Cry For the Moon 14(40~)

「馬鹿な……」
「宮原さん。それはおかしいです」

馬鹿な事を、と蘇我が口にしかけた言葉に思い切りのいい台詞が重なった。

背中にナイフを向けられているのに、手を下ろしたままで立っているのは屈しないという気持ちの表れだろうか。
リカがまっすぐ蘇我や古橋に顔を向けたまま、目だけが強く光る。

「誰だって理不尽なことの一つや二つ抱えてます。それでも、理不尽なことにもちゃんと理由があるんです」
「だからでしょう?あなたのような人にはわからないでしょうけど」
「誰かにはわかる、誰かにはわからないなんて繰り返してたらいつまでたっても変わらないですよ」

突如始まった女同士の言い合いに、古橋も蘇我も内心では天を仰ぎそうになる。
相手を興奮させないことは必須なのだがナイフを握っている方と向けられている方がやりあっていては手が出せない。

「それが思い上がりなのよ。あなたはTV局の人だからだけど、一般人は違う。目を向けられないなら目を向けられるようにしないと誰も知らないまま握りつぶされて終わりでしょ?」
「だからって、誰かを傷つけていい理由になんてなりません!あなただってそうじゃないですか。どうしてこんなことをするんですか?!捕まることもわかってて」

カッとなった宮原はリカの背に押し付けていたナイフを肩より上に振り上げた。

「きゃ……!」

こういう場ではコトが動くときは一瞬である。

素人のまして、女性を取り押さえることが難しいわけではない。ただ興奮して、思いもかけない行動に出ることが怖い。

背後には一般の客たちがいて、拳銃を構えたもののナイフを撃つことは危険すぎる。二人の言い合いの間にじりっと動いた蘇我がすぐそばの机に置いてあった電卓を掴むと、宮原の振り上げた手に向けて放った。

身をひねって宮原を振り返りかけたリカは悲鳴を上げかけてそのまま凍りつく。

「おいっ!!」

頭に手を伸ばした古橋に引き寄せられて、リカの体が斜めに傾いた。

「きゃぁっ!!」

倒れかかったリカが今度こそしっかり上げた悲鳴が響いた時には、その場の状況は決まっていた。

古橋に体を支えられたリカは膝をついていた状態から、引き上げられる。
蘇我に電卓を投げつけられた宮原は、握っていたナイフを蘇我に向かって投げつけると、机の間を縫ってロビーの方へと走り出した。すぐにその腕は蘇我に掴まれてしまう。

「離し……っ」
「犯罪者に性別の区別はない。お前はただの銀行強盗犯だ」

腰の定位置に手を伸ばして、掴んだ宮原の手に黒い輪をかける。
ただ、今は外に出るには蘇我と古橋がなんとか身を押し込んだシャッターの裂け目しかない。ドアを開錠して廊下にいるはずの怪我をした行員たちと共に外に出すつもりである。

「あんた、無謀っつーか、無茶苦茶だろうよ」

リカを引き起こした古橋は、隠すことなく呆れた声をあげた。

「あ……、ありがとうございます」
「だからっ!ありがとうじゃなくて……」

素で礼を言っている場合ではない。思わず諌めた古橋に、きっ、とリカは顔を上げる。

「他にいいようがないじゃないですか!それに無茶苦茶ってひどい!」
「あー、うるせぇ!蘇我!」

くい、と親指を立ててドアを示す。シャッターの外は藤枝が好き勝手にしゃべってつないでいるようだがそれほど時間があるわけではない。
頷いた蘇我は宮原の手に賭けた黒い輪の片側を掴んでぐるりとまわりを見回した。何かあっても問題がない場所とみて、客たちが集まっているすぐそばの、金を落とし込んだダストシュートの取っ手に輪をかける。

そこからドアまで急いで戻った蘇我は古橋がドライバーを刺して押さえている傍に立つ。

「時間がない。やるぞ」
「了解」

ドアにそれぞれ、強い吸盤を張り付けてそこについた取っ手を掴む。ぐっと力を入れるとドアが軋んだ。
顔を見合わせると、ゆっくり呼吸を合わせて掴んだ腕に力を入れる。

二人に一番近い場所にいたリカは、はっと我に返ると机に置いていたカメラに飛びついた。

「お客様……」

客がいる限り、店員も避難するわけにもいかず、何度目かの声掛けに正木はうるさげに振り返った。
懐に手を伸ばして、そのまま無造作にグリップを握ろうとして、その手が止まる。

ふっと、口元を歪めると、グリップを握るはずだった手が長財布を取り出す。

万札を差し出して立ち上がった。

「おつりはいいよ。粘ったからね」
「あ、ありがとうございます」

店員が頭を下げた目の前をすり抜けて店を出ると、商業ビルの中をゆったりと歩き始めた。
正木が立ち上がったところから様子を窺っていた速田たちは、慌てて仕切り代わりの植え込みの陰に身を潜める。ゆったりと歩いて行く後姿を見て焦れた一號が体を動かす。

