Cry For the Moon 10(29~)

取材車はワゴンとはいえ、ずっと中に籠っていることには向かない。大津がコンビニに走り、車の中には軽食と、ペットボトルの水が用意されていて、解決まで粘る気が満々である。

後部座席とトランク部分の境になっていたシートは中に乗ったままで移動しながら倒しこんで、広いスペースを確保できるようにした。

「はい。藤枝です」
『阿久津だ。変化はあるか?』
「いえ。周りは封鎖されたままですし、人通りもおそらく警察官らしい人しかいませんね」
『そうか』

報道局だけでなく編成局全体で現在の状況を協議した結果、緊急対策室を情報局フロアの一番大きな会議室に設置して、各局部長が待機、藤枝とのコンタクトは阿久津が引き受けてくれた。
リカの上司ということもあり、また今日の取材が情報局の担当だったこともあって、半ば強引ともいえる根回しで阿久津がその役を引き受けてくれたことに、藤枝はほっとしていた。

報道局の部長はたたき上げだ。リカや藤枝たちの安全よりも特ダネに飛びつくのは目に見えている。その場合、彼らの安全は二の次でも特ダネに拘る可能性も高い。

『空井君がそちらに向かっている。一応場所は教えたが、万一警官に止められる場合はお前に連絡を取る様に伝えておいた』
「わかりました。ほかに何か動きはありますか?」
『こっちはいつでも報道特番に切り替える準備は完了している。状況次第だな。各局も封鎖場所が場所だけにもうこのネタには食いついて来てる』

報道規制は敷かれているから直接、規制線まで取材に出ている局はないようだが、警察庁、警視庁共に、張り付きの報道は蜂の巣をつついたような大騒ぎになっているらしい。
どこでもこれだけのネタを報道しないということはない。

「夜は俺、予定入ってるんですよね」

呑気な藤枝の言葉に電話の向こう側で含み笑いが漏れた。

夜までには解決してほしい。もっと言えば、夜まで特番がひっぱることのないよう、早々に解決してほしい。

『贅沢だな』
「そんなことないですよ。ただ、これで情報局が局長賞もらったら、俺も呼んでくださいね」
『わかった』

未来の話をするのは、それだけどちらも解決を願っているからだ。
通話を切って、携帯を充電につないだ藤枝は、車の周りを見回した。空井が来ると言っても、ここにきても何かできることがあるわけではない。まして、空井の立場で暴走できるはずもない。

それでも少しでも傍に。

そう思うのは道理だろう。しばらくして、藤枝の携帯にメールが届く。

『藤枝さん。空井です。場所をもう一度教えて誘導してもらえませんか』

現在地をGPS付きで送ってきたメールをみて、藤枝は坂手にこの場を託して車を降りた。迎えに行った方が説明するより早い。細いビルとビルの間の路地を走り抜けて、GPSが示す場所まで急ぐ。

大通りには警官が規制線を敷いて封鎖しているが、細い路地はところどころに警官が立っているだけだ。民間人とみて反応する警官たちに帝都の腕章を見せて、やり過ごす。
警察官に立ち止まらないように促されながらも粘っている空井の元にようやくたどり着いた。

「空井さん!」
「藤枝さん!」

警官には、スタッフだと強引に押し切って空井を引き入れた。帝都テレビのスタッフが規制線の内側にいることは連絡が入っているらしく、渋々通された空井は、目線でうながされて走り出す。
鍛え方の違いもあるのだろうが、あっという間に藤枝を引き離しそうになって、ようやく立ち止まった。

「ちょ……、空井さん。はや……」
「すみません。つい……」
「いや、いい。とにかく車に……」

息を切らしながらも取材車まで辿りついて、車に乗り込むと、藤枝は荒い息を吐いた。

「空井君!よく入ってこれたな!」

驚いた坂手と大津に迎えられて、スーツ姿の空井は生真面目に頭を下げた。

「我儘を言って申し訳ありません。どうしてもと阿久津さんにお願いしました」
「いや、俺達の邪魔にならなきゃ構わない」

大津が買い置きのコーヒーを差し出すと、空井は首を振った。
飲まず食わずでも平気である。むしろ、陣中見舞いの一つも持ってこなかった自分の気の利かなさに苦笑いを浮かべる。

