どうしようかなぁ。
休みは普通にあるのに、こんな風にぶらぶらと出歩くのは久しぶりな気がする。
というよりも、ウィンドウショッピングをするのが久しぶりだ。
『しばらくお前の家に泊めろよ』
しばらく、あんたの家に泊めなさいよ。
緋山に言われたのと同じだ。
あの一言からの時間は色々あっても、大切な時間だった。
緋山が出て行って、しばらく、一人で暮らして、ぽっかりあいた空間の寂しさは、ほかに何も変えられないことを知った。
だから、今、関係が変わった藍沢と一緒に暮らしたらどうなるか、答えはまだ出せてない。
商業施設の中を、特に目的もなく歩いていると、季節がかわるんだなぁと思う。
「……あれっ、白石先生?」
小さな小さな呟きが聞こえて、我に返る。
周りを見回して、誰が呼んだのかと思った先に、小さな笑顔を見つけた。
穏やかで、優しい。
そんな笑顔が浮かぶ。
「灰谷先生。あ、そっか。灰谷先生も今日休みか」
「はい」
「……そっか。そうだよね。近場っていうと限られるもんね」
こんなところで、と思いもするが、苦笑いを浮かべて頷き合う。
一番近い商業施設がある場所まで来るとなると、どうしても被ることになる。
灰谷とはほとんど背の高さが変わらないから、少し近づくと目線の高さはほとんど同じくらいだ。
「お買い物ですか」
「うん。……ていうか、決められなくてぶらぶらと、ね」
「僕も……いや。ほんとは行きたいところがあったんですけど、一人じゃ入れなくて……」
「そっか……」
ただ挨拶を交わして、また別れてお互いにぶらぶらとするはず。
でも、一人じゃ入れない、と聞いて、目的もなかったから足を止めた。
「どんなところに行こうとしてたの?」
「あ……、イベントがあって。でも、二人連れじゃないと入れないらしくて」
「そうなの?」
ちらりと、腕時計をみてから自然に笑顔が出た。
「どんなイベント?何か特典とかあるの?」
「僕、好きな映画があって、その限定のグッズがあるんです。で……、その映画のワンシーンを似せて作った会場を二人連れでクリアしなきゃいけないんです」
「そっか。すぐ済むの?……私でよかったらつきあう、よ?」
映画のイベントならたかが知れているだろう。
どうせ時間もある。
白石がそういうと、はにかんだ笑顔が嬉しそうに頷いた。
「じゃあ、ちょっとだけ付き合ってもらっても、いい、ですか?」
「いいよ。あ、カップルじゃないとダメ、とか言うのは」
「大丈夫です。二人組なら男同士でもいいみたいなんで」
話ながら、こっちです、という灰谷と一緒にゆっくり歩きだす。
商業施設の上の階ではよくイベントが行われているフロアがあるのは白石も知っていた。
前は、こうして二人で病院内を歩いていても、話すことに困るくらいだったが、最近は違う。
灰谷は、丁寧で確実な仕事をするようになった。
「どういう映画なの?灰谷先生、映画好きなんだ」
「はい。僕、休みの日はよく映画館に行くんです。なんか、映画館で映画見てると、大きな画面で音もすごくて、その中に入り込めるっていうか現実ではあり得ないけど、いろんな状況に浸れるっていうか」
「あー……。うん、なんかわかるかも」
そう言いながら歩いた先のポップや映画の装飾をみて、まさか、と顔が引きつる。
「あの……、灰谷先生。映画って……ホラー?」
どうにも人に見えないものが襲い掛かってくるような等身大サイズのボードがあちこちに置かれている。
「違うんです!ホラーじゃなくて、これはスリラーっていうかホラーより人が対象で、どっちかっていうとサスペンスに近いんです!なんていうか、より生々しく人を知るっていうか」
目をきらきらと輝かせた灰谷が語り始めたのをみて、しまった、と思ったがもう遅い。
「あの……、ね。灰谷先生……」
「すごく嬉しいです!もうすぐイベントも終わるし、もう無理かなって思ってたんです!よかった。こんなところで白石先生に会えて、すごくラッキーです」
一度、頷いてしまっただけに、満面の笑顔を見せる灰谷にやっぱり無理だというにも言えないまま、会場の目の前にたどり着く。
仕方ない。これだけ喜んでいるわけだし、イベントならそれほど長い時間がかかるものではないだろう。
自分にそう言い聞かせた白石は、無理やり笑顔を作って頷く。
「え、と、ね?」
「このスタートのところから入って、出口まで行けばクリアなんです。クリアしたらグッズがもらえるのと、買えるのもあるんです」
「う、ん。そっか。じゃ、うん、早く行こうか」
「はいっ!」
