広報室を出てから局に帰る途中、電車に揺られながらむずむずと落ち着かない気持ちになる。
―― 今日の空井さん、いつもと違ってぼんやりしてた……
何かあるのか、そんなことを聞くほど親しくもないのだが、それでも相手が大祐ならそれは気になるのも仕方がない。
「……だって、空井さんだし」
小さく呟いてから、はっと周りを見回す。
人目を引いてないことを確かめてから、肩にかけたバッグを握りなおした。
取材相手として、これだけ密着取材をしていれば気になるのも仕方がないのだ、と自分に言い聞かせる。
大祐に誰か相手がいるのならそれはそれで自分は構わないのだと思うところだが、ふわふわと思わせぶりなんだかよくわからない態度をとるから悪いのだ。
そしていつも全力で尻尾を振るような大祐が妙に思わせぶりな顔で窓の外を眺めてばかりいれば当然気になる。
仕事のことであれば深く追求することもできないから歯がゆくて仕方がないが、帰りがけのあれは何だろう。
―― 考えた企画に一緒に行ってみるって……。その企画がなかなか思いつかないっていう話をしてたのに
話をまったく聞いていなかったんだろうな、ということはわかっているが、それだけリカに興味がないのかと思うとじんわりとダメージがくる。
その割に一緒に出掛けるといってくるところが謎だ。
「……なんなの」
ぽそ、っと呟いたリカは思いついてバッグから携帯を取り出した。
企画があるなら行ってみればいい。
そんなに軽くいうのなら行ってやろうじゃないかとカレンダーを表示させようとした瞬間、手の中で振動する。
うっかり落としそうになって、慌てて両手を持ち直したリカは、それがメールの着信だと気づいた。
『稲葉さん。先ほどの件ですが、稲葉さんのご都合に合わせますのでご連絡お待ちしてます。空井』
大きく息を吸い込んだリカは、深くため息をつく。
この人は何なの、と言いたくなるのは仕方がない。
こういうとき、リカの気性はいいのか悪いのか。ばちっと音をさせて開いた携帯から返信を打つ。
『空井さん。ご連絡ありがとうございます。それでは次の週末はいかがでしょうか。とりあえずいくつか候補があるのでそれを回ってみようと思います。空井さんのお時間があるようでしたらお付き合いいただければ幸いです。よろしくお願いします。稲葉リカ』
「……よしっ」
実際には、今の時点で何一つこれといったものを考えられていないのに、負けず嫌いというか、猪突猛進な性格というか、ガツガツは健在で。
週末の予定など全く見えてもいないし、それまでに企画案の候補ができるのかもわからないのに、送ってしまったリカは、妙な対抗心だけで鼻息も荒く局へと帰り着いた。
「……はやっ」
「空井一尉?どうかしましたか?」
「あっ!いえ……、なんでも……」
思わず声を上げてから比嘉に覗き込まれて、慌てて席を立つ。廊下に出て休憩スペースの奥でそっと携帯を開いた。
口だけの社交辞令だと思われたくなくて、いつでもいいからという気持ちでメールを送ったのだが、速攻で返事が返ってきたのだ。
まだ局に帰り着く時間でもないだろうから電車の中で見たのだろう。
打てば響くとはこのことというくらいの速さで帰ってきたメールは、次の週末と書かれてあった。
「……週末……っていうと、金曜の夜?あ、土日?!」
お互い、言葉とその意味がとても重要な仕事をしているだけに、漠然と受け取れる言葉には強く反応してしまう。
もちろん、そこに期待があればなおさらだ。
金曜の夜を週末というか、土日を週末というのか。はたまた土日なら二日間ずっとを指しているのか……。
「……え。えぇぇぇ?!」
一人で大声をあげてから、携帯をお手玉してかろうじてキャッチしたまましゃがみこむ。
―― いくらなんでもそりゃないだろう
そりゃないだろう、とは思う。だが、カップルのクリスマスなら当然ホテルで泊まる、というシチュエーションだってあり得る。
バブル世代じゃないにせよ、いまだにクリスマスはカップルにとって一大イベントに違いない。
または彼氏、彼女の部屋ということも……。
「空井?何してんの?」
「うわぁぁぁっ!!」
まるでそんな妄想を覗かれたかのように、大声をあげて飛び上がる。怪訝そうな顔をした鷺坂が背後から大祐を覗き込んでいた。
「し、室長!」
「こんなスミッコで、怪しいなぁ?」
「な、なななななんでもないです!!」
全力で否定するのに、広報室メンバーは異様に敏い人間しかおらず、大祐の様子を見た鷺坂がはは~ん、と何かを思いついた顔をした。
「空井。女性を誘うなら、花と相手が飲むならワインがいいぞ。この季節ならシャンパンもいいね」
「なんで女性を誘うって」
「相手。稲ぴょんだろ?」
「ちちちち……!」
ドンピシャに当てられて、鷺坂の指は大祐が握りしめている携帯を指さしていた。
全力のまたその上があるならすべてを出し切る勢いで、否定しようとした大祐の努力など、百戦錬磨の上司の前には全く役に立たない。
「お前が、携帯で連絡を取る相手、しかも最近。広報室のメンバーには知られたくない。答えは、稲ぴょん!」
ぱくぱくと口を動かすだけで反論ができないでいる大祐に、腕を組んだ鷺坂はうんうん、と頷く。
「そろそろクリスマスシーズンだし。稲ぴょんはなかなかの美人だからね。よ~く失礼のないように!」
「はいっ!……あ」
「じゃ。そういうことで花とシャンパン、忘れずに」
うっかり乗せられて、姿勢を正して返事をしてからフリーズしてしまう。
まんまと鷺坂の手の上で踊ってしまった。
にっこりと微笑みとともに、念押しされて冷や汗をにじませながら頭を下げるしかない。
ひらひらと手を振って去っていく鷺坂を見送ってから、はぁ、と大きなため息をついた。