一階の行員達がいる側の防犯カメラに誰かが動いていた。
『これが見えていますか』
カメラに向かって手書きのボードを差し出している姿が見える。テレビ局ならカンペだというところだろうが、何度も二つの短い文が映っていた。
「……っ!」
思わず息を飲んだ中丸の脇をすり抜けて七海に大股で近づく。古橋と七海の間に立った香椎はわずかに背を丸くしてモニターを指差した。
「七海さん。この、この画面だけ大きく映せますか」
「え、ええ」
つられた七海もモニターの中の様子に驚きながらキーボードを叩く。それまで解錠するために表示させていたプログラムを裏に回して、モニターを操作する画面を表示させた。
「やだ、嘘……。見えてるかどうかもわからないのに?」
カメラの向こうに、もし、この事態を仕掛けた相手がいたらどうなるかわからないというのになんて大胆な行動である。
そして、思わず呟いたのは七海だけではなかった。
……できるか。
七海は耳元を掠めた一言を聞き逃したが、じっとモニターを見ていた香椎は、しばらくして改めてそのカメラが動かせないか、と言った。
「七海さん。あのカメラ、動かしたいように動かすことはできますか?」
「え、……たとえば?」
「こう、頷くようにカメラを振れませんか」
手首を曲げておいでおいでをするように動かした香椎を見て、七海はやってみます、とパソコンに向かう。簡単に決まった操作ができる画面から、特殊な操作を手動で行うための画面に切り替えた。
カメラを見ながら、自動的に左右に振っていたカメラをカンペを差し出す女性に向ける。素早い動きはもともとカメラにはできないが、ゆっくりと香椎の言うような動きに近づけてカメラを動かす。
モニターに映った向こう側が縦に揺れて、カンペを差し出していた女性がその動きに気づいたようだ。
手にしていた紙を脇に放り出すと用意していたらしい、違うメッセージが見えた。
『こちらは男性が九人、女性が十一人』
『行員一人、警備員二人、他は一般の方です』
傍にあった紙を引き寄せた古橋がボールペンを掴んで走り書いていく。
その手が止まるのを待って、もう一度七海に今度はカメラを左右に振らせた。ゆっくりではあるが、自動で動いていたときとは動きが違う。
はっきりとわかったのだろう。
次は行員が何名か廊下に出たと書いてある。そのドアは今は閉じられていて開かないらしい。
「隊長!こっちからどうにかしてこう……、なんか伝えられる方法はないんですかね」
「それをこれからやる」
香椎は中丸を振り返った。いいですよね?と振り返った強い眼に中丸は応えずに、無線を掴んだ。
「爆発物処理班。こちら中丸だ。爆発物の解除を急げ。こちらも動く。相手の動きが読めない分、十分に注意するように」
『了解!』
無線をきった中丸がSAT隊員たちを振り返る。
「これから、SAT、NPSの共同作戦を始める!大至急、街頭用の宣伝トラックを用意しろ。それから香椎」
「なんでしょう」
「一人で責任をとろうと思うな。これは共同作戦だ!」
ふっと間をあけてから香椎は、わかりました、と頷いた。
「お願いできますか」
指示を受けた速田は、帝都の取材車の中で藤枝と坂手に向かって説明を始めるにも狭いと言うことで、取材車には大津に残ってもらって、一度指揮車のほうへと移動していた。
香椎の作戦はあまりに無茶というか、奇抜な策に聞こえる。
「本気ですか」
呆れた声を出したのは藤枝だ。さすがにそんな真似をしたことはない。
黙ったままの蘇我も正直なところは、正気かと疑うところでもある。
「そんなことで本当に何とかできるんですか?」
「わかりません。ただ、うちの香椎はいけると踏んでます」
聞き様によっては盲信にも聞こえそうだが、本気でそう思っているようだ。
「もう一度確認しますけど、これから銀行に近づいて、カメラを回しながら支店に近づくんですね?」
「ええ。報道協定を結んでいますが、これから撮影するデータに関しては、各局にも提供していただくことで、他の報道各社には納得していただきました」
すでに、宣伝用のトレーラーを手配するのと同時に各報道機関と調整に入っていた。帝都には、特権取材を行うが後に、その他の各社には編集前の素材を提供することで双方に納得してもらった。
