「あのぉ……」
「はい?」
「今の、よく意味が……」
すいません、と笑った一號にうっとひるんだ七海は、指先でメガネを押し上げて周りにいるNPSの隊員たちを見る。
普通なら仲間内が説明するだろうと思ったが、皆、プロジェクタのほうを見ていてその気配はない。仕方ない、と小さく息を吐いた七海は壁に映し出されたカメラの映像を指差してから手を伸ばしてテーブルの上においてあったビルの見取り図を引き寄せた。
「監視カメラは、いろんな目的で設置されています。銀行の表の出入り口は客の出入りを、行内の出入り口には内部の人間の動きを見張るためになります。今、そちらの隊長さんは中の様子が知りたい、といわれたので」
そこまで言葉をきると、頷きながらもその先を待っている一號をみて、察しがつかないのだなと思う。もう一度、七海は手を伸ばして画面を示した。
「中に犯人がいるならシャッターが下りた出入り口はまだしも、ドアの類には様子を見るために近づのではないでしょうか。次に行内で生きているカメラですが……」
かちゃかちゃと操作した七海は、六分割していた画面を少し大きくして二分割にする。
「いくつかのカメラが生きていますが、一階に絞って、それから出入り口でもなく、フロアの中となると、この二つしか動いていません」
今度は中丸が無線機の前を離れてモニターに近づくと、SATの隊員たちも身を乗り出す。
一階フロアのATM側と、ロッカーのある中の廊下に面したカメラの2箇所が映し出されている。
「これは、位置的には」
そういって、カメラ映像の下のほうにかぶせて、行内の見取り図を表示させる。ゲームマップのようにカメラの位置を点滅させた。
「今赤い点が点滅している場所がカメラの位置です。障害が出たときに確認するための図を利用しています」
どのカメラに障害が出たのかわかるように平面図上にカメラの位置があらかじめ点として描かれている。その中で普段なら障害が出ている場所を光らせるわけだが、今は逆に生きているカメラを光らせているらしい。
ATM側のカメラには時々様子を見に来るのか、客らしい姿と、警備員の姿が映っている。警備員は出入り口には近寄らせないように、様子を聞きに来る客に頭を下げながらも応対している様子が写っている。
それを見ている分には客たちは自由に動き回っているように見えた。
「廊下側は一階のカウンターがあるフロアの裏手になるんですが、通常はこんなに人がいないことはないんですが」
「それは、まだ二階が開いている間に他の部署の方々は脱出してるんです。犯人から降りたシャッターに爆発物を仕掛けたと連絡があったので」
「ああ……。どおりで」
普通ならカメラに人影が写るはずなのに、まったく見えない理由がわかると七海だけでなく一號も同時に納得する。
「これ、なんで他のカメラは動いてないんですか?」
「システムにトラブルはないんです。動いていないのはシャッターと同じように何かがあるんだと思います」
「どうしてそんなことわかるんです?」
機械にはまったく疎い一號は目を丸くして七海の傍にさらに近づく。その距離感に、身を引いた七海が、視線を逸らしてモニターを覗き込む。
「これは私が基礎から立ち上げたので……」
「でも、会社のシステムなんじゃないんですか?」
「確かにそうですが……、どの会社もその会社のネットワークや内部の状況によってカスタマイズするものなので。特に銀行さんは他社と同じわけには行かないんです」
きっぱりとした口調の七海は黒いめがねの奥から至近距離に近づいてきた一號を見た。
しゃがみこんで話していた一號の頭にがツン、と拳骨がおちる。
「お前なぁ!少し考えればわがっぺよ!」
「いでぇ~!だってぇ」
「もう、時間ねんだぞ!」
古橋と一號のやり取りをじろりと中丸が睨みつけた。
一声と口を開きかけた中丸をさえぎって香椎は七海にカメラの向きを変えられないかと問いかけた。
「中の様子がわかればいいんですね?」
「ええ。たとえば、このATMを向いているカメラの向きを変えられませんか」
「……やってみます」
