ハーフサイズに変えてもらったものの、スープも肉の煮込みも、かなりなボリュームで、その大半を大祐が受け持ったとはいえ、二人ともかなり苦しい。
「いやー、よく食べましたね」
「もう、なんか苦しいですね」
店を出てゆっくりと歩き出す。予定していたはずの場所を検索しているリカの手から、大祐は携帯を取り上げた。
「え、ちょっ」
「稲葉さん。次、どこに行こうとしてるんですか?」
「次は美術館の……」
都内でもメジャーな場所は、美術館だけでなく様々なイベントがあって、デートスポットには最適だ。ありきたりだけど、というリカに画面をオフにした携帯を渡す。
「じゃあ、一緒に探しながら移動しましょう」
「でも」
「乗り換えも、標識や案内があるし大丈夫。いけますよ」
ぱっと差し出された手に思わず手を伸ばしかけてその手のひらを見てしまう。
「稲葉さん。今日はデートでしょう?」
赤くなったリカは、ついさっき飲んだ甘いビールを思い出す。酔うほどではないはずなのに顔が熱い。
途中で止まった手を大祐が掴んだ。
「行きましょう。まずは地下鉄に乗り換えかな」
リカの手を引いて地下鉄の駅を目指す。
カードで改札を抜けた後、行き先を確認してホームに降りる。都内の移動は大祐も本当は携帯で乗り換えを確かめて移動するのが普通だ。
行き先や看板を確かめるなんてあまりない。
「稲葉さん、移動するときは普段事前に調べる派ですか?」
「そうですね。大体、移動前に携帯で調べておいて、そのまま表示させたら見られるようにしておきます」
「なるほど。ホントは自分もそうです。こんな風に調べながらなんて久々ですよ」
迷子になったら恰好悪いな、と言いながら電車の中でも表示についつい目が行く。
リカはずっと繋がれたまま、離されない手が居心地悪くてそうっと手を引こうとして、その手をぎゅっと握りしめられた。
「どうかしました?」
「いえ……。空井さん、意外と強引なんだなって」
「あっ!スイマセン!嫌だったら言ってください」
「嫌じゃ……ないですけど」
よかった、と笑われて手を離す機会をなくす。なんだか、今日は自分から墓穴を掘りに行ってばかりな気がして、リカは落ち着かなかった。
「次、降りましょう」
そういわれて電車を降りると、駅を出てすぐ大きなビルがランドマークのように見えた。
「むこうですね」
「はい」
繋がれた手のまま歩き出す。標識に書かれた通り歩き出したが、しばらく歩いているうちに違うものが目に入る。
「こんなところに……」
思わずそう呟くと、黙って大祐は道をそれてくれた。
「自分も行ってみたいです。こんなところに神社があるんですね」
リカの呟きに、大祐はにこりと笑う。都会の中なのに、大祐とともに一本道を逸れると普通に住宅地が広がっていた。
小ぶりなマンションや、一軒家が続いて、時に小さなビルがある。
「普通に家があるんですねぇ」
「それはそうでしょ。大祐さんが住んでいるところだってそうじゃないんですか?」
「いやー、自分が住んでるところはもうちょっとアパートっていうか……。でもそうか。そうですよね。どうしても自分、地方が多いので」
いつの間にかつないだ手が自然になって、時に指先で手の甲をたたき、時につなぎなおす。
「すごい家ですね。どういう部屋割りだろ」
「空井さん、人様の家にそこまで考えます?」
「や、なんていうか自分、一か所に長居するってことが少ないんで、どういう家なんだろうな、とかどういう部屋なんだろうなとか考えることが最近多くて」
「もし自分が住むんだったら、とかそういうことですか?」
そうそう、と頷いて何度も大祐が空を仰ぎ見る。
それに気づいたリカは、その理由を知りたくなった。
「……今日、寒いですね」
「あー、そうですね。何年かぶりに初雪が早いかもなんて。でもこんなに晴れてますから大丈夫ですよ」
晴れていて、家を出た時は手にしていたショールを今は巻いているがそれでも寒いと思うくらいで、気温は下がっていっている気がする。
手を繋いでいなければ、もっと寒かったかもしれない。
きょろきょろと時に迷いながら住宅地の間で予想よりも大きな神社にたどり着く。表にその由緒が書かれていて、なかなかの古い場所だということが分かる。
「知らなかった。こんな場所あったんですね」
「……女性に人気ありそうですね」
階段を上がった奥には結婚式場もあるようで、その由緒に視線が向いていたリカは大祐の一言にぴくっと反応した。
「ここに縁結びってありますよ?」
縁結びの神社に大祐と一緒と思うと、どくん、と心拍数が一気に上がる。
動揺を悟られないようにリカは行きましょう、と階段を上り始めた。
それほど広くはない境内の砂利の上を歩いて、賽銭箱の前まで来るとそろって小銭を投げ込んで手を合わせる。
