何事にも、個人の考えがあって、リカにはリカの理由がある。
たとえば、カレーも社食でとるならワンプレートで済むものであり、価格も安い。ほかに迷う余地もなく、副菜で一喜一憂する社食のメニューを考えれば、MAXでもない分、無難なメニューになるはずだった。
それが、今は五穀米のかわりご飯と、お浸し、焼き魚に味噌汁である。
リカとしては多いと感じてはいたが、ご飯を少なめに、などささやかな抵抗で何とか箸を進めているのだ。
「本当は、ちょっと多いかなって思うんだけど……」
「いんじゃないの?空井君としては、稲葉が自分好みの女になっていくのもたまんないんじゃないの」
「自分好みって……」
「どうせ……。いや、いいか。あほらし」
痩せているリカがもう少しくらいふっくらしていてもいいのにということではないかと勝手な推測がつくが、新婚カップルの話をつついても、つついた方が砂を吐きそうなくらい甘々なだけだ。
自分のトレーに戻ると、残りの中華丼を平らげる。
「で?例のあれは?」
「……なんかチャンスがなくてまだ阿久津さんには話せてなくて」
「ふうん。ま、あいつは今日は自分の会社の方に書類出しに行ってて一日戻らないから安心しとけ」
高柳が今日は一日不在だと聞いて、リカはつい、あからさまにほっとしてしまった。
普段は用がなくても顔をだすのが藤枝と同じだったが、ただでさえ今は傍に来てほしくない。そんなところで阿久津と打ち合わせしているとなったら、上手く話を言いくるめて自分もスタッフだからと参加してきそうだった。
いちいち、そんなことを気にする自分も嫌で仕方ない。
リカは、皿の上のサバの塩焼きを真ん中で二つに割ると、半分、空になった藤枝の皿に乗せた。
「……あげる。これ、全部食べたら少し多いの」
「ありがたくいただいとくけど。こういう食べ物のシェアもなぁ」
無防備な一環だとおもうのだが、それもこれまでの同期としての付き合いがあってのことだ。それなしに、初対面から食事をシェアされたら、大抵はどきっとするだろう。
よく言えばさばさばしている、悪く言えば自分自身に無頓着すぎる。
―― だから高柳みたいなのにつけ込まれるんだろうが。ったく、空井君も苦労するな……
引き取ったサバを箸で一口大にして口に運ぶ。自分の仕事が控えているだけに、ちらりと時計を見た藤枝は、連絡の来ない携帯を取り出した。
どうしてこんなことになっちゃったんだろう。
リカは、どこかでは呆然としてながら午後の仕事を進めていた。
阿久津に呼ばれて打ち合わせをしたところ、次々と思いがけない話に転がっていったのだ。
初めは放送日が決まったと言われて、月曜23時と決まったのを聞いて、ほっとした。いくら企画が通っても、放送日が決まるまでは没になる確率がまだ高い場合もある。逆に放送枠まで決まればよほどのことがない限り放送されるだろう。
だが、話はそれだけですまなかった。
「初回、な。通常は30分番組だが、初回だけ1時間の枠がもらえることになった」
「1時間?倍じゃないですか、ストックは全部30分ですよ」
「ああ。だから次の取材を初回分に回す」
目を丸くして驚いたリカは、話が何だか大きくなった気がして、そのプレッシャーを嫌でも感じてしまう。
「1時間で取材できる先を検討しないと……」
「そうだ。そこで候補に自衛隊が上がってただろ」
「はい」
「初回は自衛隊を取材相手にして、陸海空のそれぞれを取材して1時間にまとめろ」
嘘だろうと思ってしまう。もうそんなに放送日まで日がないのに、これから取材をする相手、しかも、それそれが大きな組織である。
確かに、相手がどこか一つではそれから後の取材先はすべて30分にまとめるのに不公平感が出てしまう。その点、陸海空のそれぞれを取材して1時間なら文句は出ない確率の方が高い。
さらに調整が難しくなったと思いながらリカは、それぞれの広報室へ向けて、アポイントの調整をするべく動き出した。
すでに一度は挨拶に伺っていて、お願いすることはできる。
リカが用意していた資料を書き直している間に、阿久津は携帯で誰かと密かに誰かとコンタクトをとっていた。
「もともと初回は1時間にするつもりだったんですけどね」
『いやいや、ここはあっくんの腕の見せどころじゃないの。制服シリーズだって好評だったでしょ?』
―― この詐欺師が!
胸の中では毒づいてもかかってきた電話には出てしまうところが阿久津である。
いきなり携帯にかかってきた見知らぬ電話にも仕事柄出てしまった阿久津は、開口一番にあっくん、などと呼ばれてぞっとしたのを思い出す。
『あっくん。詐欺師の鷺ちゃんでーす』
「……ちなみにその呼び方はやめてもらいたいんですがね?」
『あら。ご機嫌斜めだね。気が合うなぁ。俺もそう』
「いきなり電話をかけてきて、不躾な呼び方をする人がいるもので」
鷺ちゃん、という呼び名には嫌と言うほど記憶がある。リカの結婚式までの間、ちょいちょいちょっかいをかけるメールを送ってくるようになって、一度は、ついうっかり飲みにまで行ってしまった。
なぜか、飲み友達としては面白い、と言う結論を出してしまったが、普段メールがほとんどで、いい年のおっさん二人、電話ではほとんど会話をしたことがなかったのだ。
『いやいや、それはさておき。取り急ぎ、阿久津さんにお願いがあって電話をしました』
「なんでしょう?」
そこから始まった話は、確かに鷺坂に不愉快だと言われても仕方のないもので、阿久津も行き届かなかったところへの詫びも込めて、1回目の放送を自衛隊にすることにした。
『しかしさ。あっくん。君のところは人が多いのは仕方がないけど、やっぱりなってないね』
「あれから、取材には出ていないはずだが……」
『そういう問題じゃないでしょ?大事な可愛いひまわりのような部下を、外部の人間の手で散らすの?あのひまわりはやっと日の当たるところで花が開くようになったんだから、もう日陰に回るようなことはさせられないね』
一度ならず、二度も、社内での評判が地に落ちたリカは、その分、強く、しなやかに、見事に立ち上がってきたが、もう一度、しかも高柳のような相手の場合、三度目はただでは済まなくなってしまう。
リカから離そうかとも考えはしたが、ほかの者につけても大差ないと思ったのは事実だ。
いくら鷺坂に言われて、リカが大事な部下であっても、時に阿久津は全体を見なければならない。そして、会社としての立場も。
「とにかく、言われたとおりに初回枠は押さえたし、内容も。わざとらしく俺が取材現場に入るわけにはいかない分、あとはそちらの皆さんの腕に任せるしかないんですが?」
『任せといて頂戴よ。うちの悪がき達が精一杯頑張るからさ』
それはそれで後が怖い気がしたが、ひとまず彼らに任せておけば、取材先でのトラブルと言うことで社内には顔がたつ。また飲みにいこうね、という軽い挨拶に適当に相槌を打って電話を切った阿久津は、少し離れたデスクで青くなって企画書の修正に追われる部下を見てため息をついた。
―― なんでコイツはいっつもトラブルばっかり背負ってくるかな……