キーボードを叩く音が響く中、香椎は古橋に要求があったメールに対して返信をするように指示をだした。
「もうすぐ一時間立つ。少しでも手がかりを得るためには、やってみるしかない」
中丸を振り返ると小さく頷く。
蘇我の報告によって派遣された爆発物処理班からはまだ解体できたとの報告は上がってきていない。
「隊長!」
上がった声にその場にいた隊員たちが反応する。
まさにメールを送ろうとしていた古橋がパソコンの前に陣取っていたところだった。
「どうした」
「犯人からまたメールが来ました」
パソコンの画面はそのままもうひとつ大きなモニターにも繋がっている。そこにメールが映し出された。
『時間。一度目の発送。業者が到着したら中に通すこと』
「今度は署名付きです。このメールアドレスにも意味があったみたいですね」
『Minority』
「……マイノリティ、か」
腕を組んで考え込んでいた香椎は、速田を呼んで何事かを囁く。頷いた速田は、今度は部屋の入り口にいた蘇我に何かを囁いてから、二人揃って基地局を出て行く。
皆と同じように眉間に皺を寄せていた一號が香椎の傍に近づいた。
「隊長……。まいのりてぃ、ってなんすか?」
がくっと腕を組んだまま頭を落とした香椎に変わって、中丸の大音声が響く。
「少数者、少数集団、という意味だ。つまり犯人たちは少数だということだ!」
ばあん、と大きな音がして目の前の机を思い切り殴りつけた。
「舐められてたまるか。仮にもSATが少数のテロリストに負けを認めるつもりか!!」
中丸の一括で気合が入った隊員たちは、次々に声を上げた。
「あのお……」
とうに脱出していた銀行の支店長が警官に連れられて基地局に姿を見せた。
支店長は、内橋支店の責任者として金の工面に走り回っているはずだった。
額の汗を拭いながら何度も頭を下げる。
「じ、実は、二億の金なんですが……」
「はい。準備ができましたか」
香椎が顔を向けると、支店長はひどく申し訳なさそうに何度も顔を拭う。
「はい、あのですね。その……そちらの方が大金庫までは入られるとおっしゃってましたので、ご用意ができるといったんですが、その……。大金庫に入ることができないと言うことは……ですね」
「もしかして、用意ができないと言うことですか?」
「え、あの、各支店からもですね。現金を回してはもらっているのですが、その……、それぞれの支店でも現金は必要なわけでして……」
努力はしたというが、どうがんばっても七千万しか揃わないと言う。
「五百万ずつの包みは作ったのですが、何分、現金が揃いませんもので……」
もう何度も頭を下げすぎてみている隊員たちも、時が時でなければ赤べこかと思いそうなくらいの勢いだ。
「隊長。七千万じゃ、一時間に発送するはずの二十個にも足りませんよ?!」
「……ん、む」
ぱっと数をはじき出した古橋が香椎を振り仰ぐ。香椎が呻くように視線を彷徨わせていると、中丸が大股で進み出た。
「香椎。今すぐ指揮権を渡せ。犯人の姿も見えない、仕掛けられた爆発物は今こちらで解体作業だ。後は突入して人質になっている客と行員を解放するだけだ」
「……いや」
「いつかのように、犯人が行内で暴れているわけでもないんだぞ!!」
確かに以前、正木から武器の提供を受けた若者達が銀行強盗を仕掛けたことがあった。あの時も爆発物を使い、拳銃を撃ちまくった。
あの時は、人質を盾に暴れまわっていたのだから容易には突入できかねていたこともわかる。
だが今、行内に犯人の影はない。
仮に仕掛けられた爆弾が合ったとしても、SATの爆発物処理班はプロ中のプロでもある。
「いや……。だからこそです。姿を見せない犯人の余裕が不気味なんです」
中丸やSAT隊員たちを振り返った香椎はモニターに映ったままの行内を見る。
「姿を見せない犯人が奪おうとしても宅配便なんて追跡してくれといわんばかりの方法で現金を奪おうとする。もし追跡されたときに、もし中にSATが突入したときに。犯人が何かそれを見越していないとは思えないんです。ですからNPSのやり方で、もう少し捜査を進めさせていただきます」