にこにこと頷く灰谷が先に立って歩きだす。灰谷が背を向けた瞬間、白石は唇を噛みしめて、苦虫をかみつぶした。
「いってらっしゃーい!」
明るい声のスタッフに送り出されて、いかにも、なカーテンをくぐる。
「白石先生?」
「う、うん。大丈夫。大丈夫よ」
「もしかして、苦手なんですか?」
「大丈夫。ちょっと、あの、ほら。ネッ……」
薄暗い作られた廊下の中を普通に歩いている風の人とすれ違うが、どう考えても怪しい雰囲気の中を歩く。
なにか、縋るものを探して灰谷の肩に思わず手を伸ばしてしまう。そして、すれ違ったばかりの通行人が背後でわざと音を立てて振り返ったのを感じて、我慢できず声を上げてしまう。
「ひゃ……」
「あ、こっち!」
白石を壁側に押して、妙に嬉しそうに、襲い掛かってくる体の通行人に手を振って、灰谷は白石の手を叩いた。
「行きましょう!すぐですから!」
「う、そ、う、わぁぁ、灰谷先生っ!なんでそんなに嬉しそうな、おぉっ」
少しも色気のない叫び声だが、少しでも冷静になろうと努力したからであって、気を抜いているわけではない。
肩に置いた手と、そこについ顔を伏せてしまいそうになって、慌てて距離をとる。その白石に左手を上げた灰谷は白石の頭を庇うようにした。
「白石先生にも苦手なもの、あるんですね。なんか、ちょっと……」
「に、苦手なものくらぃ、どぉぃえぇぇぃ」
「大丈夫。ついてきてください」
前は頼りなくて、不安も多かった姿が最近は少し頼りになると思い始めていたことを今になって実感する。
『大丈夫』
あんなにも頼りなかった後ろ姿だけど、今は全然違う。
「あ、ありが。あぁぁぁっ!」
「わぁぁ!!いっぱいきたー!やったー!」
まさに両極端の叫び声をあげながらなんとかゴールにたどり着く。出口の先には、ファンたちをまさにホイホイするべく、公式グッズと原作、関連書籍など、販売コーナーが広がっていた。当然のように、出てしまえば逆戻りはできず、もう一度あの恐怖の空間を通り抜ける仕様になっているから、何度も楽しんで通る者もいれば、二度と通りたくないと買い込む者もいる。
「や、やっとでた……」
「や、やった!!僕、僕、ちょっと……」
いそいそとグッズを手にしていく灰谷を見ながら、明るいショップの中で、おどろおどろしいグッズをなるべく見ないように目を細める。
こんなグロテスクなものに手を出す気にはなれなかったが、楽しそうに買い物をしている灰谷を見ていたら、ふとお菓子らしきものが目に入った。
人体模型のチョコらしく、胃や心臓、腎臓、と何となくそれらしい形になったチョコレートに英語で書いてある。
「う、うわ……。これ、食べるの……?」
「あ!それ、すごく人気なんですよ!」
「そ、そうなんだ」
にこにこと笑う灰谷をみて、せっかくきたのだからと、一つ手に取る。
灰谷に続いてレジに並ぶ。
「ふ。ふふ……」
「ん?」
「藍沢先生、やきもち、焼かないんですか?」
急な話に驚いて目を見開く。
目を細めて、おかしくて仕方がないとばかりに笑う灰谷にぱくぱくと口だけが動く。
「白石先生がこんなのに怖がるとか、思ってもみませんでした」
「別に、ね。ちょっと好きじゃないだけで!」
「本当に怖がってましたよね。本物じゃないってわかってるでしょうに」
―― そういう問題じゃない。苦手なものは苦手……
「かわいかったです。いつもしっかりしてる白石先生らしくなくて」
「か、しっかりなんか……。灰谷先生こそ、なんか、すっごい頼りがいある感じ、した」
「だめですよ。白石先生」
少しだけ苦笑いが混じった顔で、ひょい、と白石の手にあったチョコレートをとって、一緒に会計する。
別包装にしてもらったチョコレートを差し出した灰谷は、人の邪魔にならないところに立ってにこっと笑った。
「白石先生、ダメです」
「え?」
「僕、藍沢先生みたいに言えないですけど、白石先生、時々、無自覚ですよね。そういうの、ダメですよ」
「無自覚って……」
灰谷の言葉に目を彷徨わせた白石の手にチョコレートを持たせると、灰谷は二歩下がって距離をとる。
「あとは、僕からじゃなくて、ほかの人に叱られてください。今日はありがとうございました」
「あ、うん」
「じゃあ、僕はこれで。本当にありがとうございました」
頭を下げて満足げに去っていく姿を見ながら、ぼんやりと手を振る。
そして、日が暮れかけた頃、とぼとぼと家に向かう。
―― 明日。明日、冴島にでも聞いてみよう。このチョコをもって……
そして。
答えは。
本当は、すぐそこに。
— end —