中の様子は生きている監視カメラを基地局が確認しているはずだ。
リカの返事の後、屈みこんでいる蘇我は後ろに控えている古橋を振り返った。
少数精鋭のNPSである。基地局のネゴは香椎に委ねて、古橋が合流していた。
声は出さなくても指を立ててサインを送れば意思は通じる。シャッターの前には二人。そして、少し離れてSATが機材を持って控えていた。爆弾がブラフであれば、ジャッキアップで無理やりシャッターを押し上げて中から人を出せばいい。だが、ブラフではなかった場合に備え、まず先に中に侵入する。
そのうえで、爆弾の有無を確認するために侵入を試みるのが蘇我と古橋だ。
一號こそ、突一として先頭を切りたいと声を上げはしたが、爆薬の有無、対処のどれをとっても、一號には無理だと判断された。蘇我は、狙撃手としてだけでなくSAT隊員としてその種の訓練も受けている。工作班の古橋と蘇我がエントリーすることはすぐに決まった。
かわりに、一號は速田と別な場所にいる。
三人とも背が高いので、目立たないように腰を低く、身を潜めているがなぜか違和感はほとんどない。
「正木の野郎、本当にここにいるんすかね」
「いるだろう。自分は関係ないとしても成り行きを見物するくらいの興味はあるだろうしな」
七海の証言から、SNSを経由した繋がりがわかり、すぐ調べたが、どのアカウントもすでに削除済み、やり取りのデータも鍵付きアカウントだったため、運営会社のログを提出させるにも時間がかかりそうだった。
だが、その代り、個人でのやり取りに使われていたアカウントはまだ生きている。
この件に関わった一般人の逮捕は後回しにして、実際に手を貸し、爆弾やその他の手配を行った正木の追跡が最優先になった。
荷物の追跡は、SITが捜査を引き継いでいて、今日の事件発生後に発送された管轄の荷物のチェックと関わった人物の洗い出しが始まっている。そちらもじきに、見つかるはずだ。
「……まさかこんな近くにいるなんて」
身を潜めてしばらくたつが、その沈黙とゴーサインが出るまでの時間が耐え難いのか、一號が口を開く。
七海の携帯からやり取りしていた正木のアカウントから携帯を割り出してそのGPSを追跡していた。都内、しかもオフィス街のど真ん中である。商業施設も多く、今は退避命令が近隣のブロックには出ているが、大きな商業ビルの中は、退避ブロックとは逆側に関して、客の出入りは続いていた。
封鎖された出入り口から中に入った速田たちは、銀行が見える五階のフロアにあるガラス張りのカフェの従業員用出入り口の傍に潜んでいた。
さすがに施設の中からは客がかなり少なくなっている状況だが、それでもまだしぶとく残っている客に店員は帰れとまでは言えない。警察からは退避と言われているが、銀行を向いていてもブロックの端にあるからでもある。
ビルに入った速田は警官隊を五階を中心に外に出るルートまでを確保していた。
残っている客の誘導を店側と警官隊に任せておいて、カフェに近づいたところで待機している。
外向きの窓ガラスを向いて、都内の景色を楽しめるような作りのカウンターにゆったりと腰を下ろしている男が見えていた。
「惜しいな。もう少し近くないとよく見えないじゃないか」
温くなったコーヒーを片手にひっそりと呟く。しばらく前に、店員からは警察が来て退避命令が出ていると声をかけられた。わかったわかった、と片手をあげたものの、まだ立ち上がろうとしない正木は、銀行の前に配置された宣伝用のトラックを面白そうに眺めている。
「……それにしても面白いことを考えるねぇ。トラックで目隠しをして中はどうなっているんだか」
バストアップの映像を見てすぐに気付いた。それだけの映像なら、銀行の正面にいる藤枝の取材風景は隠さずに見せた方がいい。それを、わざわざ囲うように配置しておいて、映像を見せるなら警察の『都合』があるはずだ。
シャッターを強引に破れば、仕掛けた爆薬が爆発する。
ドアにしても同じ。簡単に解除されては面白くないだけに、爆薬はドアの内側、起爆装置はドアの外側と小細工をしてある。
どうやって中に入るのか、面白くなって銀行が見える場所に陣取ってしまった。
「そこからどうでる?さぁ……」
金は、宅配の伝票を足がつかないように貼り付けなおすところまでうまくいっていれば、知られることなく書籍に紛れ込ませて送り出されたはずだ。X線にかけられてもばれるような、頭の悪い始末はつけていない。
それでも、きちんと届こうが届くまいがそこはどうでもよかった。
あるに越したことはないとはいえ、困っているわけではない。武器も爆弾もただでくれてやるのはもったいないとは思うが、こうしてテロを仕掛けるネタの一つになるなら面白いではないか。
―― さあ、どうでる?楽しませてくれよ?