「話してもらえますか」

今どうなっているのか。
リカが、と思うだけで苦しくなる。

呼吸を落ち着かせた藤枝が、何度もうなずいた。さして長くもない話は阿久津から聞いた話と大差はない。

「リ、……稲葉さんは、ただ黙って人質になっているような人じゃない」
「だな……。中に犯人がいるのかもわからん。大人しくしててくれりゃいいが」

車の中に重い沈黙が広がる。できるなら、警察の指令所にさえ飛び込みたいくらいなのだ。

「何か動きがあれば、NPSの香椎さんって人が教えてくれるはずだから、今は待とう。空井さん」
「……はい」

頷いた空井はその長身を丸めるようにして銀行の方へと視線を向けた。

動く人も、走る車もほとんどない。その代り、大きなビルの中では、働いている全員が退避するまでには至っていないビルも多い。

「ねぇ、いったい何時まで外に出ちゃいけないのかしらね?」
「さぁ。でも場合によっては全員退去しなきゃいけなかったみたいよ?」

都心のこんな場所にだからこそ、大きな配送センターを構えているのは、犯人が指定した帝急運輸である。
首都圏の配送される個数はたった一日でもすさまじい数に上る。その中でも都内のオフィスビルが多いエリアでは、小さな集配所があちこちにあり、荷物の集配を請け負っている。その中でも、この中央配送センターは小さな集配所に集められた荷物を集めて、都内とそれ以外への発送を振り分ける場所だ。

都内宛の荷物は配送先の集配所に再び送り出され、それ以外の荷物は空港に近い配送センターへと送り出されていく。

大きなベルトコンベアーの上をバーコードのついた伝票を読み取って、荷物が途切れることなく流れている。その荷物の中には同じサイズの荷物が多く流れていた。
企業宛だけでなく、個人あての荷物も多く流れている中に、真っ白な梱包の荷物が流れていく。

バーコードが読み取って、行き先を振り分けていく様を見送ると、何事もなかったように次の荷物を台に乗せた。

田丸、という手書きのネームプレートを付けた女性は、他のスタッフよりも丸みを帯びた体を一生懸命動かしている。集配所からだけでなく、同じブロックの中のビルに入る企業に関しては、このセンターが集配を受け持っていた。

狭い路地も知り尽くしている。
手押しのカートを引いて、帝都銀行の入っているビルに向かったのは少し前の事だ。

一般客の出入りする場所からではなく、裏手の配送業者専用の入口から入った田丸は、そのまま地下に向い、SATもNPSも知らない間にダストシュートに落とされた現金を回収して、流れていく荷物に紛れ込ませていた。

数個から場合によっては百単位の荷物の中に混ざったとしても、見分けがつくこともない。そのうえ、荷物を回収してすぐ、リカたちが貼り付けた配送伝票をはがし、本来の配送先の伝票に取り換え済みである。
これで、万一リカ達が出力した伝票がわかったとしても、その伝票は使われることなく捨てられている。

貼り付け直した伝票は、旧タイプのカーボン式の伝票にパンチ打ちされたもので、デジタルデータとしては配送上で読み取られた情報しか残らない。

きっと都内に働く人々のように、その中に紛れてしまえば追跡することは難しいはずだ。
何度もシュミレーションして考えられるあらゆる可能性を潰してきた。彼女自身はそれほど頭を使うことに自信があるわけではなかったが、頭のいい二人が徹底的に考えている。

恐れることはない。

落ち着き払って仕事を続ける彼女には確信があった。

古橋は隣にいる七海の手元に注意深く視線を向けていた。
不審な動きは一切ないものの、香椎の目を疑う理由もない。香椎が疑いを持つこともわからなくはないと思っていたからでもある。

男でもひるむ中丸に平然と言い返し、こんな場所にいるのに笑顔まで見せた。

―― 少なくとも並みの女じゃねぇだろ

度胸の据わり具合だけはハンパではない。画面や操作を見ていると、確かに腕はいいようだ。

「どうすか?」
「え?あ、カメラですか?」
「あー、その他もろもろ?」

にやっと笑った浅黒い濃い顔に、う、とひるんだ七海は引きつった笑みを浮かべた後、曖昧に笑顔らしきものを浮かべた。

「難しいですね。このシステム自体、ここにはないので、会社につないでいますし、それだけでも時間がかかるんです。一度、監視カメラの調整は諦めて、ドアのセキュリティの解錠にかかってるんですが、関係するファイルだけでも五十以上あるので、なかなか見つけられないんです」
「あー……。わざとファイル分けてたり?」
「そこは……」

それだけが理由なはずはないが、探るつもりで話を振ってみても反応する様子はない。

とにかく、頭がいいだろうから、うまく引き出さないことにはわかっているのに逮捕できないと言うこともありえる。

裏取りに向かった速田と蘇我が何か情報を掴んでくれることを祈るばかりだ。
時々、そうして話しかけられている間、七海のほうも似たようなことを考えていた。

いや、正しく言えば、正反対だからこそ似たようなこと。

絶対にわからず、逃げ切れるに違いない。
薄々、疑いの目を向けられている気配は感じていても、怯える必要はない。なにせ、今七海が持参している荷物の中にも、システムの中にさえ、疑われたとしても何か見つけられて困るようなものは何もないからだ。