「おい。神御蔵一號!」
「!!」

びくっと肩が跳ねる。

「……え、なんで」

見られるような位置にはいないはずなのに、大きな声で呼びつけられた一號は戸惑いを浮かべたが、その体が動くより先に速田に強く肩を掴まれた。

「動くな。一號」
「でも……」

足を止めた正木は、周りに残っていた店員たちが怪訝そうな顔を向けるのも気にせずにやりと笑いながら顔を横に向ける。

「いるんだろ?それとも、あっちに人手を割いてるから、こっちは心細くて出てこれませんってか?」
「……くっそっ!!」
「あっ!待て!一號!!」

安い挑発に簡単に乗ってしまうのが一號であり、瞬発力も申し分ないだけに止められないかと思ったが、一號の体が起き上がりかけてぐしゃりと沈んだ。

「……すみません。つい」
「……てぇ」

背格好が似ていると言われて、狙撃手である蘇我が中に入ったことを悟られないようにと、予備のアサルトスーツを着た大祐が、一號の足を見事に蹴り飛ばしていた。

その反射神経に目を丸くした速田は床の上に突っ伏した一號の頭を押さえつける。
正木の指摘は嫌味なほどこちらの動きを見透かしていた。

人手が割けないだけに、今は周囲を包囲するだけの警官隊がいない。ビルの中を非難させるために回っている警官たちが主で、とても正木に向かう相手ではない。

「ビルに残っている皆さん。早く非難してくださーい。あ……、あなたはお客さんですか?早く避難を……」

運悪く、横の通路から歩いてきた制服警官が何も知らずに正木に声をかけた。
表情も変えずに正木は懐に手を伸ばして、構えることもろくにしないままで乾いた音をさせた。

ぱんっ。

「わぁっ!!」

周りにいた店員たちも正木が何をしたのか見た、というより、警官が足を射抜かれて床に転がった瞬間を見た。

「きゃぁぁぁ!」
「いやぁぁ!」

女性が多いせいもあって、甲高い悲鳴と共にその場から離れていく店員たち。正木がいた店の店員は逃げ場をなくして調理場の方へと逃げていく。

「なっ……!」

突然の事に訳も分からず床の上でのた打ち回る警官に構う事もなく、退屈そうに拳銃を懐に戻す。
それでも出てこないなら別に構いはしない。
ここから出ていくだけだ。

大祐に一號を任せられる、と思った速田は拳銃を構えて正木が見える位置に移動した。

「そこを動くな!正木圭吾!」

一號を呼びつけたにもかかわらず、聞こえてきた声が違う。

「おいおい。俺が言ったのを聞いてるのか?」
「そこを動くな、と言った」
「その前に俺が呼んでやっただろう?神御蔵一號って。お前じゃねぇよ」

にらみ合いになるかと思った瞬間、無造作に腕を持ち上げた正木から避けるために速田は身をひねった。

ぱんっ、ぱんっ!

「行きます!」
「わかりました」

速田が狙われている、と思った一號は我慢できなくなって大祐の手を掴んだ。てっきり止められると思っていた一號の背中を大祐が押す。

「え……」

一號よりも素早い動きで物陰に身を隠しながら大祐は一號を振り返って手招きする。頷いた一號は、助走なしで一気に走り出した。

「正木ーっ!」
「よせ!神御蔵」

正木の正面に飛び出した一號を庇うように銃を構えた速田は、正木が腕を上げたもののぴくりとも動かないことに訝しく思う。
正木の視線が一號を通り抜けてその後ろを向いていることに気付く。

植え込みに身を潜めるようにして入るがはっきりとその存在は知らせるように、拳銃が向けられている。

―― いつの間に。

まるで蘇我がそこにいるかのように、鋭い目が正木を射抜いていた。

「……お前、誰だ?」

向けられた拳銃など気にも留めずに正木がほんの数メートル先まで近づいてくる。じりじりと身構えながら速田は片手で撃たれた制服警官に下がる様に指示を出す。

「お前だ。お前。神御蔵と一緒にいた奴じゃないな」

ほんの数回、しかも見かけただけの状態のはずが、正木は蘇我と大祐が違うことに気付いた。雰囲気も似ているし、背格好もかなり似ているはずの二人なのに、ほぼ初見に近いはずの正木は睨みつけた。

「あいつはここにいないんだな?……隊長は指揮をしてるとしてもネゴの奴もいない。狙撃手が対象を外すわけがない……」

呟いた正木は、くるりと身を翻して走り出した。

「待て!正木!」

すぐにその後を追って一號が走り出す。大祐は、血を流して床に転がっている警官の元へと駆け寄った。

「行ってください!速田さん!」
「すまない!」

応急手当てを大祐に任せて、速田も一號の後を追う。
エスカレーターの下りを、大股で駆け下りていく正木の後を追って、一號も転がる様にフロアを移動していく。

下に降りれば降りるほど、窓になる場所はなくなってくる。正木の向かう先が銀行に面した側だと踏んだ速田は一號に任せて途中の階で別なルートへと走り出す。

大きなガラスのウィンドウを押し開けて広い歩道に出た正木の後ろから一號が、そして脇の出口から回り込んだ速田が姿を見せた。

「正木!このあたりは警官でいっぱいだ!もう観念しろ!」
「……ふ。ふふふふ、あっはっはっは」

遠くの藤枝が実況をしているトラックの方を見ながら、正木は腰を折って笑い出した。
まだその手には拳銃が握られたままだから、迂闊に近づくことはないが、少しずつ距離を縮めていく。