女たちが捕まろうが、正木には関係ない。
ただ、面白いかどうか。この国を、揺さぶることができるのか。
そして、思いがけず揺さぶられることになったリカは、その頃、銀行の中にいた人たちを皆、一階の奥にある金庫の近くに集めていた。
現金はまだ逃げ出した行員たちがいる間に、目につく場所からはすべてしまわれている。処理が済んでいないもので、依頼人がいる場合は一旦返していた。
施錠できるところはすべて鍵をかけておいて、触れられないようにしてある。
「本当に大丈夫なのかしら」
「爆弾ってどのくらい……」
不安を口にする客たちを壁際へ固まらせる。この際、男も女もない。周りにあるもので、爆発があったら吹っ飛んできそうなものはできる限り除けてから足早にカウンターとロビーをつなぐドアをすり抜けた。
ATMの片隅にある監視カメラを見上げたリカはシャッターの前に屈みこむ。
コン。 コン、コン。
軽く握った手の甲でシャッターを叩く。
「蘇我さん」
小さく呼びかけてから、少し間をあけてもう一度呼びかける。
「蘇我さん。稲葉です」
「……準備できましたか」
「ええ。言われたとおり、金庫のすぐ傍に集まってもらいました。机の上にあるものも、極力どかしました」
シャッターの向こう側だけに少しでも間があくと不安が押し寄せてくる。シャッターの向こうには聞こえていないんじゃないかという不安だ。
しばらく待つと、こん、とシャッターが叩かれた。
「これから侵入を開始します。稲葉さんもそこを離れてください」
「わかりました。あの……」
その先に何を聞こうと思ったのかリカ自身もよくわからない。だが、言い表せない不安が思わず口をついて出た。
「……こういう時、自分は好みませんがNPSの突一ならたぶん、こういいます。『信頼してください、必ずたすけますから』と」
それを耳にしたリカの口元に思わず笑みが浮かんだ。いつも渋面ばかりで、取材に行っても嫌そうに逃げていくばかりなのに、一號ならとどういう顔で口にしているのだろう。
―― あとで、必ず聞いて見なきゃ
「わかりました。じゃあ、離れますね」
返事も待たずに身を翻したリカが無事に離れるだけの時間を待つ。
リカが予想したとおり、思い切り顔をしかめていた蘇我の背後に控えていた古橋が、小さく笑った。
「好みません、は余計じゃねぇか」
「……大きなお世話です」
今はリカがNPSを知っていて、協力してくれることが重要なのだ。
そのためには多少、優しい言葉くらいは用意がある。自分には得意じゃないが、一號が普段から馬鹿のように真っ正直な台詞を垂れ流しているではないか。
「そんなことよりしくじったら、だからNPSは、と笑われますよ」
「抜かせ。お前こそ、頭でっかちでビビッてたら笑ってやるぜ」
軽口というより、毒舌を叩きあって地面に接しているシャッターの継ぎ目にカッターをあてた。カッターといっても緊急時に金属を切断する大きなものだ。電子カッターでは音が出てしまう。それよりは手動でカットするほうがまだ音は出ない。
切断する箇所に上から覆いをかける。
シャッターが動かないよう、蘇我と古橋は自分の体をシャッターに押し当てるようにして固定しながら力を入れた。
もし爆薬が本当にあったとしても振動センサーがついていないことは推測できる。ゆっくりと、刃がはいり、切断された場所が広くなっていく。
膝くらいの高さまで切断すると、今度は横だ。
蘇我と古橋がかろうじて潜り込めるくらいの面積を切り取るためには、相当な苦労だ。
「……くっそ、正木の野郎。さっさと……」
「文句を言う暇があったら手を動かしたらっ、どうなんです?!」
額に汗を滲ませて、力いっぱい切り進んだとしてもやはり時間がかかる。藤枝はその間も、用意済みの状況説明を読み上げていた。
それも、もうすぐ時間切れになる。不安そうに振り返ったときに向けられる藤枝の目は、もうそろそろだと訴えていた。
「くっ……、あと少し……」
説明し終えたときの次の手も打ち合わせてある。ビルの中へと藤枝はカメラの坂手を伴って入っていった。出入り口を取材するために、SATは姿を隠し、警察官がさも自分たちが爆発物を解除しているようなぞぶりを見せている。
傍からカメラもいなくなっただけに、多少音がしても近くに人が来なければ気づかれない。
残りのシャッターを少し乱暴に切り抜くと、顔を見合わせた。
アサルトスーツを着たままで何とか潜り抜ける。
「……よし」
何とか中に入ることができた二人は、すぐにシャッター周りをチェックし始める。足場がなければ天井裏にあるシャッターの本体が確認できないとみると、一旦、奥にいるはずのリカや客たちの姿を見に向かう。
「わ……」
「きゃ……」
ようやく、警察らしき人物が中に入ってきたことで、客たちが声を上げかけた。それを古橋が両手を挙げて制する。
「しーっ!し、落ち着いて。我々は警察です。もう大丈夫ですから落ち着いてください。これから、皆さんが避難するための場所を確保します。もう少しだけその場所でじっとしてください」
いいですね?