何もない、というよりも、何も知らないともいえる。
なぜなら、そもそも互いを知らない同士が、繋がっていたからだ。

一時期はやった。街コンというものがある。職場のあるエリアや、習い事をしているエリアなど、場所を起点にして合コンを行うものだ。
会員制で、厳重な登録を行うものもあれば、SNSのアカウントだけで登録できるものもある。三か月ほど前、この帝都銀行のある都心のエリアでそんな街コンが開催されていた。

場所柄、一流企業も多く、個人情報などにはリテラシーの高い人々が多いだろうということで、匿名性の高いSNSでの登録で集められた。当日は、身分証明代わりの職場の名刺を持参することが必須にはなっていたが、これはいざという時のために主催者側が収集する情報であり、当事者同士は、HNを胸元につけて、気が合えば自己紹介をする、というフランクなものだ。

「まあ、この辺で働いている女性だと、正社員じゃない人も多いよね」

何となく出来上がった塊の中の一つではそんな会話が始まっていた。男性の方は、一流企業に勤めているという者と、大手弁護士事務所に勤務しているという者で、スーツもそれなりのものに見えたし、物腰もスマートである。

女性の方は、七海の外には、派遣なんです、という可愛らしい女性と、聞き役に回るのがうまい美人が一人、その輪の中にいた。

「うちもこの前一人辞めちゃってさ。中途の採用もかけてるけど、そっちはじっくりってことで、派遣に来てもらってるんだよね」

私もそんな感じです、と笑っている派遣社員だという女性と、どこも大変ですよねぇ、と頷いている美人と。

無意識なのだろうが、ヒエラルキーを語る男性二人を白けた気持ちで七海は眺めていた。顔も悪くない、職場での評価もそこそこ悪くないのだろうが、無意識だからこそ、さらりとそんなことを口にする彼らに正直、気持ちが盛り上がることはなかった。

飲み物をとりに、と言って、その場の輪が崩れて、また新しい輪に加わろうかと周りを見回し手いると、傍でさらに食べ物を取り分けていた美人が皿を差し出してくれた。

「ありがとうございます」
「いえ。せめておいしいものでも食べないとね」

意味深な言葉に、おや、と思った七海は苦笑いを浮かべて応じた。

「私も正社員じゃありませんけど」
「ふふ。私は正社員だけど、ああいうことを言う男、大っ嫌い」
「確かに引きますね」

くすくすとお互い感じていた不快感を共有すると、なんだか一気に親しくなった気がした。取り分けた食事のこれがおいしい、これは好みが分かれる、と、女同士たわいもない話をしていると、同じようにどこかの輪が崩れたのか、女性一人と、男性が二人ほど近づいてきた。

「食べてます?」
「ええ。さすがにこの界隈のお店なので、おいしいですね」

そんな話から始まって、当たり障りなく映画の話や互いの趣味を探り合う会話が始まる。手近なテーブルから各々、食事をつまみながら最近見た映画がよかった、と女性が口を開いた。

「きっかけは友達に誘われて一緒に見に行ったんだけど、女の子ならあるあるっていう話で、なんだか自分もそうだな、なんて思っちゃったり」
「ああ~。女性はそういうので感動した、とか言うもんね。だいたい、映画に出てる女優なんて、皆自分達より若かったりするわけでしょ?まあ、たまに同年代もいるのかもしれないけど、そこ、見ただけで一緒になって女の子とか言っちゃ駄目だよ~」
「え、一般的に、ってことですよ。私なんて女の子っていう年じゃないし」

若干、頬をひきつらせていても、そこは合コンという出会いの場なわけで、いちいちそんなことに食いついたりはしない。小さなことに目を瞑れば、稼ぎのいい男前をゲットできると思っているからだ。

「そこは、大人の女性としてさ。ねぇ?」

これまた当人には悪気はない。逆に大人の女性として褒めているつもりなのだろう。
隣にいた男性が大きくうなずいた。

「俺、銀行なんだけど。カウンターの女の子とかつい言いたくなるけどね。ドラマとかでテラーって名前、結構有名になったけどさ」
「あ、それ!見ました。あんな感じなんですか?」
「いや、そこはねぇ。俺は法人担当だし色々、ドラマだとデフォルメされることもあるしね」
「だからHNがBKなんですか?」

ありがちと言えばありがち。今じゃうるさいからそんなこと言えないけど、親しみ込めたいい方だよね、と笑う男性に頷いて笑っていた女性の口元がわずかに動いた。

”いわないよ”

男性の参加者は、若いものからそこそこの年代まで、概ねかわりはない。業種も一般的にもハイクラスだとPRするのに不足のない者たちだけに、言葉の端々に上からものをみた発言が混じるのも仕方がないのかもしれない。