「あーあ。やってくれるなぁ。今回は俺も面白いと思ったんだが、あんたらも面白いことやってくるじゃないか」
「……何を言っている」
「あの陰に隠れて爆弾解除してるんだろ?仕掛けがわかんないから時間稼いでるんだろ?」

ドアやシャッターに取り付けられた爆弾の解除は確かに時間がかかっている。裏手のドアに関してもドアの内側に爆薬があるとわかった時点で手が出せなくなっていた。

だからシャッターをこじ開けて先に中の人質を外に出してから解除する予定だった。

「面白いねぇ。誰のアイデアだか」
「面白くなんかねぇよっ!あんな……普通の人たちを巻き込みやがって」
「普通!普通ってなんだよとか突っ込まれたいのか?」

トリガーに指をかけたまま、ジャケットに手を入れた正木は携帯を取り出した。
指先で操作をしているのだから今の隙を突けばと思うのだが、なかなか踏み出せない。決して正木が万能だとも、強いとも思っていないつもりだが、どうしても足が動かなかった。

「怖いか?」
「何!」
「お前からすれば普通の人とやらがこうしてテロを起こすんだ。俺は何もしちゃいない。ちょっと話を聞いてやっただけさ」
「嘘をつけ!!」

かっとなった一號が拳を振り上げた。
その目の前にタイマーが表示された携帯を突き出される。

「後十分もないぜ?」
「なん……だよ、それっ!」
「さあて。あそこのどこかが爆発するぜ?」

拳がそのまま空をきって携帯を掴み損ねる。
踊るように下がった正木が笑う。

「これが今の世の中なんだよ!いつでも、誰でもテロリストになれるんだ。俺たちが特別なんじゃない。そこをお前らはわかってない」
「それは……っ」

ぐっと言葉に詰まる一號の頭に淡々とした声が飛んできた。

「誰でもテロリストになる可能性があるのと同じで、誰もテロリストにならない可能性だってある」

応急手当を終えた大祐がようやく追いついてきた。姿だけでもと似せただけで、正木と対峙するつもりなどなかったが、一號を押さえるという役所はまだ生きているという言い訳でここまで来たのだ。

「それを命がけで止めようとする人たちがいる限り大丈夫です」
「命がけでそれを邪魔してやるよ」
「その爆弾、止めてください。今ならまだ間に合います」
「間に合う?なんに?」

とん、とさらに後ろに下がった正木は携帯を手の上で弄ぶ。
大祐は一號のすぐ後ろまで近づく。

「今なら誰も亡くなってません」
「……ふ。は……、はっはっは!そうだな。死ぬならお前だ」

すい、と拳銃の先には一號の顔がある。
ターゲットは変わらないとばかりに眉間を狙う拳銃に速田が構えた。

その時、遠くのほうから甲高いエキゾーストに意識が向く。このブロックは封鎖されているはずだから侵入車両はないはずだった。

徐々に近づいてくる音に身構えていると、正木が携帯を放り投げた。一號の頭を掠めて大祐がそれをキャッチする。

「やるよ。お前に免じてな」

おどけたように胸の前に手を当てて、頭を下げた正木はそのまま車道の真ん中に躍り出る。
そこにタイミングを合わせたように黒ずくめのバイクが滑り込んできた。

正木のすぐ傍で少しだけ減速した後ろに軽々と飛び乗る。運転してきた人物の肩に手を置くと、ひらひらと手を上げた正木を乗せてバイクは再び走り出した。

「基地局!正木が逃走!封鎖ブロックにバイクが侵入、現在二人乗りで銀行方面に進行!」

耳に手を添えて速田はインカムに向かって叫ぶ。走り出しかけた一號の腕を大祐が掴んだ。

「無駄です!走って追いつけるわけがありません。それよりこれを……!」
「あ……。すみません。空井さん」
「先ほどの方は応急手当てをして、駆けつけてくださった警察の方にお任せしてきました」

携帯に表示されたデジタルの数字がどんどん減っていくのだから、気持ちは焦っているだろうが、早口で伝えた大祐より一號の方が慌てふためいている。
自分の手に託された携帯を見て、どうしようとおろおろしている一號に、大祐はさらりと告げた。

「何もできませんが、僕は向こうに行きます」
「えっ、あっ!」

それこそ、正木のように身を翻した大祐は、普段なら車が途切れることなく走っている広い道路をためらいもなく突っ切って、銀行に向かって走っていく。
速田は一號の手から携帯を取り上げながら、その後を追って走り出した。

投稿者 kogetsu

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