ネゴシエーターの本領発揮というべきか、笑顔を浮かべて目力も強く客たちを説得する。浮足立ちかけた客たちががっかりした様子で再び腰を下ろした。
じっと蘇我達を見上げていたリカを蘇我が手招きする。
眉間に皺を寄せて立ち上がったリカは古橋と蘇我の傍に立つ。
「稲葉さん。ひとまず、無事でよかった」
古橋の気遣う声に、リカはわずかに笑みを浮かべて首を振った。
「これからどうするんですか?」
「あー……。廊下のほうは怪我人がいるらしいんだ。だからできれば、ここを出るのはビルの内側に出られるようにドアの爆弾を見てみる」
「でもここのドアは」
鍵が再び締められているといいかけたリカを古橋が片手で制した。ここに来る前、七海からプログラムの改ざんがあまりに多くてまだドアをプログラムで開錠することができないと聞いてきた。
代わりに開錠方法について、試す価値があることを聞いてきている。
プログラムは電源が供給されているから動いている。まずはその電源を断つ。そうなると、残りは物理的な開錠だけになる。
もちろん、起爆装置もこの電源からとっていればもっと話は早くなるが、それは期待が過ぎるだろう。
恐らくは携帯電話か何かを使っているだろうから、電源もそこからとっているだろう。
インカムに手を添えた古橋が基地局を呼ぶ。
「こちら古橋。基地局、基地局」
客の前を離れ、廊下につながるドアに移動した古橋と蘇我は声を落としてドアの様子を見ながら反応を待つ。
『こちら基地局。香椎だ。中に入ったようだな』
「隊長」
『こちらの準備はできた。いいか?』
「もちろんです」
インカムの向こう側のカウントダウンを聞きながら、天井を見上げる。
『三……二……一』
ふっ、と吹き消すように支店の中が暗くなる。
その中で犯人とメールを交わしていたPCだけがバッテリーのおかげで明るく光っていた。
SNSでつながった誰かが、メールを返していたはずだが、七海は初めの一通だけで、残りを誰が流したのかは知らない。オフィスを出た後は、ずっと基地局にいたから携帯から送ることはできなかったからだ。
「古橋さん」
光っていた画面に何気なく目を向けた蘇我が、未読のメールに気付く。
すっと近づいた蘇我が、素早く目を走らせて古橋を呼ぶ。蘇我の傍に近づいた古橋は、そこに残っていた履歴を見て舌打ちをした。
基地局だけではなく、ここからもメールのやり取りがあったことは今の今まで気づかなかったのだ。
「なんだよ、こっちには違う指示かよ……」
「これが……」
金のやり取りした後は、ドアの開錠の指示で終わったと思っていたからリカは見もしなかったが、いつの間にかもう一通、届いていた。
『どうも御馳走様。面白かったよ。爆弾は本物だから廊下に出たら怪我をしていたはずだ。残った君たちは賢明だね。それじゃあ、幸運を』
それまでのやり取りとは明らかに口調が違う。
モニターの画面を古橋が指で叩いた。
「正木の野郎。ふざけやがって、絶対近くにいるぜ」
「前の何通かとはっきり文体も違いますね」
「何がご馳走様だ、全部取り返すにきまってんだろ」
舌打ちをしながらPCの前から離れると、廊下に向かうドアの前に立つ。L字のドアノブに手をかけて施錠を確かめた。
電源が生きていれば、下ろそうとしても動かないノブが動く。ただ、物理的な鍵が締まっているからドア自体は開かない。持ち込んだ工具を手にして、古橋はノブの付け根からネジを回し始めた。
蘇我は、ドアの周りを丹念に調べた後、フロアの中を見渡して、踏み台するために、足の動かない椅子を運んでくる。長身とはいえ、蘇我であってもドアの上部にまで手が届くわけではない。
「どうだ?」