ともすれば劇的な瞬間までおさめることになる。カメラマンの腕と、藤枝と、帝都取材チームの腕の見せ所だ。
「それをこのあたりに止めたトレーラーで映し出す。LIVEですが、もし映してはまずい画になった時はどうしますか」
「そこはご相談です。ここにいらっしゃる方達で対応は可能なんでしょうか」
編集するなら時差も生まれるし、違和感のないように編集する腕も必要になる。また、加工するならそれなりの機材も素材も必要だ。中継であれば一旦、カメラを戻す先があるが、LIVEとなるとその先がない。とりあえず差し替えられる画が必要になる。
眉をひそめた藤枝は、坂手と大津に委ねることにした。
しばらく打ち合わせをした後、ようやく見えてきた可能性に藤枝と坂手が頷く。とにかくこんなことは、やったこともなかったが、どこまでできるかもわからないとはいえ、マスコミの人間としてはありえないくらいの貴重な経験でもある。
「速田さん。これが終わったら、必ずもう一度取材させてくださいね」
ぴっと指先をたてた藤枝の不遜な笑みに一瞬、目を丸くした速田はゴーグルをあげて笑って見せた。
「是非。稲葉さんと一緒にいらしてください」
「必ずですから」
「もちろんです」
腕を組んでいた蘇我が指揮車の後部ドアに手をかけるのを合図に、話は動き出す。
速田は、香椎のインカムを呼び出した。基地局の動きと指揮車の動きを連動させる必要がある。追加で手配が必要なものの調整を進める傍らで、蘇我も動き出した。
密着取材のはずが、実際の事件を取材することになるとは誰も思っていなかったはずだが、何が起こるかわからない。
爆発物処理班がドアに設置されていた爆発物は結局ドアの開閉による仕組みは解除できたものの、爆発物自体はドアの内側に仕込まれているらしく、ドアを開けて解体しなければ爆薬自体ははずせないことがわかった。
「シャッター周りもおそらく同じだろう。最近修理やメンテナンス、工事を行った記録がないか調べろ」
ドアすべてのメンテや工事となればそれほどわかりやすいものはない。
だが、これだけの仕掛けをした相手は、やはり只者ではなかったようだ。
「おそらくなんですが、2ヶ月ほど前に、法定点検のために、全館停電になっている日が一日あります。それ以外では、シャッター周りについてはそれらしい工事などはありません。内側のドアに関しては」
報告していたSAT隊員が言葉を切って、すぐ傍にいる七海を睨みつけるようにしながら口を開く。
「帝都警備の定期メンテナンスが半月ほど前にあったようです」
びく、と、社内にあるデータを追いかけて差分を探していた七海の手が止まった。
「帝都警備か」
体の向きが変わったことがその声音の聞こえ方で七海にもわかる。顔を上げると古橋と目が合った。
「し、知りません!私はそんなこと知らないし、いつ……!」
「んー、アンタ、ここの銀行の、しかもこの支店の担当なのにメンテがあったの知らないっつーことはないんでね?」
「知らないものは知らないです!会社に行って調べてもらえばそんな記録がないことは」
すぐにわかるはず。
だが、ひらりと背後でかわされていた一枚の紙は出力されたスケジュール表だ。
「ここに、あなたの担当のスケジュールがある」
ばん、と中丸が七海の目の前の長机にその紙をたたきつけると、まさかと思いながら視線を走らせた七海に動揺が走る。
自分が席を離れるまではそんなスケジュールにはなっていなかったのに、今印刷されたそこには見知らぬメンテナンスのスケジュールが書かれていた。
慌てた七海は目の前のPCからつないでいた自分の端末を叩くとそこには過去の更新日付で間違いなく記載されている。
そんな指示を出した覚えもなければ、データも書き換わっていないはずだが、その履歴だけを見ると七海が疑われるには十分な内容だ。
そんなはずはないと、メールボックスやデータの更新日付だけでなくセキュリティシステムのデータを見直すと、更新者がいつの間にか七海になっている。
「えっ……!?そんな……さっき見たときは」
すっかり顔色が変わった七海に中丸が畳み掛ける。
「電子データとはいえ改ざんしても改ざんしきれないものもあるんじゃないのか」
