Cry For the Moon 16(46~)

びりびりとどこからともない振動が響く。
建物ではなく空間に伝わる音に驚く間もなく、今度ははっきりと大きな衝撃が届いた。

どーんという音と共に壁が崩れる。

その場にいた者たちが皆、はっとして身構えて振り返った。

「蘇我!古橋!皆、無事か?!」

崩れた壁越しに声が聞こえてきた次の瞬間、長い時間ただわけのわからない閉じられた時間が過ぎていた場所が本当に崩れた。

がらがらと、瓦礫を掻き出す音が続いて、崩れた大きな瓦礫が取り除かれる。

爆破された入り口とは反対側の壁が破壊されて大きく開いた穴から装備に身を固めた人たちがなだれ込んでくる。

「大丈夫ですか!お怪我をされている方は!?」
「ご気分の悪い方は!?」

次々と客たちに声をかけて、動けるものから表へを連れ出されていく。廊下にいて怪我をしていた行員たちの手当てをしていた蘇我と古橋は駆け寄ってきた警官たちの手に委ねてた。

「これ……、なんすか。マジでびっくりした」

一人、手当てができずに周りを見回していた一號は、何が起こったのかついていけずに目を丸くして呆然としていた。

最小限の埃にとどめるように計算された破壊から香椎が姿を見せる。

「一號!無事だったか。古橋も蘇我もご苦労だったな」

次々と連れ出されていく人たちを見ながら無事を確認してほっと息をつく。そこに、包帯を巻いた速田が姿をみせた。

「速田さん!無事だったんですね!その腕……」
「これだけだ。これだけで済んだのは……」

中に入ることができたのは警察関係者だけなので入れないでいた大祐が大きく開いた穴から中を覗き込んでいた。心配そうに中を覗き込んでいる大祐がいるにも関わらず、リカは警官の誘導に逆らって、撮っていたビデオを覗き込んでいる。

「あの人は?」
「怪我はない。もともと、膝があまりよくないらしくて少し痛めたらしいが、それだけだ」
「はぁ……。すっげぇ蘇我っぽいっすよね」

間近で大祐を見ていた一號だけに、その分現場の感覚をじかに感じ取っている。もともと、蘇我がいないことを隠すために身代わりをやってもらっただけだが、思いのほかその動き、身のこなしにまるで蘇我がいるような、蘇我よりももっと冷静な香椎がいるような不思議な感覚だった。

何の気遣いもない一號の一言に蘇我が眉をひそめて傍に立つ。

「蘇我とは違うが……」

やはり、只者ではない、という言葉を飲み込んで、無理やり話を変えた。

「中は無事でよかった。基地局からカメラの状況をきいて無事だとはわかったんだが、そのあとお前たちの姿が見えなくなっていたから心配していた」
「ドアの起爆を回避して、廊下に出られるようにしたんですよ」

蘇我が、とどこか自慢げな一號にますます蘇我の眉間が深くなる。

「起爆を回避しただけで、道具もなくて解除できていません。SATの処理班を呼んでください」
「もう手配してある。建物内の爆発物をすべてチェックするようにな」

速田の手配に隙があるはずもない。中にいた人々が外に連れ出されていくのと入れ替わるようにヘルメットに機材を抱えた処理班が入ってくる。

その処理班に、ついに連れ出されそうになったリカが突然動いた。

「稲葉さん?!」
「……!」

止める間もなくビデオを真剣な顔で眺めていたリカが、蘇我と一號がはずしていたドアに飛びついた。
腕を掴もうとして空を切った手をそのままに蘇我が駆け寄る。

垂れ下がっていたイヤホンのコードをリカは力いっぱい引っ張った。

「馬鹿……っ!」

とっさにリカを抱えて自分の体でかばおうとした蘇我は来るべき衝撃がこないことに訝しげに振り返る。
同じく、その様子を見ていた男たちが一瞬、身構えたものの予想した爆発がないことで目を丸くした。

「やっぱり……。蘇我さん!ここにもし本当に爆弾が仕掛けられてるとしたら」

それはリモート操作ができるはず。

そういいかけたリカは、顔を上げて壁に開けられた穴のほうを見た。そこには、連れ出された人質の中にいた一人で、イヤホンを差し出してくれた若者が覗き込んでいた。

に、とその口角が上がったのをリカの視線を追った蘇我がその場から少しでもリカを押しやりながら覆いかぶさる。
蘇我の動きを見た一號は、処理班が持っていた爆発を避けるための強化プラスチック製の盾を奪い取って蘇我とリカをかばうように飛びついた。