「……おそらく」
「ちっ、なんとかなるか?」
ドアを開けた時に爆発しない様に確認していた蘇我と古橋のやり取りが続く。しばらくして蘇我からOKだと言われた古橋がドアノブをそうっと取り外そうとした。
「……すみません」
背後で黙って様子を見ているはずだったリカの声に、ちらりと視線を向けた古橋は、その様子がおかしいことに気付いた。
外しかけたドアノブを手で押さえたまま、振り返った古橋につられて蘇我も踏み台にしていた足場から床の上に降りる。
「稲葉さん、どうかしましたか?」
「あの……」
その声に潜んだ動揺に気付いた蘇我の手が腰に差した拳銃に伸びた。
リカがびくっと何もないのに一歩前に出る。
「稲葉さん。こちらに」
「……」
蘇我が片手を差し伸べたにもかかわらず、リカは黙って首を横に振る。その後ろに立っていた宮原がリカにぴったりとくっついていることで蘇我も古橋も状況を飲み込んだ。
「……あんたもかよ」
小さく口の中で呟いた古橋は、半身をひねってドライバーを外したネジ穴に差し込むことでドアノブを固定する。
手が離せなければ状況に反応できないからだ。
「稲葉さん」
もう一度強めに蘇我が呼びかけると、リカは下ろしていた手をぎゅっと握った。
「……宮原さん。言いたいことがあったらこの人達に言ってください。今の私はカメラも手にしてません」
リカの背中には宮原が握る小さなナイフが向けられていた。指を添えて、先端が背中をちくんと突き刺すたびに、リカが一歩足を動かす。
「日本の警察がそれほど馬鹿じゃないとは思ってるわ。隠してたってどうせいつかはわかると思ったから、自分から動いてあげる」
「……おい。その手を下ろせ」
「下ろせと言われてすぐにわかりましたというくらいなら初めからこんなもの持って名乗り出ないわ」
ゆっくりと拳銃を向けた蘇我に間髪入れずに宮原は言い返す。
このフロアは、リカがカンペを差し出していたのだからカメラにもその様子は映っているはずだ。角度から行けばリカと宮原は背を向けているからよく見えないかもしれないが、何かがおかしいことは基地局も理解する。
『古橋。蘇我。どうした?何があった』
インカムに香椎の声が聞こえるが応じることができない。
古橋がドアから離れて諸手を上げて見せた。
「あんた。銀行の人だろ?名札は……、宮原さんか。俺は古橋だ。まあ、こんな場所で今危ないもの振り回すなや。な?ここを出てから言いたいことがあれば」
「ここを出たらただ捕まって、銀行はクビになって、刑務所に入るだけでしょ?真実なんて誰もわからないまま、いいように片付けられておしまいじゃない」
「真実!あんたのいう真実ってなんだよ。それもいわねぇで、こんなことしたってしょうがねぇべ。協力してる人らはまだいんのかもしんねぇけど、あんたら、本当にこの銀行吹っ飛ばして、後ろの人達にも怪我させたかったのか?」
大げさに驚いて見せた古橋に馬鹿にされたと思ったのだろうが、顔付を厳しくしただけで宮原はリカの肩を押さえて指先に力を入れた。
チクチクとした痛みからはっきりした痛みに代わる。
もしかしたら僅かに血が滲んでいるかもしれない。
リカの緊張と比例するように宮原の声が大きくなる。
「なんだっていいのよ。この馬鹿な世の中だって、皆、見てみぬふりをしてるけど、こうやって突き出してやったら目を逸らせないでしょ」
「馬鹿な……」
たかが、そんなことのために。
蘇我の目が鋭くなる。まだ金が欲しいからだといわれるほうがましな犯罪者だと思う。世の中がおかしいと知らしめるために、もっと愚かしいことをやるとは。
呆れかえった顔で蘇我は安全装置をかけたままハンマーを起こした。