痛みの在り処 1

大祐とリカにとって、というより、大多数のカップルと同じくらい、結婚ということは互いの傍にいる約束と、互いの心に寄り添って生きるという覚悟のようなものだ。
実際には、どういう事があるのかなど、その場になってみなければわからない事の方が多い。

それでも、日々の中では互いに夫や妻という単語が自分達の些細な不安を癒してくれていることも事実で。

「稲葉さん」

はっと顔を上げたリカの目の前にはパソコンの画面に、大きく復興という文字だけがずっと点滅するカーソルの後ろにあった。

「夏休みですもんねぇ」

その企画は、各テレビ局が夏休み時期に向けた特番やお祭りイベントの企画の一つで、今頃やるには遅すぎるくらいだったが、全体の企画の中で足りないらしく、何か案をという無茶振りに近かった。
珠輝が次のロケスケジュールを調整したくて声をかけたのに、ついついその画面の大きな文字に気を取られる。

「稲葉さん、断ればよかったのに」

チーフになって、リカの仕事は少しずつ中身が変わってきていた。
仕事が減るということはもちろんなくて、現場に出ることが少なくなる代わりに会議や資料作成が増えていく。時々、誰も手が空いていなかったり、こういう飛び込み、突貫の仕事を引き受けることもあった。

「……うーん。そうなんだけどね」

苦笑いを浮かべたリカは、天井の高いフロアで椅子の背に寄りかかった。やはり、単なる夏祭りイベントだとしても、取り上げる内容に復興の2文字が入っているとどうしても、手が止まってしまう。
賑やかに、おいしそう、楽しそう、こんなに頑張ってます、というだけでは難しいのだ。

「でも、稲葉さんは、旦那さんのところに一杯行ってるんだから、かえって身近じゃないですか?現地も知ってるし」
「そんなことないよ。ほんの一部の一部でしかないから」

あれだけ広範囲の被害を、ほんの少し週末で足を運ぶくらいの、自分なんかにわかるわけがない、とリカは眉間に皺を寄せて否定した。
基地は見たが、それ以外の場所にもほとんど足を向けていない。

個人的にも現地を自分の目でも見てみたい気はしたが、なかなかそれも難しかった。なんでも知っていればいいというものでもない。
ましてや、東京にいてこの温度差を感じれば感じるほど、現地の今を伝えるよりも、とにかく忘れない事やお金を使ってもらって、経済を回したり、現地に貢献してくれる方向に向いた方がいいのか、悩ましかった。

「でも、お祭りはお祭りじゃないですか。それ」
「うん。それもわかってる」

ネガティブにも受け取ることができる情報だけを並べても仕方がないこともわかっている。
見るべき方向は一つではないことは十分に分かっているので、こうして悩んでいるのだった。

「で?なんだって?」
「あ、次のロケのスケジュールです」

珠輝が持ってきたスケジュール表を見ながら、あれこれと話をつけていく。
それでも、その間も頭の隅では先ほどの企画の向こうにあるものが小さく居座っていた。

家に帰ってからもどこかで、重たい気持ちを引きずっていたリカは、鞄を放り出すと風呂に湯を張った。
温めの湯にぼんやりと浸かっていると、色々考えてしまう。松島や大祐の住む近くや仙台市内は少しずつ見て歩いた場所が増えたが、それでも、大祐が心を痛めないかと思い、観光地もあまり足を運んでいなかった。

「……やっぱり、行ってみようかなぁ」

どうしても蓋をして重しをしているわけにはいかなかった。
つい一昨日、ライブラリであの頃の映像をみてきたのだ。

通常は、局で直接製作していない限り、白素材などほとんど置いてない場合が多い。当然のようにそれだけ管理が難しいからだ。
だが、あの日の、いや、震災に関連するものは特別にワンブロックを確保されていて、放送できなかった素材もすべて残っている。

本当は、大半の映像や素材が放送できなかったと言っていい。各局共に規制がかかりほとんどが放映できないと判断されたからだ。
大祐の身を案じていたが、あの頃、リカも画面越しか否かの違いだけで、実は大祐以上に心を痛める画をたくさん見ていた。報道の手伝いに回り、入ってきた白素材をチェックして、放送できるかどうかを判断する。

支援部隊は大量に現地から送られてくる映像を目にしていたのだ。

このことは大祐には言っていない。男性の方が繊細で、大祐が抱えてしまったものを分かっていた。
リカ自身は離れていて、日頃の仕事に紛れていれば考えなくても済むし、見たくないものはみなくてもいい。ただ、こうしてライブラリなどでみられる環境に身を置いているというだけの事で。

それは、実際にそこで暮らしていないからでもあった。

ぼんやりとだが、仕事とは別に、見てみたい。興味本位かもしれなかったが、ふとそんな気になっていた。

長い風呂から出ると、特に食欲もなくて、冷蔵庫から缶ビールとチーズを取り出して仕事用の机の前に座る。スマホを手に取ると、着信とメールが来ていた。

『お疲れ様。今日は遅い?自分はもう家に帰りました』

―― いけない。帰ってきてからメールしてなかった

気が付けばもう10時過ぎだ。慌てて不在着信から電話をかけた。

投稿者 kogetsu

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