ぴかっ

間近での強烈な爆発に感じられたのは強い光があったことだけだ。

きーんと耳鳴りがして何も回りの音が聞こえない。まるでサイレント映画でも見ているかのような気がした。
リカ自身は長身の蘇我と一號が覆いかぶさってくれたから、怪我はなかったが爆風で叩きつけられたような感覚で目は開くものの朦朧として何も考えられない。

「……」
「……、……」

蘇我と一號が何かしゃべっていることも聞き取れない。そのうち、視界がぐらりと揺らいでそこから意識が高いビルから突き落とされるように何もわからなくなった。

「……無茶をする」

どこかで聞いた。低い声が深い底の中から浮かび上がってきた意識をさらに引き上げた。

「すみません。ご迷惑をおかけしました」
「いや、あなたには随分手を貸していただきましたから、謝っていただくには。それに、彼女の……稲葉さんのおかげで我々も助かったようなものですから」

ふ、とかすかに誰かが笑った気がする。
話が気になって目を開けたリカの目に、表と裏のような大祐と蘇我の姿が映る。

蘇我のほうが立っていた場所からリカが目を開いたことに先に気づいた。その視線に大祐が振り返る。

「目が覚めた?どこか、痛いとか具合が悪いとか、ある?」

長い、長い時間のあとに何が起こったのかわからないくらいあっという間の出来事が続いて、いつまで続くのかと思っていた時間は唐突に途切れた。

「……え……?大祐さん?」
「うん。リカさん、落ち着いて。もう大丈夫だから」
「……何が。あ!!」

がばっと起き上がったリカは痛んだ頭に手を添えた。
ずきずきと痛むのはどこかにぶつけたからなのか、途切れ途切れの記憶に痛む頭を押さえる。

「あの時、何が……。あ、大祐さん無事だったの?」
「ああ。うん、藤枝さんたちと一緒にね。一応、病院で見てもらったけど、藤枝さんも坂手さんも大津君も無事だよ。今は阿久津さんと一緒に編集作業で局に戻ってる」

黙って二人のやり取りを見ていた蘇我は、ふ、と視線をはずすと大祐に向かって頭を下げた。

「この度はご協力ありがとうございました。このあとしばらくはお話を伺わせていただくことがあるかと思いますが、お約束どおりあなたが関わったということは一切記録には残しません」
「ありがとうございます。できる限りのご協力はさせていただくつもりです」
「こちらこそ。強引にお願いしたのは我々のほうです」

どちらの礼も見ている方が惚れ惚れしそうな美しいものだ。
礼を交わした後、蘇我はリカに視線を移す。

「稲葉さん。あなたにもお話を伺うことになります」
「わかりました」
「ひとまず今日はこれで帰ります」

そういって蘇我は頭を下げると病室から出て行った。緩やかな横開きのドアが閉まって、ベッド脇にいた大祐は傍にあった見舞い用の椅子にどさっと腰を下ろした。

手を伸ばしてリカの手を掴む。

「無事でよかったよ……」
「大祐さんこそ……。あの爆発でてっきり」
「ちょっとね。俺は膝をまたちょっとやっちゃったけど、たいしたことない」
「どうして無事だったの?」

それど頃じゃないだろう、と苦笑いを浮かべた大祐は、ベッドの上に座ったリカの傍に移動する。

「リカが無事でよかったよ」

ぎゅっと病院着のリカを抱きしめてその肩に額を乗せる。しばらく、そうしてから大祐は自分が知る話をリカに話した。

爆発が起こると知った後、走り出した大祐はシャッターの隙間を隠すためにわざと実況を続けていた藤枝と坂手の傍に走った。身を屈めて近づくと藤枝にタックルするようにトラックの間からその向こう側に引きずり込んだ。

爆風でトラックが打ち倒されることも考えて、正面を避ける。
追いついた速田が坂手と大津を連れてかろうじて陰に滑り込んだ瞬間、強烈な爆風が襲ってきた。

正面のトラックはモニター代わりにサイドハッチを開いていたために、まともに爆風を受けて横倒しになったが、脇のトラックは大きく揺れるだけでかろうじて倒れずにすんだ。

その足の速さに速田さえ舌をまいた。

ほとんど一瞬といえるくらいの動きに驚いたが、藤枝を引きずるようにして滑り込んだあと、膝を痛めてしまい、動きようがなくなる。
そこは藤枝と坂手が手を貸してくれて、その場からなんとか離れることができた。

「……そう」
「リカの話はもっと長いね。ただ、最後、香椎さんが壁に穴を開けるってなって、そのあとすぐに皆助け出されたのにどうしてリカは出てこなかったの?」

あの時、リカもすぐに外に出ていれば爆発に巻き込まれずにすんだはずだ。

「う……ん。なんか、すごくへんだなって思って。何がってうまく言えないんだけど、なんで爆発しなかったんだろうってずっと気になってたの。それに、壁を破って済む話ならもっと早くそうしていたんじゃないかなって思ったらやっぱり、あのドアの爆弾には違う仕掛けがあったんじゃないかって」