参加していた女性の中でそんな感想を持った人が多かった中で、七海に聞き役のうまい美人と称された女性は、気が付けば割合、壁際に移動して来ていた。

「やっぱり、俺なんて場違いだったかな?」

隣に立った男性がそう呟いたのを聞いて、残りわずかになっていたグラスにビールを注いだ。

「場違いなんですか?」
「だって、皆、男どもは一流ですって顔してるのばっかりでしょ?中身はさておき」

チクリと潜んだ皮肉に、つい笑ってしまう。
仕立ての良いスーツだろうに、ラフに着崩していて、ネクタイもかなり緩めている。その場の中では確かにワイルド系は彼ひとりである。

「Mさん?はお仕事は何をされてるんですか?」
「俺?そうだな。ざっくりいうと、破壊と構築のお手伝いってところ?」
「んー、ファンドとかそういう系?」

ふふっと含み笑いを零した男性に興味がわいた。それが顔に出たのか、するっと懐から携帯を取り出した男性が彼女にもそれを促す。

「ちょっと悪い男に興味があったら連絡して?」
「どんなふうに悪いんですか?」
「いろいろ、ね」

携帯のSNSに互いを登録すると、やはりHNと同じ”M”という名前が入っていた。

お開きだという主催者の声に、男性はじゃあね、と姿を消して行った。

それから、何となく二次会という流れでもないなとばらけたものの、何人かの女性同士が駅に向かう方向が一緒になって、互いに顔は何となく覚えたくらいだが、これも何かの縁だともう一軒行くことなった。

「今日の男性、ちょっと鼻につく人おおくなかったですか?」
「わかるー!今時、若いのにいつの時代の人?!っていう人もいたー!」

年齢も職業もバラバラでも笑顔の下に隠していた感想は同じだったらしい。次々と、男性陣の減点トークが始まって、そのたびにどっと笑いが起こった。

「なんか、ああいう男たちに思い知らせてやりたいよね」
「わかる!でも、ね?仕事も色々だし」

女性たちも男性たちも勤務先が同じエリアというだけで、職業も立場も年齢もばらばらである。それを特に限定することなく、女性を見下している男性たちに思い知らせると言うのはあまりに漠然としていた。

まして、男性以上に今の仕事を放り出して何かというのもありえない。

「……でも、絶対ばれないけど何かやられた!っていうのがあったらおもしろくない?」

誰か一人がそういい始めると、日頃から、鬱屈しているものもあったのかもしれない。徐々に、控えめだった机上の空論は、それなりに頭もよい、そして、さまざまな知識がある者たちが集まっていたからこそ、加速し始める。

「じゃあ、こうしない?お互い、薄々はどんな仕事なのか聞いちゃってるのもあるけど、本名の自己紹介はなし、HNだけで今ここで新しいアカウント作って繋がるの。うまくいっても行かなくても、フリーメールでアカウントもこの話だけ。終わったら全員、すぐ削除」
「でも、携帯からでも足がついたりしない?」
「大丈夫。フリーメールを作ったらそのままメッセージ機能を使える奴知ってる!」

そんな風にして、彼女たちの完全犯罪計画はスタートした。実際に、やれるとは思ってもいなかったが、ドコまで完璧な計画が作り出せるか、まるでゲームのようにおもしろくて、それぞれがのめり込んだ。

初めは何をするかについて話し合い、結果として銀行からお金を奪うことに落ち着いた。ハリウッド映画のように、スマートにしかも誰も捕まらず、誰にも知られることなくと言うところに皆が頷いたのだ。

少しずつ話が煮詰まっていくにつれて、脅迫のネタに行き詰まる。

本当ならそのまま話は話だけで終わってしまうはずだった。”M”と繋がっていなければ。

こん。こんこん。

どこかを叩く音がして、取材車のなかで顔を見合わせる。外を見ると、いつの間にか取材車の後ろに黒い装甲車がぴたりと近づいていた。

こん。

小さな音がして、藤枝は歩道側のドアを開けた。

「速田さん!」
「藤枝さん。変わりはないですか?……こちらは」

車内にいた顔ぶれを見て、すっと速田の目が細められた。空井を見て、表情がわずかに険しくなる。同じように半身を引いた空井が藤枝の肩に手を置いた。

「藤枝さん、こちらは?」
「NPSの速田さんです。今日取材予定だったので、コトが起こってすぐに速田さんに連絡させてもらったんです」

頷いた空井は自分から藤枝のほうへ身を引いて場所を開けておいて、手を差し出した。

「申し訳ありません。本来ならここにいてはいけないことは十分にわかっていますが、どうしてもと我儘を聞いていただきました。帝都テレビの稲葉リカの夫で空井大祐といいます」

素早く車に乗り込んだ速田に向かって、大祐は身分証明を差し出した。

投稿者 kogetsu

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