていないのではなおのことだ。

代わりに、アサルトスーツに身を包んだ蘇我はビルの中を丹念に歩き回っていた。

すでにビルの外は少しずつ輪を縮めていくように捜索済みで、マンホールを見た後、ビルの裏手から中に入った。路地の裏だけに見張っている警官も少ない。だが、ビルの正面入り口からまっすぐにエレベーターホールに向かい、その前で右に曲がると蘇我が入ってきた裏口である。

裏口と言っても大きな荷物の搬入などの際に使われるものだ。ほとんどの宅配や郵便物の類は正面の入り口から出入りされていた。

今は誰もいない警備室の前を通り抜けて銀行に出入りできるはずのドアの前に立つ。まったく反応しないセキュリティのボックスの周りを指先でなぞった。
隙間もなくぴったりと閉じられたステンレスの箱のはずがドアの側にわずかなゆがみを感じ取る。

すっと目を細めた蘇我は、指先が見つけた歪みの隙間に目を向けた。
ドアの上部にあるセンサーとシリンダーに繋がるはずのケーブルカバーに続いている。無駄な動きを排除して耳につけたインカムを触った。

「こちら狙撃01。NPS基地局」

指揮車から移動していても、NPSの隊員たちがつけているインカムはまだ繋がっている。耳につけたインカムのふちに着いた小さなスイッチに触れたまま待つとすぐに香椎の声が聞こえた。

『狙撃01。どうした。今どこにいる』
「ビル内から行内へ入るドアの前にいます。セキュリティ用のボックスのフレームにわずかな歪みを見つけました。至急、鑑識とSATの爆発物処理班を呼んで下さい」
『狙撃01。了解した』

応答を聞いてから周囲を見回して、位置を確認しながらぐるりと廊下を回った。
これだけの支店で出入り口がひとつと言うことはない。関係者以外立ち入り禁止のはずのドアがある側を覗き込む。

こちらもセキュリティは同じだ。壁にあるボックスを確認した蘇我は同じように丹念にボックスの周りに手を伸ばした。

「……」

先ほどの場所は、ビルの通用口に近く、中から出入りするためのものだが、こちらはすぐ傍に非常口があって外に出られるようになっている。外に続く緊急用のドアノブにはプラスティックのカバーがかぶせられていた。

先ほどと同じ場所に異常があるとは限らない。
狙撃手の蘇我だからこそ、指先に神経を集中させて、無心で触れたからこそ、気づく。

―― テグス……?

細い、爪の先に触れた細い透明なテグスがボックスの隙間からドアの上部へ伸びている。すぐに手を離して目線で光る線の後を追う。

ドアの上部に丁寧に這わされている線は、さすがに蘇我の身長でも見えはしない。だが、ドアの上に伸びたならその行き先があるはずで、じっとドアの周辺を見つめていた目がふと留まった。

その光る糸は、非常口を示す緑色に光るランプの箱に向かっている。

―― まさか……

周りに足場になりそうなものを求めて見回す。少し戻ったところにトイレと給湯のマークを見つけた蘇我は大股でそこへ向かった。

電気のついていない給湯室にドアはない。廊下の明かりで暗くても中の様子はわからないわけではない。流し台の奥は分別ごみの置き場になっていて、右手には掃除用だろうか。
ブルーのバケツがおかれているのが見える。

その隣に小さな踏み台のようなものが置いてあった。片手でそれを持ち上げると、非常口の下に戻る。
広げた台の上に上がると、緑色に光るパネルをそっと指先でなぞった。異常はないのも確かめたが光るテグスは確かにこの非常灯に伸びていた。