テロリストが何を考えるのかなんて、大祐にもわかりはしない。
だが、訓練の中では敵がどう動くのか、考えることを叩き込まれている。

その大祐にもリカが何をみて、何を感じたのかまでわからないだけに、どうしてそれに気づいたのかまではわからない。

「そうか。それはあの人たちに説明したほうがいいのかもしれない。でも今はもう少し休んで」
「でも、局に戻らないと」
「それは明日でも大丈夫だよ。昨日からずっとリカは眠ってたんだから。今、先生がくるし」
「昨日?じゃあ、1日眠ってたってこと?」

意識をなくして、病院に運ばれたあと、検査をされてひとまず大丈夫だろうということで、薬を与えられたまま眠っていたのだ。

「阿久津さんからも伝言。ちゃんと医者の許可がでてから出社すること、だって」
「う……」

にこっと笑みを浮かべてはいるが、大祐が静かに怒っていることにようやく気づいたリカはうなだれてしまった。

この事件ででた逮捕者は、七海、宮原、そして宅配便を手配したものやSNSで繋がっていた中で判明したうち、実際に手を出した何名か。
実際に手は出していなくても、関わりのあった者たちのほとんどが上げられている。

それは、正木対策として藤枝たちが偽の実況をしたおかげでもあった。

近隣のエリアに勤めているものたちがそもそもの出会いだったわけで、避難命令だけでなくあの実況を聞いた者たちは、一度は消したSNSのアカウントではあったが、互いに不安を覚えてもう一度連絡を取り合ったからだ。

愚かだと正木は今頃笑っているだろう。

だが、肝心の正木はSATの包囲網をすり抜けてまんまと逃げおおせたらしい。

「外にいる人たちと連絡が取れたのはよかったですけど、中と連絡が取れないのに壁を壊すなんてよく……」
「インカムが使えないとわかった時点で、中にもまだ仲間がいると思った。だから、まだ爆発させる気があると思ったんです」

表にでた速田と一號から状況を聞き取った香椎はなかにいる人質と行員を助け出すことを急いだのだ。
最後に残した爆発の規模が小さいとは思えない。

今、リカは香椎と地下のNPSの部屋ではなく、裏手の特殊車両が出入りする入口近くにいた。
煙草を吸う香椎の傍で中にいたリカにはわからなかった色々な状況を聞いている。

警備会社の人間が関わることは想像に難くないが、それが女性であること。そして、他にも関わった人たちのほとんどが女性だったことには多少なりとも警察側にも驚きはあったらしい。

「正木たちが実際に武器の手配や、爆弾の設置、それに、最後の爆発に関してもコントロールしていたのは確かです。ですが、彼女たちの罪も決して軽くはない」

一番、事件の理由らしい理由を語ったのは宮原だったが、七海にせよ、思いは同じだ。どれほど頑張っても認められないこと、男性社会への不満。
そういったものを事件を起こすことで世の中にも知らしめたい。
そして、本当なら被害者といっても、多少の怪我程度で、行員相手の憂さ晴らしレベルだけなら、完璧な計画をたて実行した自分達の実力を見せつけることもできる。

そう思っていたらしいが、結局のところ、正木に利用されたに過ぎない。

「正木、とおっしゃってましたね」
「ええ。報道できませんが、正木圭吾という国際テロリストです」
「国際テロ……。そんな人がなぜ?」

なぜこんな事件にかかわったのか、なぜテロを起こすのか。
海外のテロ事案であれば、宗教や政治、民族問題など、根深いとはいえ、そこに争いがあることは世界中でも認知されている。
だが、この日本で、その必要があるのだろうか。

ふ、と煙を吐き出した香椎はビルの陰にはなるが、空を見上げた。

「難しい時代だから、じゃないでしょうか。日本は特に一見、平和に見える。平和に見えるが、きれいな箱を開ければ彼女たちのような日常的な問題を多く抱えている。そして、当事者以外は皆、見て見ぬふりをすることにも慣れきっていて、誰もが対岸の火事だと思っている」

ニュースで伝えられる貧困も、どんな事件も、なにもかも。
ゴシップ記事のように話題になった待機児童の問題が国会で話題になったとしても、本当に大事な根本の議論には光が当たることはない。
税金にせよ、なんにせよ、議論はされていてもそれが人の目につくことはほとんどない。