きっぱりと言い切った香椎は古橋に頷いて見せた。任せろと笑顔を作った古橋が、頷きを返してもう一度パソコンに向かう。
用意していたメールを改めて新しいメールの返信にして送信する。
『犯人へ 要求をのむ。中にいる人質を解放してくれ。こちらは警察の古橋だ』
「これで、あとは犯人の出方待ちだ」
「ネゴは古橋さんの本領発揮っすよ!」
「ああ。まかしとけって。……メールでネゴなんかとったことねぇけどな」
「古橋さぁん!」
上野のこんなときに、という舌打ちをよそに、古橋と一號はにやりと笑みを浮かべて拳をぶつけ合った。
同じ頃、一階の行内にいたリカたちも、そろそろ痺れを切らし始めていた。
「こんな荷物、どうやって宅急便業者に渡すんでしょうね。出入り口は全部閉められててでれないじゃないですか」
男性行員の一人がネクタイに指をかけて苛立ちを押さえるように緩める。一億円分の荷物はもうすでにできていて、犯人指定の伝票も貼り付け済みだ。
「そうですよね……」
今は堂々とカウンターの内側に立ったリカは、時々カメラを持ち出して行内の様子を撮影していた。廊下に出ることもできず、表に出ることもできない。今この見える範囲以外の場所といえば、支店内にあるトイレくらいなものだ。
客用ではあったが、今は行員たちもやむなく使用している。
リカも一度だけ、表に連絡ができないかとトイレに入ったが、窓は子供の頭が通るくらいしか開かず、携帯も妨害する電波が強力なのか、圏外のままだった。
「そろそろ時間じゃないですか」
落ち着かない行員たちが何度もそう繰り返している間に、唯一外と繋がっているパソコンの画面にメールの到着を知らせるメッセージが表示された。
「あっ、稲葉さん!」
「犯人からですか?」
「たぶんそうかと……。あ、これっ!」
花巻が声を上げると行員たちが周囲に集まる。
『今は使っていない、昔のダストシュートから金の包みを落とせ。下で荷物を受け取る』
「ダストシュート!」
ざわっと行員たちが驚きの声を上げてカウンターの内側の壁を見る。
リカはつられてそちらを向いて、初めて棚や床に置かれたダンボールの間に錆びた鉄の扉らしきものに気づいた。
「ダストシュートなんてもうずっと使ってないのに……」
「でも花巻さん。今は犯人の言うとおりにするしかないんだから、やりましょう!」
リカに背中を押されるように、行員たちは我に返ったようにダストシュートの傍に駆け寄る。棚やダンボールをどかせて、ガムテープで封じられていたダストシュートを開けられるようにする。
さび付いたダストシュートを開くと、埃臭くどこか鉄の匂いが広がった。
「……ここ?」
誰ともなくそんな呟きがもれる。じっと中を覗き込んだが地下まで続く深い穴の奥に何があるかはわからない。リカは、腕時計を見て花巻を振り返った。
「ここが指定されたダストシュートなら迷っても仕方ないですよね。やりましょう、花巻さん」
「そ、そんなとこにはいりますかね……」
不安でいっぱいの花巻が包みを持ってくると、ダストシュートの内側にぴたりと収まる。重さにも不安を覚えながらゆっくりと蓋を閉めると、蓋を引いていた手にもふっと軽くなった感覚が伝わってくる。
「あ……っ」
途中でダストシュート内の壁にぶつかったのか、こすれるような音が響いた後、重い音が響いた。ひとつ落とせば迷いがなくなるのか、2つ目からは次々と落としていく。
すべて落とし終わってからパソコンの前に戻って、無意識に返信しようとした行員が、我に返って手を止めた。
仕事であれば依頼メールが来れば、対応し終われば完了の連絡をする。それが身についているために無意識に動いてしまったのだ。
「これ、送り返したらどうなるんですかね?」
その答えを持っているものはいなかったが、なんとなしにその場を仕切るような空気になったリカが、試してみたらどうでしょう、と傍に立つ。
駄目でもともとだ。
反応して犯人が開放してくれればそれに越したことはない。
頷いた行員が一億を指示通りにダストシュートに落としたことを書いて返信する。