ポケットからマルチツールを取り出して、小さなナイフの先でわずかにパネルを動かそうとした。

「……っ!」

ほんのわずか動かした瞬間、息を詰めた蘇我は手を止めた。
光るテグスが少しだけ動いたからだ。

プラスチックのパネルは、上から穴をあけられるだけの張りがない。ふにゃりと奥にある電灯とそれ以外の何かに触れてしまう。

迷った挙句、蘇我はその場から静かに下りて後ろに下がった。行内への出入り口に伸びたテグス。非常口の上におそらく仕掛けられている爆発物。

「……非常口からSAT、または警官が入り、行内に繋がるドアを解錠する。……と、このテグスが引っ張られる」

システムを解錠してドアを開いた瞬間。

蘇我は頭の上からはじけるように覆いかぶさってくる熱を想像して首を逸らした。

―― なるほど。存外、犯人は本気だということか……

マンホールは威力を見せるだけで被害を出さないように見えた。だが、これは違う。
爆発物の種類にもよるが、確実に被害が出る。

険しい顔になった蘇我は、足早に基地局へと足を向けた。

「……確かに」

腰に手を当てた香椎は、考え込んだ後姿勢を正して頭を下げた。

「すみません。おっしゃるとおりです。改めてお話を聞かせていただいてよろしいでしょうか」

こちらへ、と七海を中央に広げたテーブルへと促す。
長い髪を後ろでひとつに束ねた七海は、回りの隊員達の視線を避けるように香椎に続いた。

「これがこのあたりの地図です」
「……見ればわかります」

小さく返した七海に、苦笑いしながら香椎は手短に事情を説明し始める。
シャッターが下りたこと、内部との連絡が取れなくなったこと、犯人と思われる人物から爆発物を仕掛けたと要求があったこと。

「内部の様子がわかりません。中に犯人がいるのか、それともいないのか、それを知りたい」
「監視カメラを確認できればいいですか」
「できるんですか?先ほど、問い合わせしたときには」
「できない、と言われたんですか?」
「……そうです」

わずかに目を見張った香椎にくるっと背を向けて、自分の荷物に戻っていく七海にその場の視線が集まる。無愛想で、いまどきあまり見かけない黒縁のメガネを手の甲で押し上げた。

先ほどチェックされたノートパソコンの一台の前に立ってから後ろを振り返る。
ノートパソコンの画面ではこれだけの人数では見づらい。せめて香椎がいる真ん中のテーブルでみせるべきだ。

「……あの、そちらに移動していいですか」
「あ。ああ、申し訳ない」

ぼそぼそと呟いた七海がコンセントをはずしてパソコンを運ぼうとしているのを見て、一號が長机ごと持ち上げて中央のテーブルにくっつけた。タップとコンセントのケーブルがずるずると引っ張られる形になったが、すぐに古橋が手を伸ばしてフォローする。

「どうせ地図とか広げる場所もいるし、この方が早いでしょ!」
「神御蔵、お前大雑把すぎんべ」

呆れた古橋にそうですか?と頭をかきながらこの中で一人だけからからと笑って見せた。

「だって、こんなの専門家の人に任せるしかないんで、作業してもらいやすいようにするのは当然でしょ!」

大股に部屋の中を歩いて一號がパイプ椅子を香椎の隣に広げた。

「どうぞ!こちらに座ってください。立ってると疲れちゃいますよね。気が利かなくてすいません!」
「……ありがとうございます」

SATの隊員達はどちらかというと、無愛想で彼らを立てるような様子のない七海に眉をひそめていた。
七海にも聞こえるように上野が皮肉な笑いを浮かべた。

「SATにもプロはいるんだよ。別にわざわざ素人が来なくても……」

敏感にその一言に反応した七海は、パイプ椅子を引いて腰を下ろそうとしたまま、上野をみた。一瞬だけ、それでもしっかりと目線を合わせて何かを言いかけたが、開きかけた口元に笑みを浮かべて、パイプ椅子に座った。

「監視カメラは常時録画しているのですが……」

何かのソフトを立ち上げた七海が次々とスムーズに操作していくとぱぱぱっと画面が切り換わる。操作している内容を見ようとして背後に立っていた古橋は、この画面を全員で覗き込むには無理がある、と思った。

置いてあったSATのプロジェクタのひとつを取り上げてテーブルに置く。

「これにつなげられますか」
「ええ」

手元とプロジェクタの両方に画面が写るようにした七海が続けてキーボードを叩く。つづいてもう一台のパソコンを開いた。こちらも電源をつないで立ち上げる。

「全部ではありませんが、出ました。6面に表示させています。一階の出入り口に絞っています」
「これで全部ですか」
「出入り口で中の部屋同士の出入りは写していません。今生きているカメラは一階ではこれだけです」
「……なるほど」

頷いた香椎は、画面を丹念に見比べている。
一人意味がわからなかった一號は速田と古橋の間に割り込んで、七海の傍に屈みこんだ。

投稿者 kogetsu

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