対岸でいくら火の手が上がっていたとしても、いざ身近にならなければ人々はその事態に気付くことさえない。

「そういう、誰もが目をそらしていることを突き付けたかったんじゃないでしょうか」
「突きつけるって……。それに何の意味があるんですか。突きつけられても、それを議論するべき立場にさえない人にはどうすることもできないし、それよりも毎日のことで精一杯じゃないですか」

半ばあきれたようなリカの口調に少しだけ間を開けて、香椎は短くなった煙草を消した。

「私は、決して正木のようなテロを肯定するわけじゃありません。ですが、稲葉さん。あなた方マスコミも同じじゃないでしょうか。議論するべき立場ではない人達にむかって、こんなことがあった、こんなことが起こっている。そういう情報を日々突きつけているわけです。それと何の違いがありますか?」
「それは!全然違います。私たちは、いえ、私はマスコミの代表じゃありませんけど、視聴者の皆さんが必要な情報を」
「必要かどうか判断するのは誰ですか?」
「それは……」
「それは?」

こんな理不尽な世の中だと突きつける手段が、テロかどうかだけで、目を背けている現実を突きつけることに差はない。

香椎の言わんとすることに答えられないのは、リカも報道に身を置いたことがあるからでもある。
言葉に詰まったリカを責めるわけでもなく、淡々と香椎は続けた。

「それでも稲葉さんが我々NPSを取材してくださったことに意義はあると思います。本来なら、特殊部隊の人間が顔をさらすことは捜査上でもリスクが大きい。現場ではリスクの方が多いともいえる。だが、正木とは逆に彼らのような国際テロリストだけでなく、誰もが凶悪犯罪を引き起こす時代になった、ということと、それらの犯罪に手を染めようとしても我々のような特殊部隊がいる。その抑止効果を広めることは出来ます」

オリンピックを控え、諸外国からはそれでも足りないという声が上がることもわかってはいたが、このぬるま湯に浸っていた日本にいきなり、海外のような軍隊レベルの組織を維持することは難しい。

どうしても偏った思想をもつものが現れて、その動きを正しくない方へ呼び寄せようとするだろう。
正木の背後にいる彼らのように。

肺に残っていた最後の煙を吐き出した香椎は、リカに向かって手を差し出した。

「まだ今回の事件では解明できていないこともたくさんありますので、ご協力をお願いすることもあるかと思います。それはそれとして、取材、最後までよろしくお願いします」
「こちらこそ。藤枝の調整がつきましたら改めてインタビューのお時間をお願いします」
「もちろん。ああ、是非今度は帝都テレビの皆さんとの懇親会を」

そういって破顔した香椎にリカは即答する。

「懇親会は構いませんが、女子アナは紹介しませんよ」
「あっ、いや……まいったな」
「もちろん、合コンもありませんがそれでもよろしければ」

先手を打ったリカにひきつった顔を見せる。このあたりは空自で散々鍛えられた。
にっこりと笑みを浮かべたリカの手を握りながら香椎はそれから、と続ける。

「稲葉さんのご主人、もし、今のお仕事をやめられるようなことがあれば、いつでもスカウトにいきますと、お伝えください」
「え……」
「決断の早さ、身のこなし、判断すべて、即うちに来てほしいくらいです」

まあ、それはないだろうと言っている方も、聞いている方もあるはずはないと思ってはいるが、人生いつ、何が、どこで起きるかわからないということを身に染みてもいる。

「わかりました。伝えるだけは伝えますけど」
「ええ。答えはその時が来たら聞かせてください」
「はい。じゃあ、また日を改めてお伺いします」

握っていた手を離すと、香椎のあとについて一階出口に続くルートへと向かう。
スーツ姿の香椎に送られてリカは入館証を外して歩き出した。

思いもかけず事件に巻き込まれたリカもどこか対岸の火事のように思っていた。NPSの取材を始めた時は一般市民に安心を伝えるなどと言っていたが、実際にその場になればそれどころではない。
関係のない人達にすれば、これも日常の中に埋もれていく小さな出来事の一つになるかもしれないが、事件を起こした彼女たちも、その背景も、それを止めたNPSやSATの事もこのまま終わりにはしたくない。

目に見える事件としての形は終わっても、まだ何も解決などしていないのだ。

今までと変わらない景色の中へとリカは戻って行った。
不自由で理不尽さばかりの世の中で自分が伝えられるものを伝えるために。

——END

 

 
長々とお付き合いいただきましてありがとうございました。
なかなか更新できなかったので、早くおわれ~と思われた方もいらっしゃったかもしれません。すみませんすみません。

少しでも楽しんでいただけていれば幸いです。また、他のお話でお付き合いいただければと思います。
ありがとうございました。

投稿者 kogetsu

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