今年は雪が少ない、といっていたが車が走り出してすぐ、北海道らしい真っ白な世界につい目が行く。
「すご……」
「今日はマシだ。昨日は結構ひどくて飛ばない便もあったからな」
よく晴れていて遠くまでよく見える。眩しいのか、薄い色のついたメガネを掛けた藍沢が新鮮だ。
「それ、サングラス?」
「ああ。雪に反射すると結構眩しい」
「なんか……イメージなかった」
「普段は必要ないからな」
近くのインターから高速に乗って、走る車の感覚は普段と全く違う。
雪の上を走っているからか、ひどくうるさい。
「お前、その靴大丈夫なのか?」
不意にそう言われて、白石は自分の足元を見る。
羽田で自分のヒールの音を意識してしまったことを思い出した。
「たぶん……。寒いかなとも思ったから」
「……まあ、いいけど」
歯切れの悪い言い方に選択を間違えたかなと、コートに隠すように動く。
「あ、いや……」
ハンドルを握りながら、片方の手が指先を擦っている。
「言い方を間違えた。結構、外を歩くと溶けてるところはぐちゃぐちゃだし、そうじゃないところは滑るし汚れるんじゃないかと思ったんだ。なるべく、そういう場所は避けるようにする」
「……ああ、そういう……」
意識してしまった白石と、意識してちゃんと伝えようとしてくれる藍沢が混ざり合う。
妙に気の抜けたような返事をしてから、ぷっと笑い出した。
「慣れない靴で来たからいけないのかと思っちゃったじゃない」
「そうじゃない。そうじゃなくて……」
爪を弾いていた手をハンドルに置き換えて、開いた左手がすっと伸びた。
「……え」
「ありがとう。来てくれて」
「……うん」
指が長いなぁ。
そんなことを考えながら手のひらを重ねる。
ぎゅっと握られた手が暖かくて、くすぐったい。
気恥ずかし過ぎて、動揺してしまう。
「あ、あ。あの、私、雪まつりってきたことなくて。いや、札幌自体あんまりっていうか、多分初めて……じゃないか。一回、学会で来たことがあるくらいで」
「そうか。正直、俺も仕事しかしてないからあんまり詳しくなくて悪いな」
「ううん。そんなことない。そうだよね」
つないだままだった手の。
指先を、少し硬い指が撫ぜた。
「場所は一応、調べた。見たかったんだろ?雪まつり」
「……うん」
気恥ずかしさをすり抜けてくる滴のような。
そんな言葉に包まれた感情が入り込んでくる。
触れ合っている指先から知られてしまいそうで、ぎゅっと握ったあと手を離す。
「ほら。ちゃんと運転して」
「冷たいな」
そう言いながら、横顔が笑っていて、ただ、ただ、すごく、嬉しかった。
おおよそ1時間ほど、車を走らせてどのあたりかはわからないが、駐車場に車が止まった。
「少し歩く」
「うん。うわ、さむっ」
車を降りた瞬間に空気が違う事が実感としてわかる。
肌に突き刺さるような冷気にコートをかき寄せるた。
「……一応、持ってきた。着るか?」
藍沢自身は黒いダウンジャケットを着ていたが、後部座席に手を伸ばしてベンチコートのような長さのダウンを見せられる。
「……着たほうがいいかな」
「たぶんな。建物の中はそうでもないから外を歩く間だけでも」
「う……、わかった」
素直に言うことを聞くことにして、一度バッグを置いてから手早くコートを取り替えた。
刺すような寒さが少し変わって、ホッとする。
「寒くて我慢できなくなる前に言えよ」
「わかった」
うなずいた瞬間、足元の雪に躓いて転びそうになる。
がしっと体ごと支えられて、ほっと力を抜く。
「……ごめん」
「気をつけろ。よく……、滑るし。俺もはじめは何回かやった」
「え、あ」
いざわせんせいも?
藍沢は、こうなる前もそしてこういう間に鳴ってからは特に、まっすぐ射抜くように見つめてくる。
その目は時々、いろんなことを物語っているようで、今も何を言いかけたのかバレているはずだ。
「いいけど……。そろそろ慣れてくれ」
「わかっ……」
わかってるけども!
プライベートの呼び方に慣れてしまったら、うっかりでてしまいそうで。
ただでさえ不器用な白石にはなかなかそれができなくている。
『耕作でも、コウでもなんでもいいから。一緒にいるときに、“先生”はやめてくれ』
そう言われてどのくらいだろうか。
それでも電話やメッセージアプリはついつい“先生”が出ていても怒ったりはしない。
だけど。
今の目は確実に物語っていた。
せめて一緒にいるときくらい。
ぱくぱくと言いかけてはやめた後、はっきりと言い切る。
「わかってるから。ちゃんと」
先に背を向けて歩き出した後ろ姿に追いつく。
そして左手につかまるようにしてその手を握った。
「行こう」
ぎゅっと握り返された手はそのままポケットの中に連れて行かれた。
雪まつりは、各会場、いくつもの通りに分かれている。つまり、街中が会場のようなもので、端から端と言うには広範囲になる。
そして、車を止めた場所から一番近い大雪像の前にいた。キャラクターや流行りものに疎い白石と、興味がない藍沢という組み合わせだけにそれも納得である。
「す……っごい。これ雪かぁ。雪だよねぇ」
今年は雪不足ということで藍沢が聞いた地元のスタッフ曰く、だいぶ黒いのだそうだが、それでも初めて見るにはなかなか感動するものらしい。
藍沢自身は、なるほど、程度にしか思わないが、すごいすごいと先程から言い続けている白石に合わせるように、ああ、とかそうだな、と応えている。
「ね、ちょっと離れたほうが写真撮りやすいかな?」
携帯を手にして、画面を覗き込んだ白石につられて藍沢も周りにぐるりと頭を振った。
観光客がそれなりに多くなってきていて、近くでも離れても大して違いはない気がする。
「全部を入れるのは無理じゃないか?」
「そっか。そうだよねぇ……」
どうしても写真としていい場所には人が写りこむ。それが悪いわけではないが、どうせ白石が送りたい先はわかっている。
白石の手をとって、その携帯のカメラを反転させた。
「こうだろ」
有無をいわさず、白石を引き寄せた藍沢が腕を伸ばす。
驚いた顔の白石と、ほんの少しだけいつもより表情が柔らかい藍沢が画面に入った。
「いいの?」
「悪い理由があるのか?」
「ないけど……」
「じゃあ、いいだろ」
すぐそばでそんな会話の後、シャッターボタンが押された。
取り終わって自分の手に戻ってきた携帯をみて思わず白石が呟く。
「……腕が長い人って、自撮りが楽でいいよね」
「何を言ってる……」
呆れた顔を向けられた白石は、ふっと耳に息がかかるのを感じた。
―― 一緒に撮る相手がいるからだろ
当たり前のようにそう言って、再び白石の手を大きな手が握った。