めったに用事もないので立ち寄ることがない区役所はそんなビルのど真ん中にあって、本当に24時間受け付けてくれるようだった。当然ながら土曜日なので正面は閉まっていたが、警備員の詰め所らしき窓口に近づくと、すぐに察しがついたのだろう。
区役所の茶封筒を指さされた。
「届け?」
「はい。結婚届を」
問いかけながらも男女がそろって姿を見せるとなればほかにはなかなかないのだろう。にこやかに、大祐が茶封筒に急いで押し込んだ届を手にした警備員はおめでとう、と言ってくれた。
「お幸せに」
「ありがとうございます」
きっちりと頭を下げた大祐とリカは再び手を繋いでその場を離れる。
「なんか……」
「はい?」
「すごいあっさりしてるんですね」
「まあ……そうですね。でも届け出なんてそんなもんじゃないですか?」
実感はなくても入籍したのかということにふわふわした気持ちのリカは、妙に現実的な大祐を残念そうにちらりと見た。
男性はそんなにうれしいものじゃないのかしらと思っていると、近くにある大きな公園にぐいぐいと連れていかれる。
「空井さん!どこいくんですか」
「稲……リカさん。だからもう、あなたも空井さんなんですってば」
「わかってますけど、そんなすぐには……」
いきなり呼び方を変えたりそんなには器用じゃない。
そう言いかけたリカは急に立ち止まった大祐にぶつかりそうになる。
ベンチを見つけてそこにリカを引っ張っていった大祐は、買ったばかりの指輪を取り出す。
「稲葉さん!」
「……空井さんだって稲葉っていうじゃないですか」
「今、それはいいじゃないですか」
「だってさっき空井さんがそれを言ったばかりで……」
痴話喧嘩なのか何なのか、よくわからない言い合いになりかけて、大祐は片手で頭をかきむしった。
「いいから!手出して!」
「はい」
勢いにつられて手を差し出したリカの左手にするっと指輪がはめられる。そしてもう一つの大きいほうの指輪をリカの手の上に乗せると自分の左手をずいっと差し出す。
「それを指に!」
「はいっ」
言われるままに指輪を交換しておいて、あれ、と動きが止まった。
「……これって、こういうものなんでしょうか」
「結婚式の時はもう一度はずして婚約指輪と一緒にはめます」
「いや、そういう問題じゃなくて……」
「まだ四の五のいいます?」
じっ、と見つめられたリカは言葉に詰まった。
そのリカの手を握った大祐はリカの指に光る指輪をなぞる。
「僕が欲しいのは丸ごとの稲葉リカさんで、つまんないことで不安にさせるのはこれからもあると思う。だからこそ、少しでも早く、籍だけでも入れたかったんです」
「……空井さん」
「リカさんが不安になるようなことはないんです。僕は、あなたと並んで生きていたいんです」
ぺろ、と舌を出して唇を舐めるのは、じわっと涙がにじみそうになって、それを誤魔化すためだ。
手元の指輪に目を向けると、大祐はもう片方の手を空に向ける。
「それにね。リカさん。見て」
「……はい?」
「普段は、そばにいられないことが多いけど、僕たちはこうして、空で繋がってる」
大祐の元いた世界では合言葉のようだった言葉を口にする。
どこにいても、ほかの誰かといるときも、何をしていても。
「空は繋がっていて、僕はリカさんと一緒にいます」
「……もう、……どうしてそうやって泣かせようとするんですか!」
くしゃっと顔をゆがめたリカを指輪の包みを間に挟んでぎゅっと抱きしめる。
「人が見てますよ……!」
「いいんです。見せびらかすつもりです」
「空井さん!!」
しぶしぶとリカの抗議で腕を離した大祐は、改めて指輪をリカに向けた。
「初お揃い、ですね」
「ふ……、空井さん。結婚指輪なんだからそういうものです」
「でも嬉しいんです。あの後からの、俺のやりたいことがようやくできたので」
本当なら毎日でもそばにいたい。
あれから毎日声を聴いていても物足りない。
早く、一日でも早く結婚したかった。
「ありがとう。リカさん」
「私こそ……。空……、大祐さん」
「……!はい」
耳まで真っ赤になった大祐は無意識に左手で口元を押さえてから、唇に当たった冷たい感覚にはっとする。
「今度、鷺坂さんとか、元広報室の皆には、とりあえず報告したいです」
「そうですね。手続きもこれからいろいろあると思いますし」
「あっ!そうだ、局に届けなきゃ」
急に現実が駆け足でやってきた気がして、我に返る。
「大祐さん」
大祐が目の前に散らかしていた包みを手早く片づけると、今度はリカのほうが立ち上がった。
「帰りましょう!私たちの家に。そして、色々これからやらなくちゃいけないことを一緒に調べましょう」
「はい!」
リカが差し出した手を大祐が握る。
「記念に、写真撮っておきましょうか。入籍記念」
「そうしましょうか」
お互いに携帯を取り出して片手を伸ばす。二人そろっての自撮りポーズに笑い出すと、指輪をしたほうの手でピースサインを作った。