「そんなはずはっ!だって……」
だって、あの時。
Mは七海には疑いの目が向かないようにすると約束していたはずだ。そして、実際にいつプログラムを書き換えられたのかもわからないようになっていたし、何をどうしたのかも七海は知らない。
万一のために基地局にきて作業を開始する前に、自分でも自分が手を貸していたのではないという証拠のためのスクリーンショットを残してある。
デスクトップに残るスクリーンショットを表示させようとした手を大きな手に掴まれた。
「待って!待ってください。私じゃありません!私は知りません!その証拠にここに……」
「信用できるか!!」
至近距離で怒声を聞いた七海はびくっとその身を竦める。
たとえ、どれほど責められようと揺らぐことなどないと自信があったはずなのに、その自信はいまや粉々に砕けていた。
初めにこの部屋に入ったときから、SATの荒っぽい面々を前にしても堂々としていた七海の態度が今は影も形もない。掴まれた腕を離そうと、もう片方の手で中丸の手を引き離そうともがく。
「違!私は何も知りません!!」
強引に立たされた七海が必死で叫んだ。捕まってしまうとか、仕事がとか、頭の中には次々と雑多なことが浮かんでいたが、一番頭を占めていたのは恐怖だった。
足元からすべてが崩れ去りそうな恐怖。
初めは、仕事もできないのにいつも見下してくる社員や男性たちへの意趣返しのはずだった。
彼らに貶められたときよりも何よりも、今は恐ろしくて逃げ出したかった。
無意識に逃げようとしてしまう七海をSAT隊員たちが取り押さえようとする。その間に割り込んだ古橋が七海の肩を掴んだ。
「落ち着けって。今すぐどうにかしようなんて思ってねぇよ。それより、今は協力してくれや」
中丸の手からも七海を取り返した古橋は、ネゴをするときの体勢に切り替えて、七海をもう一度椅子に座らせた。
「聞いてください!絶対、私は知らないから!」
「わかったって」
半ばパニック気味の七海を宥めるように両肩を力強く叩いた。大きく息を吸い込んだ七海に古橋は、PCを指差す。
「いいか?あんたの話は後でゆっくり聞くから。今は中にいる人たちを外に出したい。わかるよな?」
わざと噛み砕いた言葉でゆっくりと言って聞かせると、ふっと縮こまっていた七海が力を抜いた気がした。
「でも……、本当に何がどうなってるか知らないのよ。私がやったわけじゃないし」
「じゃあ、あんたが知ってるのはなんだ?それを教えてくれや」
「……何も。本当に何も知らないのよ。ただ、何かをするってことしか知らなくて……。さっきの銀行の人たちが怪我をしてたけど、あれだって知らなかったのよ」
さらに口調を和らげた古橋は、七海の肩に手を置いたまま覗きこむ。
「何で知った?」
「……SNSで」
「何でそれに繋がった?あんたの知り合いか?」
ぐっと言葉に詰まった七海に、強く迫ろうとする中丸を香椎が制した。
「待ってください」
「待ってられるか!この女が知ってるなら全部吐かせるまでだ!」
「今は救出が先です!」
不安げに目を泳がせた七海が古橋を見上げると、笑みを浮かべた古橋が頷いた。
出会いのきっかけ、そして繋がりをもったわけなどを口にした七海の話を聞いて、ざわっとその場が揺れる。
「“M”?その男はMと名乗ったんですね?」
古橋の話に初めて香椎が割り込んだ。
「あの……、よろしいですか?」
じっと黙っていた空井が口を開いた。速田はなぜか藤枝と坂手だけでなく、空井も指揮車に招いていた。
「自分、いえ、僕にも何か用があるんですか?」
何ができるのかわからなかったが、呼ばれたにはわけがあるはずだ。公的な立場で動けるわけもないが、それをのぞけば一介の民間人でしかないはずの空井である。
「稲葉さんのご主人には」
「……空井です」
ほのかに苦笑いを浮かべた空井に、丁寧に速田は侘びを口にする。“稲葉さんのご主人”といわれることが嫌なわけではないが、やはり違和感はある。少し前であれば舞い上がるように嬉しくて仕方がなかったくらいだが今はそんな場合ではない。
「空井さん。先にいくつかお伺いしますが、カメラに映ることはできますか?」
立場を慮ってのことだということはすぐにわかる。