小さくても神聖な場所だけに空気が違うようだ。
隣に立つリカの様子を見ながら気もそぞろで手を合わせた大祐は、頭を上げると社務所を振り返った。縁結びとあるだけに、ぱっと視界に入るお守りの類はどちらかというと、可愛らしいものが多い。
おみくじだけでもと思ったが、リカの足が自然にそちらに向くのをみて大祐は半歩遅れてついていく。
「……ほんとに女性が多そうですね」
「確かに。でも、開運とかありますよ?」
並んでいろいろと手にしながら、健康や厄除けを見つけてはそのデザインや守りの意味を囁きあう。交通安全や開運が多かったが、その中の一つに大祐は手を伸ばした。
迷わずにそれを社務所の人に差し出して白い封筒を手にすると、すぐに中を開く。
「稲葉さん。これ、よかったら。打ち出の小づちですよ」
小さな小槌が二つ、一つのお守りかと思ったが二つが一つになっているものだった。
「え?え?でも」
「願い事が叶うっていいですよね」
さらりとしたつもりだったが、内心は嫌がられないかと心臓が跳ねる。縁結びという言葉は言わずに、幸せ小槌とだけ言って、差し出した。一人で持つか、一つは大切な相手にと書かれているのを見て思わず手が伸びたのだ。
手にするつもりはなかったが、縁結びとなれば、リカと自分との間に少しでも縁を願いたくなる。
幸せを分け合う。
いつでも幸せでいてほしいと思っているリカと分け合えるならこれほど嬉しいことはない。
「ありがとうございます。かわいい」
そういって手のひらのお守りを撫でるリカにほっとしてガッツポーズが出る。
「……よしっ」
「はい?」
「あ、いえ」
聞き返されて慌てて首を振る。今はまだ、堂々と分け合える仲ではない。
「ご利益あるといいですね」
花が咲いたような笑顔にそうですね、と相槌を打つ。
―― ご利益、ほんとにあるといいな……
再び手を差し出した大祐はリカの手を握る。
「寄り道しちゃいましたね。いきましょうか」
「……空井さん」
「はい?」
神社の大きな木の向こうに変わらず大きなビルが見える。
空を見上げたリカが、大祐の手を引いた。
「本当は、嫌だったんじゃないですか?」
「は?」
「この前の打ち合わせの時もそうでしたけど、時々空を見て……」
「えっ?あっ!……」
口元を押さえた大祐は、しまった、と小さく呟いた。
「……そんなつもりはなかったんですが、気づいてたんですね」
こく、と頷いたリカの手をそっと離して空に手を向ける。
「こういう日は思い出すんです。下が……、地上が寒いと上空はもっと気温が低くて。車とは違うのでエンジンの掛かり悪いようなことはないんですけど、格納庫から出るともうそれだけで空気が違うんです」
乾いた風と冷気に背筋が伸びて、ヘルメットと、鞄を持つ手に自然と力が入る。
力みすぎないように、自分自身の体をコントロールしないと思いがけないミスにつながるから、呼吸と、なんでもない会話がそれを助けてくれた。
「夏場とは違って、冬は乾いた風の匂いとそこに燃料が燃えた匂いがしてぞくっとする。空気が違うと、エンジンの音も全然違って、もっと甲高いような音で……。あの空間を思い出すんです。冷えているからこそ、空の広がりが全然違ってて」
大祐の視線の先は、大祐が知っていた頃の空と同じで、こうして地上から見上げる狭いビルの隙間で切り取られた空とは全然違う。
「もう……、あそこに戻ることは二度とないのに、ものすごくはっきりと」
戻れないとわかっているからこそ。
焦がれて。
空に向けていた手を下ろして自然にリカの手を握る。
「だから、稲葉さんに不愉快な思いをさせたならすみません。全然、今日はすごく楽しみにしていたので嫌だなんてことはないです」
「……それならよかったです」
「はい。じゃあ、行きましょう」
屈託なく笑った大祐はリカの手を引いて歩き出す。足元の砂利を踏みしめる音が今いる場所に大祐の心を引き戻す。目の前のリカに一喜一憂する心と、空の向こうに勝手に飛んでいく心とが行ったり来たりしていた。
昼過ぎに会って、ランチをとって、移動して。
気づけば肌寒さも強まってきて、日差しも弱まってきた。
来た時と同じように住宅地の間を歩いて、ぽつり、ぽつりとなんでもない話をする。
「寒くないですか?」
「大丈夫です。ショール持ってきてよかった」
少しずつ日が暮れていくところを歩いて、十五分程度なのに、もっと長い気がする。
少しずつ洒落た店や、面白そうな小さな店が増え始めて、時には立ち止まってショーウィンドウだけでなく店の中にも足を踏み入れた。
予定があってないような時間は、少しずつ二人の距離を近づけていく。
空に高く伸びたビルに近づくころにはビルだけでなく周りにも明かりがつき始めていた。