フロアにいた客たちも何か行員たちがざわざわと動いていたことは気になってはいたが、中を覗き込んでどうなっているのだといっても、客に関心を向けられる状態ではない行員たちに憤慨していたが、やがて仕方なく自分がいた場所へと戻っていく。
困惑してATM側に立ったままの警備員も密かに教えられたこと以外の情報がなくてどうにも動けない。
案内係の女性行員だけが何度も客の間を回って声をかけて歩いている。その彼女の存在さえ、中にいる行員たちはもう忘れてしまっているようだった。
しばらくして、再びざわっと行員たちがパソコンに食いついた。
「きたっ!」
「何?なんて書いてあるの!?」
画面を覗き込む行員たちの前で一人が届いたメールをクリックする。
その内容に再びざわめきと言うよりも、互いの顔を見合わせてしまう。
「あの、返事が来たんですよね?」
少し離れていたリカには内容がわからなくて、声をかけると行員たちがさーっとその場を慌てたように離れる。
「え……。あの?」
急に態度が変わった行員たちを不審に思いながら、一歩前に出てパソコンの画面を覗き込んだリカは思わず目を見張った。
『確認した。
これから3分後、廊下に出るドアを解錠する。銀行員のみ、出ることを許可する。それ以外の者が出ることは禁ずる。
破った場合はその場でドアを施錠する。』
「えっ!これって……」
メールが届いてからもうすでに3分程度は立っている。振り返ると、その場にいた行員たちは我先に廊下に繋がるドアの傍に集まっていた。
「あの、でも皆さん!他の皆さんがまだいますし、あちらにまだ案内の方も……」
いるのに。
リカのその声はわずかな電子解錠音とそれに続いた悲鳴のような声にかき消された。
誰か一人がドアを開けると、雪崩のように行員たちが飛び出していく。その様子に気づいた客達が騒ぎ出す。
「おい!!なんだよ、お前らだけ逃げるつもりかよ!」
「ちょっと!どこに行くのよ?!ちゃんと説明しなさいよ」
「待って!!私たちも外に出して!!」
ろくな説明もせず、シャッターの不具合と言って一時間以上この場に足止めをしておいて、我先に出て行く行員たちに怒鳴り声が続く。
客たちもカウンターの中に入ろうとするが、そこには番号キーがあって、行員たちしか開けられないようになっていた。
フロアにいた案内係の女性行員も取り残された格好になって、客たちを押し留めながらも状況がわからず出て行く行員たちを目で追う。
「待って!!待ってください!」
混乱してその場から動けずにいたリカが叫んだ。
行員たちが離れたあとの、パソコンの画面に新しいメールが届いていたのだ。
『ただし、ドアの解錠は3分だけ。すべての行員が出ること。出ない場合は設置した爆弾が爆発する』
どうやって行員全員が外に出たかを知るのかはわからないが、断定的なそのメッセージを見たリカが振り返ったときには、その場にいた行員たちだけが出て行って、ドアが閉まるところだった。
机をよけながら駆け寄りかけたリカが見ている目の前で銀色のドアが閉じてしまう。
「あっ!」
どうしようもない声が無意識に飛び出して、カウンターを乗り越えてこようとしていた客たちのほうを振り返る。何かを考えるよりも先に、リカは叫んだ。
「駄目!こっちにこないで!出入り口から離れたところに集まってください!!」
「何でだ!」
「これはトラブルではありません!銀行襲撃です!この銀行に爆弾を仕掛けたと連絡があって、それで……」
一瞬、静まり返ったフロアの中が悲鳴と怒声に包まれた。
案内係や警備員たちも、聞かされてはいたが今、行員たちが出て行ったことの意味がわからない。
客とほぼ変わらずに置かれた彼らもまた顔色を変えて出入り口から離れて、カウンターぎりぎりの場所へと客と一緒に移動する。
一人取り残された形になった案内係の行員が、カウンターの中に入る数字キーを解錠して、中に駆け込んだ瞬間、鈍い音と振動が伝わってきた。
「!!」
反射的に頭を抱えるようにして誰もが身構える。
まさか、とリカの頭をよぎったとおり。
基地局でもその様子は捉えられていた。