「状況によります。正直あまり自分からこういう場面でカメラに映ることがいいこととは思えません」
「……なるほど」
頷いた速田からいくつか問いかけられた後、空井は否でも是でもなく、当たり前のように話を進め始めて速田のほうが慌てた。
「いや、あの、空井さん」
「はい?」
「いいんですか?」
「何がです?」
きょとん、とした空井に速田は言いよどんだ。お互い様だが立場による自身への縛りがある。だが、空井はまったく迷いがないように見えた。
「今はそんな時間はありませんよね?話を進めましょう。駄目なものは駄目ですが、そこははっきり言わせていただきますので、お気になさらずに」
は、と速田は呆れとも驚きともつかない息を吐いた。
「いつもそうなんですか?少しも迷いがないと言うか」
「……その話もすべて終わってからでいいでしょうか」
「了解しました。じゃあこちらに」
促された空井は、黙って立っていた蘇我とともに指揮車を降りた。
手配が完了した宣伝用の大型トラックが銀行の支店を覆うように五台配置された。これで何をしようというのか、周囲のビルにいて、かろうじて非難しなくてもよかった人々は窓際に張り付いていた。
サイドパネルをゆっくりと開いた各車のパネルが高層ビルからの視線をさえぎる。そこに特殊な素材のシートがかけられていき、そこにカメラの映像が映し出されるようになっていた。
トラックには最新式の音響設備も整っている。
ざざっと音がしてモニターに銀行が映った。
トラックが囲い込む内側も外側にも同じ映像が映って、ざわざわと音が流れ始める。
SATもNPSもすでに配置を完了していた。
準備が整ったところで、マイクを握った藤枝が移りこんだ。
「帝都テレビの藤枝です。ただいま閉鎖されている帝都銀行内橋支店の前に来ています。こちらは今、シャッターの故障ということで中とは連絡が取れなくなっています」
シャッター越しでもその音声は届くはずだ。
基地局では中の監視カメラをチェックしながら身構えている。
シャッターに近づいた藤枝は、こんこん、とシャッターを叩いた。
「中にいる稲葉ディレクター、こちらの声は聞こえますでしょうか。稲葉さーん」
監視カメラのほうには表の音に驚いた客達が映っている。いきなり名前を呼びかけられたリカは、監視カメラを見てからシャッターのほうを振り返った。
―― まさか……
さっきからカメラが普通とは違う動きをしていることはわかっていた。カメラの向こうで誰かが、もし、見ていてくれるのかも知れない、と思っていたところにいきなり外が騒がしくなった。
「ねぇっ!これ、呼んでるの、あんたじゃないの?」
客の声を聞いてリカはカメラに向けていた紙を放り出した。駆け寄ろうとしたリカの先にたって宮原が中とカウンターの外をつなぐドアを開ける。走り出たリカは声のするシャッターの前に立った。
こんこん、と叩く音は高い場所からするが、もう一箇所、足元の低い場所からこんこん、と叩く音がする。
ガラスの自動扉を無理矢理、手で押し開いたリカはわずかだけ開いた隙間からシャッターに手を当てた。手のひらに振動が伝わってくる。
振動はずれてやはり下のほうからも叩かれている。
「稲葉さーん。ああ、ちょっとシャッター越しなので聞こえづらいため私が変わりにお伝えしましょう」
リカが何かを言う前にそんな大きな声が聞こえてくる。この直後にもう一度足もとから叩く音が響いた。
すっと膝をおって屈みこんだリカは、叩かれているらしい場所を小さく叩く。
「……稲葉さん。そこにいますか」
「っ!」
「小さく応えてください。NPSの蘇我です」
「……はい。います」
モニターに映し出される藤枝の姿は胸から上を写していたが、カメラに映らない足元にアサルトスーツ姿の蘇我が屈みこんでいた。
「中に犯人らしき人物はいますか?」
「いいえ。あの、監視カメラは」
「みています。助かりました」
あなたが聡明な人で。
声がそのまま続く。
「そのままで聞いてください。これからこのシャッターを破ります。万一、爆薬が爆発した場合を考えて全員を移動させてください」
「わかりました」
「これからすぐに。用意ができたらもう一度シャッターを叩いてください」
了承の変わりにリカはこん、とひとつだけシャッターを叩いた。